スポンサーリンク

文殊院西古墳との比較でわかる【文殊院東古墳】特徴と魅力(奈良県桜井市)

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています。

古墳を見て歩きながら、古代に想いを馳せるのが好きなみくるです。

奈良県桜井市には、纏向古墳群(まきむくこふんぐん)箸墓古墳(はしはかこふん)など、古代史ファンにはたまらないスポットが点在しています。

そんな桜井市に所在する「安倍文殊院(あべもんじゅいん)」の境内にひっそりと佇む「文殊院東古墳(もんじゅいんひがしこふん)」は、自然石と切石を組み合わせた両袖式横穴式石室を持つ方墳(または円墳)で、古代職人の技と信仰の場としての面影を今に伝える貴重な古墳です。

国の特別史跡に指定されている「文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)」の陰に隠れ、素通りされることも多いのですが、奈良県指定史跡古墳としてその価値は高く、歴史ファンや古墳好きにとって見逃せない存在です。

今回は、そんな歴史と信仰の両面から魅力的な「文殊院東古墳」をご紹介します。

スポンサーリンク

【文殊院東古墳 】文殊院西古墳の陰に隠れた県史跡

文殊院東古墳の概要

文殊院東古墳(もんじゅいんひがしこふん)」は、奈良県桜井市の安倍文殊院の境内に位置する古墳で「閼伽井古墳(あかいこふん)」として親しまれています。

文殊院東古墳の概要

墳丘は円墳又は方墳と思われますが、詳しい調査は行われていないので規模は明らかではありません。築造時期は、古墳時代終末期の7世紀前半と考えられています。

文殊院東古墳の開口部

石室は両袖式横穴式で、自然石と切石を組み合わせた構造を持ち、全長は約13メートルに及びます。

国の特別史跡に指定されている隣の「文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)」の陰に隠れ、素通りされることも多いものの、奈良県指定史跡としての価値は高く、古墳としての歴史的意義と、閼伽井窟としての信仰の場という両面の魅力を今に伝えています。

スポンサーリンク

石室の構造と見どころ

文殊院東古墳の石室は全長約13メートルの 両袖式横穴式石室です。

  • 石室全長:10.3メートル
  • 玄室:長さ4.8メートル、幅2.2メートル、高さ2.4メートル
  • 羨道:長さ5.5メートル以上、幅1.8メートル、高さ1.7メートル

文殊院東古墳の羨道前部は破壊されており、石室全体の姿ははっきりと確認できません。文殊院西古墳とは異なり、石室の石材は主に花崗岩の自然石が用いられていますが、石の表面には切石技法によるわずかな加工が見られます。石室の壁面は、玄室では奥壁が2段、側壁も2段に積まれ、羨道では奥壁が1段、開口部が2段に積まれています。出土品は確認されていません。

文殊院東古墳の羨道と玄室

文殊院東古墳の石室は、自然石と切石を組み合わせた造りになっています。

  • 自然石:自然のままの形で使われている石で、加工はほとんどされていません。
  • 切石:石を加工して平らに整え、積みやすくした石。西古墳のように精巧に加工されている場合もあります。

この両方を組み合わせていることから、文殊院東古墳の石室は「古墳時代から飛鳥時代への過渡期的な様式」を示しています。つまり、古墳時代の素朴な石室構造から、飛鳥時代の高度な切石技術を取り入れた石室構造へ移行していく時期の特徴をそのまま伝えており、古代職人の技術の変遷を学ぶ上で貴重な存在です。

スポンサーリンク

文殊院東古墳の被葬者

文殊院東古墳の被葬者は、現時点では出土品がなく明確には分かっていません。しかし、隣接する国の特別史跡である文殊院西古墳と同じ7世紀前半に築造されたこと、また東西に二基の古墳が並ぶ立地から、安倍氏一族の関連者、あるいは同族の有力者が葬られた可能性が高いと考えられています

文殊院東古墳は、文殊院西古墳ほど大規模ではありませんが、石室の構造や閼伽井窟としての信仰の痕跡から、単なる付属墓ではなく、独自の重要性を持つ古墳であったことがうかがえます。

閼伽井窟としての信仰

古くから文殊院東古墳は「閼伽井窟(あかいのいわや)」と呼ばれてきました。

  • 「閼伽(あか)」とは、仏さまに供える清浄な水のこと。
  • その水を汲む井戸を「閼伽井」と呼び、「窟(いわや)」は岩屋=洞窟を意味します。

つまり「閼伽井窟」とは「仏さまに供える水を汲む岩屋」という意味になります。石室の奥から湧き出る水は仏前に供える閼伽水として、また「知恵の水」として人々に信仰されてきました。副葬品は見つかっていませんが、古墳そのものが霊場として親しまれてきたことがわかります。

文殊院東古墳の現地案内板

なお、閼伽井窟が築造当初から存在したかどうかは不明です。横穴式石室はもともと葬送用として築かれたものであり、閼伽井としての利用は仏教の信仰が浸透した飛鳥時代以降に行われた可能性が高いと考えられます。石室自体は古墳築造時のものですが、その後の信仰によって閼伽井窟として活用されたと見るのが妥当です。

東古墳は、飛鳥時代に造立されました。ここは「閼伽井(あかい)の窟」とも呼ばれています。閼伽井とは「閼伽水の井戸」の意で、羨道の中程に古来より枯れることのない泉があったことが由来しています。この泉の水は「閼伽水(智恵の水)」と言い、法要等に使う清浄な水として使用されていました。
※羨道とは、古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分。

文殊院東古墳の案内板

現在は、玄室内に仏像が祀られています。

文殊院東古墳の羨道と石室、石仏
スポンサーリンク

文殊院西古墳との比較

文殊院西古墳は、文殊院東古墳の西50mに位置する古墳で、国の特別史跡に指定されています。

安倍文殊院の境内図

文殊院西古墳との比較

名称 築造時期 石室の特徴 史跡指定 特徴
文殊院西古墳 7世紀前半 切石技術を極めた両袖式横穴式 国特別史跡 技術の粋を示す巨大石室
文殊院東古墳 7世紀前半 自然石+切石の両袖式横穴式 奈良県指定史跡 閼伽井窟として信仰、素朴ながら堂々とした石室

西古墳が「技術の粋」を示すなら、東古墳は「信仰と生活に根付いた古墳」といえるでしょう。隣り合う二基の古墳は、当時の阿倍氏一族の権勢と精神文化を今に伝えています。

スポンサーリンク

文殊院東古墳の見どころと歴史まとめ

文殊院東古墳は、奈良県桜井市の安倍文殊院境内にひっそりと佇む方墳で、隣接する文殊院西古墳の陰に隠れながらも、独自の魅力を持つ歴史的な古墳です。石室は自然石と切石を組み合わせた両袖式横穴式で、玄室や羨道の積み方から当時の職人技術をうかがい知ることができます。また、石室奥から湧き出る水は「閼伽水」として信仰され、後世には閼伽井窟としての役割も果たしました。

被葬者については出土品がなく確定できませんが、文殊院西古墳との位置関係や築造年代から、安倍氏一族や関連有力者の墓であった可能性が高いと考えられます。文殊院西古墳の技術的な魅力と比較すると、文殊院東古墳は信仰と生活に根ざした古墳としての側面が色濃く残る点が特徴です。

訪れる際は、石室の構造や閼伽井窟としての信仰の痕跡、そして文殊院西古墳との比較を意識しながら歩くことで、安倍氏一族の歴史と古代の空気をより深く感じることができます。文殊院東古墳は、古墳としての価値だけでなく、信仰の場としても見どころ満載の古墳です

文殊院東古墳へのアクセス

奈良県桜井市阿部645
TEL 0744-43-0002

駐車場は3か所にありますが(普通車500円)、第1・第2駐車場は閉鎖されていることがあります。

安倍文殊院の境内マップ

境内駐車場(乗用車専用)の様子です。

境内の駐車場の様子

文殊院西古墳・文殊院東古墳と一緒に訪れておきたいのが、「艸墓古墳(くさはかこふん)」です。こちらも阿部丘陵に位置する国指定史跡の方墳です。

横穴式石室を持ち、巨石を用いた刳抜式家形石棺や漆喰の残存など、終末期古墳の技術の高さを実感できる古墳です。

文殊院西古墳・文殊院東古墳と比較すると、築造時期はやや前の7世紀中葉。石室構造や出土品の違いを意識して訪れると、阿部丘陵の古墳群の発展の流れも理解しやすくなるでしょう。

艸墓古墳については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました