万葉歌碑を巡り歩いて、歌に詠まれている情景と、歌碑が建つ地の風景を楽しんでいるみくるです。
奈良県桜井市、三輪山の北に連なる巻向山(まきむくやま)の山麓には、「歌聖」と称される柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が詠んだ数々の歌碑が佇んでいます。
人麻呂がこの地を愛し、足繁く通い、数多くの秀歌を残した理由はただ一つ。この里に、深く愛した女性(妻または恋人)が住んでいたからです。
今回ご紹介する歌碑は、愛する女性との日々を背景に、人生の深遠な真理を捉えた一首です。
水の泡に重ねた愛と無常―巻向をめぐる柿本人麻呂の歌
万葉集 巻7-1269番歌の歌碑が建つ場所
今回ご紹介する万葉歌碑が建つのは、奈良県桜井市に鎮座する「檜原神社(ひばらじんじゃ)」からほど近い、穴師川(巻向川)沿いの地です。

檜原神社より600mほど歩くと、山の辺の道がUターン状にカーブしている場所があります。


この道を、景行天皇陵の方に少し歩くと歌碑が見えてきます。

歌碑は、東西に走る舗装道路の北側に南面して建っています。

詩情あふれる柿本人麻呂の挽歌
歌碑に刻まれているのは、『万葉集』巻7-1269の歌です。


(原文)
巻向之 山邊響而 徃水之
三名沫如 世人吾等者
(読み下し)
巻向の 山辺響みて 行く水の
水沫のごとし 世の人我れは
万葉集 巻7-1269 柿本人麻呂(柿本人麻呂歌集)
(かな)
まきむくの やまへとよみて ゆくみづの
みなわのごとし よのひとわれは
(現代語訳)
巻向山の山辺を、音を響かせながら激しく流れ下る川の水。その流れの表面に、すぐに現れては消えてしまう水の泡(水沫)のようなものだ。この世に生きる私という存在は。
この歌は、柿本人麻呂の挽歌(ばんか)、つまり誰かを弔う歌として知られています。
愛する女性を亡くした後、彼女との思い出の場所である巻向の里で、力強く流れ続ける川と、それとは対照的な「水沫(みなあわ)」というはかない存在に自らを重ね合わせ、人生の無常(はかなさ)を歌い上げた傑作です。
愛の喜びを知る人麻呂だからこそ到達した、深遠な哲学がここに結晶しています。
愛の記憶と一体の風景|関連歌(1088番歌)と「痛足川」
柿本人麻呂は、この愛しい人の里への道すがら、風景そのものにも特別な感情を注ぎました。
(原文)
足引之 山河之瀬之 響苗尓
弓月高 雲立渡
(読み下し)
あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
弓月が岳に 雲立ち渡る
万葉集 巻7-1088 柿本人麻呂(柿本人麻呂歌集)
(かな)
あしひきの やまがはのせの なるなへに
ゆつきがたけに くもたちわたる
(現代語訳)
あしひきの山に川の瀬音が鳴り響いている。弓月が岳には雲が湧き上がってきた。
川の瀬の音が鳴り響くのに呼応するかのように、巻向の峰である弓月が岳に雲が一面に立ち渡る――。この壮大な自然の描写は、愛する人へ会いたいという激しい感情や情熱と裏側で繋がっていると言えるでしょう。
なお、この地を流れる川は、現在の巻向川ですが、万葉集では「痛足川(あなしがわ)」の名で詠まれています。
また、今回ご紹介している歌碑(1269番)は、前回の記事でご紹介した棟方志功氏の躍動的な揮毫が印象的な1087番歌碑と隣接して建っています。
動的な自然描写(1087番)と、哲学的な無常観(1269番)という対照的な二首を、二人の著名な揮毫者の個性的な書体で並べて鑑賞できることも、この地の魅力の一つです。
揮毫者:仏文学者 市原豊太氏の想い
この哲学的で美しい歌碑を揮毫したのは、フランス文学者であり随想家であった市原 豊太(いちはら とよた)氏(1902-1990年)です。
万葉歌碑の揮毫は、書家だけでなく、その歌の精神性に深く共鳴した著名な文化人に依頼されることが多くあります。
市原氏は、フランスのモラリスト文学(人間の理性や感情を深く考察する)を専門とする一方、戦後の国語改革問題では、歴史的仮名遣いの遵守を強く提言するなど、日本の古典と伝統的な言葉の美しさに深い敬意を払った知識人でした。
西洋の哲学に精通した市原氏が、東洋的な「無常観」を極めた人麻呂の挽歌を揮毫したことは、この歌碑に文学、哲学、そして歴史的伝統という、何層もの重みを加えています。彼の筆跡には、歌聖の言葉を後世に正しく伝えたいという、静かで確固たる意志が感じられるでしょう。
この巻向の地で、市原氏の知的な書、人麻呂の哲学的な歌、そして川の流れる風景が一体となる瞬間を、ぜひ体感してみてください。
註:歌の出典と左注について
今回紹介した1269番歌は、巻向歌群の他の歌(例:前回の記事でご紹介した1087番歌など)と同様に、万葉集の原典では「柿本朝臣人麻呂之歌集に出づ」という左注(注釈)が付けられています。
これは、これらの歌が万葉集の編纂時に柿本人麻呂個人の歌集から採録されたことを示しています。
そのため、人麻呂自身が詠んだ歌と断定することはできません。しかし、巻向の地を詠んだ一連の歌群の傑出性、歌風の一貫性から、現在もなお人麻呂自身の作であるとする説が学界で最も有力であり、広く認められています。
桜井の記紀万葉歌碑
今回ご紹介した柿本人麻呂の挽歌「巻向の山辺響みて行く水の…」は、「桜井の記紀万葉歌碑」の8番に掲載されています。
桜井市内には、この歌碑のほかにも樹かげや草むらにひっそりと建つ記紀万葉歌碑が点在しています。注意深く歩くと、見過ごしていた風景や石仏、道標にも目が留まり、散策の楽しみがさらに広がります。
「桜井の記紀万葉歌碑」については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。歌碑の意味や背景、見つけ方のヒントも掲載しているので、桜井の古道散策の参考にぜひチェックしてみてください。
万葉集 巻7-1269の歌碑へのアクセス
奈良県桜井市箸中351
山の辺の道がUターン状にカーブし、巻向川に沿って東西に走る舗装道路の北側に、南面して建っています。
ここから檜原神社まで約600m。

山の辺の道らしい魅力的な道が続きます。

こちらの記事では、檜原神社のすぐ近くに建つ柿本人麻呂(柿本人麻呂歌集)の歌碑をご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。




