静寂の古刹【浄国寺(旧長法寺)】鎌倉時代の石造灯籠は重要文化財(奈良県橿原市)

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生まれも育ちも奈良県で、今は橿原市に住んでいるみくるです。

今回は、奈良県橿原市一町かずちょう浄国寺じょうこくじと、境内に鎮座する三神社さんじんじゃをご紹介します。

浄国寺は、ご本尊に阿弥陀如来さまをお祀りする浄土宗の寺院です。境内にある石灯籠は、鎌倉時代末期の作で、橿原市の重要美術品に指定されています。

今回ご紹介する写真は、2025年5月に撮影したものです。

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浄国寺(奈良県橿原市一町) 

浄国寺(旧長法寺)の概要

奈良県橿原市一町にある浄国寺じょうこくじは、ご本尊に阿弥陀如来さまをお祀りする浄土宗の寺院です。

寺伝によると、寛永年間(1624~1644年)頃に開基されたとされています。明治9年(1876年)に、真言宗の天満山長法寺と合併し、長法寺を廃して浄国寺と称するようになりました。

古老の伝には、菅原道真が吉野宮滝に来遊の途上、素性法師の案内で、当地に立ち寄り山荘を構えたといいます。境内には巨樹が茂り、多くの石燈籠があります。

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境内の様子

大日堂(旧長法寺本堂)

本堂には、ご本尊の大日如来さまが安置されています。

ご本尊の大日如来坐像は、室町時代末期の作であることがわかります。地方では「常門の大日さん」として親しまれています。

「常門の大日さん」とは?

「常門」とは:浄国寺の前身である長法寺が、かつて「西国三十三所名所図会」に、「常門村にあり」と記されていたことから、この地域(現在の橿原市一町周辺)が、「常門」と呼ばれたいた可能性があります。「常門」は、地名または地域の古い呼称と考えられ、浄国寺やその周辺を指す通称として使われていたようです。

「大日さん」とは:大日如来の親しみのある呼び方で、真言密教の最高仏である大日如来を指します。地域住民が、親しみを込めて「大日さん」と呼ぶのは、奈良県や日本の仏教文化圏でよく見られる習慣です。

大日如来坐像を納める扉の表面は見事な彫刻があり、外陣には絵馬、正徳四年の境内図等が奉納されています。鬼瓦には慶安五年の刻銘があります。

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浄国寺石造燈籠

境内には、鎌倉時代末期の正和5年(1316年)に造られた石造灯籠せきぞうとうろうがあり、竿部分に銘が刻まれています。

石灯籠の笠形は、鎌倉時代初期頃の六角形のものから、鎌倉時代末期には四角形のものへと変化します。浄国寺のものは四角形の石灯籠で、初期の作品として貴重で、橿原市の重要美術品に指定されています。

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十三重石塔

境内には、鎌倉時代初期の凝灰岩製の十三重石塔があり、歴史的価値が高いとされています。参拝した折は知らなくて、見逃してしまったのですが、右奥にかろうじて映っていました。

三神社の拝殿の後方の小高い所に建ちます。当初は、十三重石塔でしたが、現在八層になっています。

2023年4月、奈良県高市郡明日香村の飛鳥資料館において、十三重石塔に納められた押出三尊仏像と御正体みしょうたいが展示されてました。

以下、飛鳥資料館の公式サイトより引用します。

昭和54年(1979年)に、橿原市一町(かずちょう)の浄国寺境内に所在する十三重石塔(鎌倉時代前期、13世紀前半頃)が台風の被害から修理されるにあたり、その中から押出三尊仏像と御正体(みしょうたい)(円鏡)が発見されました。この場所には、明治9年(1876)まで長法寺という寺院(現在は浄国寺と合併して廃寺)が存在したことから、元の寺院名を採り「長法寺十三重石塔」とも称されています。

押出三尊仏像は白鳳期(7世紀後半~8世紀初頃)のものと推定され、中尊が座った姿である倚座像の如来三尊像です。御正体は鎌倉時代と考えられる銅製の円鏡の鏡面に、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩が毛彫りで表現されています。また、柱等に掛けられるよう、裏面には金具が付いています。 これらは、立体的な仏像とは違い、やや平面的なものではありますが、堂内に垂直に飾り付けて礼拝されました。普段見慣れない形の信仰の対象をぜひご鑑賞ください。

ミニ展示 「長法寺十三重石塔に納められた押出三尊仏像と御正体」

浄国寺は、橿原市の外れにあり、参拝される方も少なくひっそりとしていますが、思いがけず貴重なものに出会えました。由緒のあるお寺さまなのですね。

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鐘楼

鐘楼は江戸時代初期の建立とみられ、梵鐘には延宝九年の刻銘があり、天満山長法寺の名が刻まれています。

手水舎

山門

緑に包まれた美しい佇まいの山門です。

境内から見る山門

階段に花びらが落ちていました。

見上げると山茶花の木がありました。

あいにくの季節外れでしたが、花の少ない寒い季節に、美しい色どりを見せてくれることでしょう。

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観音堂

観音堂には、宝暦十三年(1763年)の刻銘があります。

地蔵堂

建築年代は少し古く、聖観音立像を中心に三十三ヶ所霊場の観音像を祀る地蔵堂は、享保十二年(1727年)の墨書があります。

後ろには古い千体仏がありました。

青紅葉が綺麗でした。紅葉はさぞかし見事なことでしょう。

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三神社

三神社は、浄国寺の境内に鎮座しています。

創建時期や詳細な由緒は不明ですが、「大和名所図絵」に、浄国寺の前身である長法寺に「熊野三所権現」として三神社が描かれています。

これによりご祭神は、熊野信仰に関連する神々と推定されています。「熊野三所権現」は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を象徴する神々です。

三神社は、浄国寺の境内にあるため、寺と神社の神仏習合の歴史を反映しています。長法寺(真言宗)と浄国寺(浄土宗)の合併後、浄国寺の境内社として三神社が残ったと考えられます。

三神社の社殿は小規模で、浄国寺の境内の一角に位置します。

静かな佇まいの神社さまでした。

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大和名所図会

大和名所図会やまとめいしょずえ」は、江戸時代に後期に編纂された奈良の名所や史跡を紹介する地誌です。寛政元年(1789年)に秋里籬島あきさとりとうによって編纂され、寛政2年に刊行されました。

大和の名所、寺社、史跡、自然、伝承などを詳細に記録し、挿絵(木版画)と共に紹介されています。江戸時代のガイドブックとして、旅人や文化人に広く利用されました。

長法寺の頁に記載された熊野三所権現の記録は、奈良県における熊野信仰の広がりを示す貴重な資料です。

国立公文書館デジタルコレクション『大和名所図会5』  

挿絵には、長法寺の境内や三神社の様子が描かれていて、貝吹山の北西麓に位置する静かな環境が表現されています。具体的な挿絵は、国立国会図書館デジタルコレクションで確認可能です。

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浄国寺(旧長法寺)へのアクセス

奈良県橿原市一町1204

寺門前に駐車スペースがあり、無料で利用可能との情報がありましたが、表示はなく定かではありません。

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新沢千塚古墳群にいざわせんづかこふんぐん公園からは、徒歩約12分です。

新沢千塚古墳群公園については、こちらの記事でご紹介しています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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