【飛鳥・藤原まるごと博物館検定】(中級編)対策~「飛鳥学冠位叙任試験(H26年度中級編)」より(その2)

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令和6年(2024年)12月14日(土)に実施される第2回「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」中級編の合格を目指して学習をしているみくるです。

「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」公式テキストブック

目指せ、合格!【飛鳥・藤原まるごと博物館検定】12月14日に第2回検定が実施される‼

今回は、飛鳥学冠位叙任試験」中級編(平成26年度実施)の問題と解答と解説をご紹介します(16~30まで)。

問題は全部で60問。うち10問は筆記問題です。
※「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」(初級編・中級編)では、マークシート一択式のみの出題です。

前回受験した初級編では、「飛鳥学冠位叙任試験」入門編で、繰り返し出題された問題の対策をしたことが役立ちました。

初級編の対策については、こちらの記事でご紹介しています。

「飛鳥学冠位叙任試験」中級編(平成26年度実施)の問題と解答と解説(1~15まで)は、こちらの記事でご紹介しています。

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H26年度 飛鳥学冠位叙任試験(中級編)その2

飛鳥坐神社の宮司

16.飛鳥坐神社の現代の宮司は社伝によると何代目?

ア 93代  イ 87代  ウ 78代  エ 67代

飛鳥坐神社の公式サイトに記載があります。

飛鳥家について

当社には氏子がなく、初代神主 太宗直比古命〔たいそうなおひこのみこと〕が崇神朝より「大神朝臣飛鳥直〔おおみわのあそんあすかのあたい〕」の氏姓を賜って以来、「飛鳥」姓で現在に至り、創始以来代々神社をお守りして参りました。初代は天事代主命〔あめのことしろぬしのみこと〕から数えて七世に当たることが、「新撰姓氏録」(815年)や「世系図」に記され、現在の宮司は八十七代目に当たります。

飛鳥坐神社とは|飛鳥坐神社公式ホームページ

解答)イ 87代

伎楽の起源

17.世間の無常を厭へる歌二首

「生死の二つの海を厭はしみ潮干の山をしのひつるかも」(万葉集 16-3849)
「世間の繁き狩廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも」(万葉集 16-3850)

これらの歌はある寺にあった倭琴に記されていました。その寺とは次の内どれ?

ア 飛鳥寺  イ 川原寺  ウ 豊浦寺  エ 山田寺

16-3850の歌の後につけられた左注によると、この二首の歌は川原寺の仏堂の中の倭琴の表面に記されていたとのことです。

川原寺には伎楽団があったことが、『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の伎楽の項(332頁)に記載があります。

日本の伎楽の起源は、飛鳥時代の7世紀初頭に大陸から伝えられたものと考えられています。飛鳥時代には、川原寺橘寺、法隆寺、四天王寺、太秦寺などに伎楽の一団がおかれ、天武天皇の時代には、新羅の客らをもてなすために川原寺の伎楽を筑紫に運んだとされています。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

解答)イ 川原寺

32年ぶりの遣唐使

18.大宝2年(702年)に再開された遣唐使の正史の名前は?

ア 粟田真人  イ 阿倍仲麻呂  ウ 山上憶良  エ 藤原清河

『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の「遣隋使・遣唐使」の項に記載があります(88頁)。

白村江の敗戦後は遣唐使の一時的な中断がありましたが、遣唐使中断の間も、多くの百済・高句麗からの遣民の流入、新羅への使節の派遣によって文化の摂取は続けられました。

粟田真人が執節使(長官)となった大宝年間の遣唐使(任命は701年、702年に出発、704年に帰国)は、32年ぶりの派遣となりました。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

解答)ア 粟田真人

明日香村の細川谷古墳群

19.石舞台古墳以降に築かれたとみられる細川谷の古墳で、岩屋山古墳とよく似た墓室を備えた古墳は?

ア 打上古墳  イ 都塚古墳  ウ 塚本古墳  エ ムネサカ一号墳

『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の183頁に「細川谷古墳群」についての記載があります。

細川谷古墳群

冬野川に沿った明日香村細川・上・阪田を中心に6世紀後半から7世紀初頭にかけて形成された約200基の小古墳からなる群集墳。右方袖式で高い天井を持つ横穴式石室や、ミニチュア炊飯具・指輪などの副葬といった渡来的要素が認められ、飛鳥地域に集住した渡来系氏族の墓域と推定されます。都塚古墳打上古墳はその盟主墳的位置を占める代表的古墳です。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

都塚古墳は、7世紀後半に造られた石舞台古墳より早い6世紀後半の築造です。

蘇我稲目のお墓?!【都塚古墳】古代のピラミッドと話題に【古墳巡り~明日香村】

解答)ア 打上古墳

飛鳥寺の塔心礎埋納物

20.飛鳥寺の塔が焼失して、舎利が掘り出されたのはいつ?

ア 奈良時代  イ 平安時代  ウ 鎌倉時代  エ 室町時代

『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の「飛鳥寺の塔心礎埋納物」の項に記載があります(207頁)。

飛鳥寺の塔心礎埋納物

文献史料によると飛鳥寺の塔は鎌倉時代の建久7年(1196年)に火災で焼失し、舎利数百余粒、金銀器物などが掘り出されたとされています。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

解答)ウ 鎌倉時代

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安倍比羅夫の蝦夷討伐

21.日本書紀によると斉明4年(658)、越の国主安倍比羅夫は大船団を率いて北征した。船団の規模は?

ア 80艘  イ 120艘  ウ 180艘  エ 220艘

斉明天皇4年(658年)4月から斉明天皇6年(660年)5月にかけて、越国守であった安倍比羅夫が蝦夷・粛慎征討を行ったことが『日本書紀』に記されています。「斉明天皇4年(658年)4月に船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田・渟代二郡の蝦夷を降伏させる。」

解答)ウ 180艘

古墳壁画の保存

22.キトラ古墳の壁画の取り外し作業が始まったのはいつ?

ア 平成15年  イ 平成16年  ウ 平成17年  エ 平成18年

キトラ古墳の壁画の保存について「国営飛鳥歴史公園」の公式サイトに記載があります。

古墳保存について

文化庁が2003(平成15)年より石室内調査を開始。その結果、壁画は、そのままにしておいてはやがて崩れてしまう極端なもろさであることがわかったため、この壁画を守るため、2004(平成16)年8月より、日本で初めての本格的な取り外しをおこないました。
取り外した壁画は細心の注意をはらって修理、強化処理をおこない保存管理しています。
古墳そのものは石室と同じ石材でふさぎ、埋め戻しました。
壁画および古墳の研究・保存・公開などは奈良文化財研究所が主となって進めています。
「キトラ古墳壁画体験館四神の館」1階の「キトラ古墳壁画保存管理施設」では、期間限定・事前登録制で壁画実物を公開します。

キトラ古墳 | 国営飛鳥歴史公園 (asuka-park.jp)

解答)イ 平成16年

柿本人麻呂が皇子に献じた歌

23.次の万葉歌は柿本人麻呂がある皇子に献じた歌と言われます。その皇子とは?
「やすみしし わご大王 高輝らす 日の皇子 栄えます 大殿のうへに ひさかたの 天伝ひ来る 白雪じもの 往きかよひつつ いや 常世まで」(万葉集3-261)

ア 大津皇子  イ 忍壁皇子  ウ 新田部皇子  エ 高市皇子

この歌の詞書に「柿本朝臣人麿の新田部皇子に献れる歌一首〔并せて短歌〕」とあります。

新田部皇子の宮は現在の明日香村八釣にあったとされ、天武天皇と藤原夫人が歌を交わした大原にも近く雪の降りやすい地であったようです。
そんな「皇子のお住みになる八釣の宮殿に遠く天から降り来る雪のように、私も永遠の後までもお仕えに参りましょう」との、宮廷歌人である人麿らしい忠節を誓った一首です。

解答)ウ 新田部皇子

わが国の火葬のはじまり

24.『続日本紀』に「天下の火葬はここに始まった」と記された僧道昭(照)は、□□系渡来人の後裔とされます。□□内に入る国名は?

ア 百済  イ 高句麗  ウ 新羅  エ 任那

『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の「仏教伝来と僧尼の活躍」の項に記載があります(84頁)。

道昭

渡来系の船氏出身。飛鳥寺で出家。白雉4年(653)に遣唐学問僧として入唐し、長安で玄昭に師事して法相を学び、同房に住むことを許されるほど高い信頼を得たとされています。(中略)文武天皇4年(700)に72歳で没し、遺教により粟原で火葬されました。わが国の火葬のはじまりとされています。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

ですが、船氏についての記載が見当たらず出身は分かりませんでしたが、Wikipediaには「船氏は、中国南朝系百済人である」とあります(船氏 – Wikipedia)。

解答)ア 百済

季刊誌「明日香風」

25.古都飛鳥保存財団の季刊誌「明日香風」、今年10月1日発行は第何号?

ア 112号  イ 122号  ウ 132号  エ 142号

「明日香風」は、『飛鳥・藤原まるごと博物館検定』を主催されている「古都飛鳥保存財団」さんが発行されている季刊誌でしたが、134号(平成27年4月1日発行)をもって、休刊されました。

平成27年(2015年)からは、「飛鳥びと」が発行されています。

春・秋の(観光シーズンに合わせて)年2回発行し、飛鳥を詠った万葉歌の紹介やゆかりの人々のエッセーのほか、村内のイベントや店舗・土産物などの情報を掲載している「飛鳥びと ~古きもの・明日のもの~」を発行しています。

広報紙- 公益財団法人 古都飛鳥保存財団

古都飛鳥保存財団さんの公式サイトでバックナンバーが読めます。2024年春号は18号でした。『飛鳥・藤原まるごと博物館検定』の学習にも役立ちそうです。

解答)ウ 132号

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安倍山田道の工法

26.石神遺跡の発掘調査で、7世紀中葉に沼沢地を整地して山田道をつくった状況が見つかった。その工事に用いられた土木技術はどれか。

ア 敷葉工法  イ 版築  ウ モルタル  エ 地中梁

『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の「古代飛鳥の道路」の項に記載があります(128頁)。

安倍山田道

上ツ道から南へのびて丘陵地を斜めに走り、飛鳥で西へ向きを変え、雷丘付近を経由して下ツ道と交差する道路です。(中略)石神遺跡の北の調査では7世紀中葉に沼沢地を敷葉工法により造成し、道路を敷設したことが判明しています。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

解答)ア 敷葉工法

石舞台古墳の調査

27.1993年に、石舞台古墳を調査したのは誰?

ア 樋口隆康  イ 有光教一  ウ 岸俊男  エ 末永雅雄

石舞台古墳の調査をした末永雅雄は、橿原考古学研究所の初代所長です。奈良の石舞台古墳をはじめ、高松塚古墳や藤ノ木古墳などの発掘調査に参加して多くの研究業績を残されました。

解答)エ 末永正雄

「出雲国造神賀詞」という祝詞

28.「出雲国造神賀詞」という祝詞の中で、大和の守り神として設けられた「飛鳥の神奈備」に祀られている神の名前はどれ?

ア 大物主くしみかたまの命  イ あぢすき高ひこねの命   ウ 事代主の命  エ かやなるみの命

こちらの記事で「かやなるみの命」をお祀りしている加夜奈留美命神社をご紹介しています。

奈良県明日香村栢森【加夜奈留美命神社】奥明日香一帯はスピリチュアルスポット!

御祭神は加夜奈留美命ですが、この神様は『古事記』・『日本書紀』に登場せず、『出雲国造神賀詞いづものくにのみやつくりのかんよごと』という祝詞に登場します。

『出雲国造神賀詞』には、大穴持命おおあなもちのみことが国土を天孫に譲って出雲に去る時に、自らの和魂と子女の御魂を大和に留めて皇室の守護とすべき事を誓います。
その中に 「賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて鎮め祭る」と記載されていて、これがこの神社のはじまりとされています。

奈良県明日香村栢森【加夜奈留美命神社】みくるの森

解答)エ かやなるみの命

くつな石

29.くつな石と言われている石は明日香村のどこにある?

ア 冬野  イ 阪田  ウ 尾曾  エ 東山

『飛鳥・藤原まるごと博物館検定』の「さまざまな伝説の地」の項に記載があります(361頁)。

くつな石

飛鳥村阪田の谷間に鎮座する龗神社(現在は葛神社に合祀)の御神体の大石。昔ある石屋がこの石に目をつけ、切り出そうとノミを打ち込んだところ、その割れ目から赤い血が流れ、血まみれの蛇が現れました。驚いた石屋は大慌てで逃げ帰りましたが、その晩から高熱と腹痛におそわれてとうとう死んでしまいました。それ以来、村人たちは神の宿る石として祀ったといいます。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

くつな石

解答)イ 阪田

壬申の乱

30.日本書紀によると壬申の乱の際、近江朝側の軍営が置かれた場所と推定される遺跡は?

ア 甘樫丘東麓遺跡  イ 島庄遺跡  ウ 飛鳥寺西方遺跡  エ 石神遺跡

入鹿の首塚

飛鳥寺西方遺跡は、飛鳥寺旧境内の西方に広がる遺跡で、現在は蘇我入鹿の首塚があります。

『日本書紀』には「飛鳥寺の西」「大槻の樹の下」など記される場所があり、神聖視されていた槻を中心とした広場(槻木の広場)があったと考えられます。

乙巳の変に先立つ皇極3年(644年)に蹴鞠をする中大兄皇子と中臣鎌足が出会う場面として「飛鳥寺の槻の下」が現れます。

天武元年(672年)の壬申の乱で大海人皇子を捕らえるために集められた近江朝側の軍勢が、大伴吹負らの謀で内応する舞台として「飛鳥寺西の槻の下」が現れます。

解答)ウ 飛鳥寺西方遺跡

H26年度 飛鳥学冠位叙任試験(中級編)その3

「飛鳥学冠位叙任試験」中級編(平成26年度実施)の問題と解答と解説(31~50まで)は、こちらの記事でご紹介しています。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式テキストブック」は、全国の書店のほか、Amazonや楽天市場などでも販売されています。

木下正史/監修 公益財団法人 古都飛鳥保存財団/編
ISBN:978-4-473-04555-3
発売日:2023/10/4
A5判 並製 488頁(カラー56頁)

読み物としても興味深く楽しく学習できました。疑問に思っていたことの出典(『日本書紀』『日本霊異記』『扶桑略記』等)が示されていることで深堀できたのも良かったです。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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