令和6年(2024年)12月14日(土)に実施される第2回「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」中級編の合格を目指して学習をしているみくるです。
➡目指せ、合格!【飛鳥・藤原まるごと博物館検定】12月14日に第2回検定が実施される‼
今回は、「飛鳥学冠位叙任試験」中級編(平成26年度実施)の問題と解答と解説をご紹介します(1~15まで)。
問題は全部で60問。うち10問は筆記問題です。
※「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」(初級編・中級編)では、マークシート一択式のみの出題です。
前回受験した初級編では、「飛鳥学冠位叙任試験」入門編で、繰り返し出題された問題の対策をしたことが役立ちました。
初級編の対策については、こちらの記事でご紹介しています。
H26年度 飛鳥学冠位叙任試験(中級編)その1
大伴旅人が詠んだ万葉歌
1.次の万葉歌は大宰府に在任中の大伴旅人が詠んだ歌ですが、この歌にある「忘れ草」と言う草は、今の植物名ではなんでしょうか?
「忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため」(万葉集3-334)
ア ヤエムグラ イ ユズリハ ウ ヤブガラシ エ ヤブカンゾウ
この歌の歌碑が奈良県橿原市城殿町の本薬師寺跡に建っています。
➡【橿原の万葉歌碑めぐり】大伴旅人の望郷の歌~本薬師寺跡から香具山を望む
解答)エ ヤブカンゾウ
高松塚古墳の壁画
2.高松塚古墳壁画の模写作業を指導した日本画家の名前として適当な方は誰か?
ア 前田青邨 イ 青木繁 ウ 東山魁夷 エ 梅原龍三郎
高松塚壁画館では、壁画発見当時の精密な壁画模写「現状模写」をはじめ、剥落や汚れを加減した模写「一部復元模写」などが展示されています。
「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」を実施されている「古都飛鳥保存財団」さんのサイトに、模写作業についての解説が掲載されています。
壁画模写は、前田青邨氏のご指導により、昭和49年に平山郁夫 東京芸術大学教授(当時)を監修に、守屋多々志 愛知芸術大学教授(当時)を中心に、20名の方々に制作をお引き受けいただき、約2年の歳月を経て完成しました。
高松塚壁画館運営 – 公益財団法人 古都飛鳥保存財団
解答)ア 前田青邨
明日香村の江戸時代の医師
3.明日香村には江戸時代に高取藩の侍医で、江戸時代でも有名な医者がいましたがその人の名前は?
ア 服部宗賢 イ 松平定信 ウ 緒方洪庵 エ 杉田玄白
高取川に架かる豊年橋には、明日香村の生まれで高取藩お抱えの医師が、高取川に架かる橋が大雨で流されたため私財を投じて石の橋を築くと、その後は橋が流されることなく豊作の年が続いたため「豊年橋」と呼ばれたという謂われがあります。
解答)ア 服部宗賢
稲渕・栢森・入谷が新たに選定された文化財の名称
4.平成23年(2011)、稲渕・栢森・入谷の三大字を中心とした地域が新たな文化財に選定されました。その名称で正しいものは?
ア 飛鳥川上流域の歴史的風土保存地区 イ 飛鳥川上流域の文化的景観 ウ 奥明日香の歴史的風土保存地区 エ 奥明日香の文化的景観
➡奈良県明日香村栢森【加夜奈留美命神社】奥明日香一帯はスピリチュアルスポット!
解答)エ 奥明日香の文化的景観
山田寺の造営
5.『上宮聖徳法王帝説』裏書にみえる山田寺の造営開始は「辛丑春三月」。西暦で何年にあたるか?
ア 640年 イ 641年 ウ 642年 エ 643年
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の山田寺跡の項(141頁)に記載がありました。
山田寺は、乙巳の変に加担した蘇我倉山田石川麻呂が建立した寺院です。『上宮聖徳法王帝説』裏書によると、その創建は舒明天皇13年(641)に遡り、2年後に金堂を建立し、大化4年に僧が住み始めたことがわかります。
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』
解答)イ 641年
橘寺の太子殿の本尊
6.橘寺の太子殿の本尊として祀られている重要文化財はどれ?
ア 木造地蔵菩薩立像 イ 木造日羅立像 ウ 木造如意輪観音坐像 エ 木造聖徳太子坐像
アの「木造地蔵菩薩立像」と、エの「木造日羅立像」は、『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』に写真付きで紹介されています(216項)。どちらも、橘寺の聖倉殿に安置されています。
ウの「木造如意輪観音坐像」は、岡寺に安置されていて、現存する塑像の作例としては最大を誇ります(217項)。
解答)エ 木造聖徳太子坐像
明日香の都を懐かしみ称える長歌
7.平城京の時代に明日香の都を懐かしみ称える次の長歌を詠んだ万葉歌人がいます。それは誰?
三諸の 神名備山に 五百枝さし しじに生ひたる 栂の木の いや継ぎ嗣ぎに 玉かづら 絶ゆることなく ありつも 止まず通はむ 明日香の 旧き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川し清けし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはずは騒ぐ 見るごとに 哭のみし泣かゆ 古思へば(3-324)
ア 大伴旅人 イ 笠金村 ウ 山部赤人 エ 山上憶良
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の「古郷としての飛鳥・藤原」の項に記載があります(300頁)。
この長歌は、最小限の連対の句を用いてさまざまな明日香の表情をとらえて、聖なる明日香を荘厳したものと考えられます。形式的にも、きわめて整然とした完成度を示す歌とされています。個人的な懐旧の念ではなく、集団的感情を詠んだもので、皇統の繁栄のもと、明日香の古き都に大宮人たちが連綿と通い続けることを言挙げした歌ち考えられています。聖武天皇即位後、奈良から吉野への行幸の途中で詠まれたとする説が有力です。
飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック
解答)ウ 山上憶良
富本銭の材料
8.最古の鋳造貨幣、富本銭に含まれている特徴的な成分は?
ア 金 イ 銀 ウ 錫 エ アンチモン
富本銭は『日本書紀』の天武天皇12年4月の条に、「今より以後、必ず銅銭を用いよ」という記事に対応する銅銭と考えられます。銅とアンチモンと呼ばれる金属の合金で作られています。
解答)エ アンチモン
明日香村の初代村長
9.明日香村は昭和31年3村が合併してできたといわれているが、その時の初代村長で戦前、戦後を通じて30年間務めた村長は誰か?
ア 愛水典慶 イ 岸下利一 ウ 脇本熊次郎 エ 関 義清
明日香村役場の公式サイトの「名誉村民」の項に記載があります。
明日香村では、村民や村に縁故の深い方で、政治、経済、文化の進展に貢献し、または公共福祉の増進に寄与され、その功績が顕著であり、人格、識見がすぐれ、村民から郷土の誇りとして尊敬を受ける方に、「明日香村名誉村民」の称号を贈り、顕彰しています。
名誉村民 | 明日香村 公式ホームページ
- 故 松下 幸之助 氏 昭和46年の飛鳥保存財団の設立に尽力されるとともに、財団の理事長として歴史的風土の保全及び文化財の保存等に尽されました。
- 故 脇本 熊治郎 氏 昭和31年の三村合併(旧高市村・阪合村・飛鳥村)後初代村長として、地方自治の振興と明日香村の発展に尽されました。
- 故 犬養 孝 氏 昭和46年飛鳥保存財団の理事に就任され、文化財の保存に尽力されるとともに、数多くの著書を発刊され、全国民に古京飛鳥地方の認識を深められました。
- (後略)
解答)ウ 脇本熊次郎
明日香村の指定文化財
10.明日香村の指定文化財でないのは?
ア 飛鳥ホタル イ 竜福寺層塔 ウ 飛鳥川飛び石 エ 亀石
明日香村の公式サイトで指定文化財が詳しく紹介されています(明日香村の指定文化財)。
解答)エ 亀石
飛鳥の古代寺院の伽藍配置
11.飛鳥地域には古代多くの寺院が建てられました。次のうち、講堂の東西面が回廊にとりつくと考えられるのはどの寺院でしょう?
ア 飛鳥寺 イ 川原寺 ウ 山田寺 エ 本薬師寺
古代寺院の伽藍配置に関する問題はよく出題されます。『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』にも、図入りで詳しく紹介されています(145頁)。
- 飛鳥寺…塔の北と東西に金堂をおく一塔三金堂の伽藍配置(飛鳥寺式)
- 川原寺…中門と中金堂をつなぐ回廊の東に塔、西に塔と対面させる形で西金堂をおく一塔二金堂の伽藍配置(川原寺式)
- 山田寺…四天王寺式で、中門からはじまって講堂に取りつく回廊が講堂の南で閉じる(山田寺式)
- 本薬師寺…中門と講堂をつなぐ回廊の中心に金堂をおき、南に二塔を配置する(薬師寺式)
文章にすると分かりにくいので、こういった復元イメージ図や模型などを見て覚えるようにしています。
こちらの記事では橿原市城殿町の本薬師寺跡をご紹介しています。
解答)エ 本薬師寺
昭和47年(1972)という時代
12.高松塚古墳壁画が発見された昭和47年(1972)は、「沖縄返還」はじめ大きな出来事がありました。同年に起きた出来事のうち正しいものは?
ア 日中国交回復 イ アポロ宇宙船月面着陸 ウ OECD創設 エ パリ和平協定調印
- 日中国交正常化…1972年9月に日中共同声明を発表して、日本国と中華人民共和国が国交を結びました。
- アポロ宇宙船月面着陸…史上初めて人が月着陸に成功したのは、1969年7月20日のことです。
- OECD創設…経済協力開発機構(OECD)が創立されたのは、1961年です。日本は1964年4月28日に加盟しました。
- パリ和平協定調印…パリ和平協定は、1973年1月27日に調印されたベトナム戦争終結を約した協定です。
解答)ア 日中国交回復
百済大寺について
13.舒明天皇が建立した日本最初の官寺、「百済大寺」とされている遺跡は?
ア 吉備池廃寺 イ 奥山廃寺 ウ 和田廃寺 エ 小山廃寺
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック』の「飛鳥・藤原地域に所在した代表的な寺院」を紹介する項に記載があります(141頁)。
- 百済大寺跡(吉備池廃寺)…百済大寺は舒明天皇が639年に発願した最初の寺院です。桜井市吉備にあるため池、吉備池で九重塔跡とみられる大規模な塔、金堂跡を持つ吉備池廃寺が発見され、その所在がほぼ明らかになりました。
- 奥山廃寺…奥山廃寺は奥山久米寺周辺にあった寺院です。出土した墨書土器から「小墾田寺」の寺名が判明しています。
- 和田廃寺…和田廃寺は通称「大野塚」周辺に所在します。寺名は葛城寺(葛木尼寺)と考えられます。蘇我馬子が建てた大野丘北塔にあてる説もあります。
- 小山廃寺(紀寺跡)…小山廃寺は藤原京左京八条二坊に位置します。大字小山の小字「キテラ」の地名から天智朝に存在した紀寺とする説が有力でしたが、出土瓦の年代はあいません。
こちらの記事では、橿原市和田町の「和田廃寺」をご紹介しています。
須恵器の熟成温度
14.古代の焼き物である須恵器の熟成温度は?
ア 600℃ イ 800℃ ウ 1000℃ エ 1200℃
縄文土器から土師器までの土器は、日本列島古来の技法である「輪積み(紐状の粘土を積み上げる)」により成形され、野焼きで作られていました。このため焼成温度が800~900度と低く、強度があまりありませんでした。
それに対し、須恵器は全く異なる技術(ろくろ技術)を用いて成形し、地下式・半地下式の登り窯を用いて1100度以上の高温で還元焔焼成されることで強く焼締まり、従来の土器以上の硬度を得ました。
解答)エ 1200℃
「飛鳥古京を守る議員連盟」初代会長
15.昭和45年(1970)5月に発足した、超党派国会議員による「飛鳥古京を守る議員連盟」初代会長は?
ア 橋本登美三郎 イ 田中角栄 ウ 佐藤栄作 エ 竹下登
「歴史的風土保存の経緯」に関することがよく出題されます。
国営飛鳥歴史公園の公式サイトの「飛鳥を守った歴史」の項に記載があります。
同年(1970年)5月には当時の建設相である橋本登美三郎氏を会長とする「飛鳥古京を守る議員連盟」も結成されました。6月には当時の佐藤首相一行が明日香村を視察。12月に、明日香村における歴史的風土の保存と地域住民の生活と調和を図るために、次のことを骨子とする方策が閣議決定されました。
佐藤栄作は、昭和45年(1970年)に「飛鳥地方における歴史的風土及び文化財の保存等に関する方策について」の閣議決定がなされた時の首相です。
これを受けて、昭和46年度には「国営飛鳥歴史公園」が事業着手されました。
解答)ア 橋本登美三郎
飛鳥・藤原まるごと博物館検定(中級編)対策 その2
この続きはこちらの記事でご紹介しています(16~30まで)。
飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック
「飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式テキストブック」は、全国の書店のほか、Amazonや楽天市場などでも販売されています。
木下正史/監修 公益財団法人 古都飛鳥保存財団/編
ISBN:978-4-473-04555-3
発売日:2023/10/4
A5判 並製 488頁(カラー56頁)
読み物としても興味深く楽しく学習できました。疑問に思っていたことの出典(『日本書紀』『日本霊異記』『扶桑略記』等)が示されていることで深堀できたのも良かったです。
最後までお読み頂きありがとうございます。