日本で最初で最大の都である藤原京があった橿原市に住んでいるみくるです。
「藤原京」は、中国の都城制にならった初の本格的都城で「新益京」と呼ばれました。京域は東西十坊の範囲まであり、藤原宮を中心に大和三山が入る約5キロメートル四方の広大なものでした。
今回は巨大模型や出土品、アニメーションなどから視覚的に藤原京について学べる「橿原市藤原京資料室」についてご紹介します。
圧巻の巨大模型!橿原市藤原京資料室
藤原京資料室の外観と概要
「藤原京資料室」は令和8年の世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産「特別史跡 藤原宮跡」をより理解して頂くことを目的に、平成18年10月、藤原宮大極殿跡にほど近い、JAならけん橿原東部経済センター2階に開室されました。
![橿原市藤原京資料室の外観](https://i0.wp.com/stat.ameba.jp/user_images/20240522/14/aoi-tkym/c7/61/j/o1080081015441951753.jpg?w=1256&ssl=1)
資料室の前には「特別史跡 藤原宮跡」が広がっています。
![橿原市藤原京資料室の前に広がる「特別史跡 藤原宮跡」](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/05/image-5-56.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1)
展示コーナーでは、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産の写真・解説パネル、約6m×7mもの大きさの藤原京の1,000分の1模型や、柱や瓦といった出土品が展示されています。
![橿原市藤原京資料室の展示の様子](https://i0.wp.com/stat.ameba.jp/user_images/20240522/14/aoi-tkym/c3/d1/j/o1080081015441951789.jpg?w=1256&ssl=1)
模型から学ぶ藤原京の構造
藤原京の1000分の1の模型です。大変素晴らしく、この模型を目当てに来られる人も多いようです。
![藤原京の1000分の1の模型](https://i0.wp.com/stat.ameba.jp/user_images/20240522/14/aoi-tkym/45/64/j/o1080081015441951782.jpg?w=1256&ssl=1)
模型の写真は北側から撮っています。手前(北側)が耳成山、右手(西側)が畝傍山、左手(東側)が天香久山です。リアルに作られていて、当時の藤原京の様子がひと目で分かります。
![説明パネル「藤原京の構造」](https://i0.wp.com/stat.ameba.jp/user_images/20240522/14/aoi-tkym/e0/6c/j/o1080081015441951798.jpg?w=1256&ssl=1)
藤原京は大路や小路と呼ばれる大小の道路によって、碁盤の目のような整然とした街区に区画されていました。南北の単位が「条」、東西の単位が「坊」です。
中央には都の中心となる藤原宮があり、宮の近くには、貴族や高官たちの屋敷が立ちならび、左京と右京には国の大寺である「大官大寺」と「本薬師寺」が建てられました。
⇩本薬師寺跡の航空写真が展示されていました。
![本薬師寺跡の航空写真](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/05/image-5-59.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1)
「本薬師寺」は、680年に天武天皇の発願により皇后(後の持統天皇)の病気回復を願って建立が開始された寺院です。
藤原京の中心施設「藤原宮」
「藤原宮」は、大和三山(耳成山・畝傍山・天香久山)のほぼ中央に位置し、約1キロメートル四方の宮域を占めています。
⇩模型の藤原宮の部分を真上から撮った写真がありました。
![模型の藤原宮の部分を真上から撮った写真](https://i0.wp.com/stat.ameba.jp/user_images/20240522/14/aoi-tkym/0e/c1/j/o1080144015441951807.jpg?w=1256&ssl=1)
「藤原京」の中心施設が「藤原宮」です。
![説明パネル「藤原宮」](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/05/image-5-57.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1)
約100ヘクタールの広大な区画の中心に天皇が儀式にのぞみ政務をとる大極殿と朝堂院があり、大極殿の北に天皇の住まいである内裏が置かれました。
藤原宮の規模は、飛鳥の諸宮殿をはるかに超える巨大なもので、のちの平城京や平安宮へと継承される古代の宮殿の基本形が、ここで確率しました。
藤原京の時代背景
今から約1300年前、大和三山に囲まれた藤原の地に、日本で最初の計画的な政治都市「藤原京」が誕生しました。
![藤原京の時代背景](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/05/image-5-58.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1)
672年(天武元年)、壬申の乱に勝利を収めた天武天皇は、中国の制度を手本にした律令制にもとづく国づくりをめざしました。藤原京は新しい政治を進めるための本格的な都として、天武天皇によって計画され、694年(持統8年)、その遺志を受け継いだ持統天皇の時代に完成しました。
それから平城京遷都までの16年間、藤原京は古代中央集権国家の基礎を整え、短くも充実した役目を果たしました。
持統天皇が天香久山を詠んだ万葉歌
藤原京資料室からほど近い醍醐池のほとりに持統天皇の歌碑が建っています。
![持統天皇の万葉歌碑](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/05/image-5-60.jpg?resize=1024%2C767&ssl=1)
春過ぎて 夏来るらし 白妙の
衣乾したり 天の香具山
万葉集巻1-28 持統天皇
『百人一首』にも収録されている有名な歌です。こちらの記事でご紹介しています。
➡【橿原の万葉歌碑めぐり】天香具山を詠んだ持統天皇の歌~大和三山の眺めと共に〈藤原宮跡〉
池の向こうに見えるのが天香久山です。持統天皇もここから天香久山を見て歌を詠んだのでしょう。
![藤原宮跡から見た天香久山](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/05/image-5-61.jpg?resize=1024%2C767&ssl=1)
展望室からの眺めと映像コーナー
展望室から見た藤原京です。
![展望室から見た藤原京](https://i0.wp.com/stat.ameba.jp/user_images/20240522/14/aoi-tkym/55/91/j/o1080081015441951756.jpg?w=1256&ssl=1)
今は何も無い原っぱが広がるのみですが、ここで1300年の昔、人々の営みが行われていたのだと思うと、感慨深いものがありました。
映像コーナーでは、当時の藤原京の様子を詳しく再現したCGや、人々の暮らしをわかりやすく描いたアニメーション「よみがえる藤原京 時を駆けたファイターたち」(藤原京創都1300年記念祭「ロマントピア藤原京’95」で株式会社カプコンが作成)などが上映されていて、自由に選択して見ることができます。
橿原市藤原京資料室へのアクセス
奈良県橿原市縄手町178-1 JAならけん橿原東部経済センター2階
入室料:無料
時間:午前9時から午後5時まで(最終入室は午後4時30分までです)
休室:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)、年末年始(12月25日~1月5日)
無料駐車場があります(普通車30台、バス2台駐車可)。
![橿原市藤原京資料室の駐車場](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/05/image-5-62.jpg?resize=1024%2C767&ssl=1)
詳しくは橿原市の公式サイトをご覧下さい(橿原市藤原京資料室/橿原市公式ホームページ )。
橿原まちあるきまっぷ~藤原宮跡周辺を歩く
今回ご紹介した「橿原市藤原京資料室」は橿原市の観光マップ「橿原まちあるきまっぷ~藤原宮周辺を歩く」に掲載されています。
![橿原まちあるきまっぷ~藤原宮跡周辺を歩く](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/05/image-7-4.jpg?resize=1000%2C750&ssl=1)
周辺の観光スポットをこちらの記事でまとめてご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。