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神話の山に響く恋の調べ ―大伴坂上郎女が「始見(はつみ)」に託した想い(桜井の記紀万葉歌碑)

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生まれも育ちも奈良県で、古代史と神社仏閣巡りが好きなみくるです。

奈良県桜井市にある鳥見山の麓に鎮座する「等彌神社(とみじんじゃ)」は、神武天皇が即位後に皇祖神を祀った鳥見山霊畤(とみやまのまつりのにわ)」の伝承地として知られる、神話が息づく聖域です。

その静寂な境内の片隅に、かつてこの地で暮らした人々の「恋の吐息」を感じさせる一基の万葉歌碑が建っているのをご存知でしょうか。

かつて、その歌碑の傍らには一枚の説明板が建っており、そこには、新元号「令和」の幕開けとともに注目を浴びた、ある一族の物語が記されていました。

この歌碑は、『令和』の元となる万葉集の序文を記した大伴旅人の妹、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)跡見田荘(とみだのしょう)にて詠んだ万葉歌です。

その説明板に刻まれていたのは、「跡見(とみ)」ではなく「始見(はつみ)」という見慣れない二文字。

なぜ、一般的な表記と異なる「始見」という言葉が選ばれたのか。そこには、古い写本が今に伝える「愛しい人の瞳を初めて(始)見る(見)」という、あまりにもロマンティックな万葉びとの遊び心が隠されていました。

今回は、私自身が大切に保存していた当時の説明板の写真とともに、大伴氏の領地「跡見田荘(外山)」で紡がれた二つの対照的な歌、そして地名に秘められた愛の記憶を辿ります。

神話の山に響く、千数百年前の恋の調べに耳を澄ませてみませんか。

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萩と鹿の鳴き声に誘われて~等彌神社から吉隠へと続く万葉の恋心を辿る旅〜

大伴坂上郎女の歌碑が建つ場所

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌碑は、等彌神社の境内にある「上津尾社(かみつおしゃ)」へ向かう石段の傍らに建っています。

こちらの石段を上ると、上津尾社の拝殿があります。

こちらには、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られています。

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令和のルーツ、大伴一族の足跡

等彌神社の境内に建つ大伴坂上郎女の歌碑です。

令和2年(2020年)に参拝した折には、この歌碑の傍らに一枚の説明板が建っていました。

そこには、令和の時代の始まりに多くの人が耳にした、ある一族の名が記されていました。

この歌碑は、『令和』の元となる万葉集の序文を記した「大伴旅人(おおとものたびと)」の妹、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が跡見田荘(とみたどころ)で詠んだ万葉歌です。

妹(いも)が目を始見(はつみ)の崎の秋萩は
 此月(このつき)ごろは散りこすなゆめ
(巻八- 一五六〇) 服部慶太郎 筆

新元号「令和」に沸いたあの頃、万葉集への関心が高まる中で目にしたこの言葉は、今も私の心に強く残っています。

「令和」の典拠となった「梅花の宴」の序文を記した旅人。その妹であり、万葉集を代表する女流歌人である坂上郎女。彼女がこの地、大伴氏の領地であった「跡見田荘(とみだのしょう)」で萩を愛でていた情景が目に浮かぶようでした。

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萩の花に映る「愛しい人の瞳」

歌碑に刻まれているのは、万葉集 巻8-1560の一首です。

(題詞)
大伴坂上郎女の跡見田庄(とみのだのしょう)にして作れる歌二首

(原文)
妹目乎 始見之埼乃 秋芽子者
此月其呂波 落許須莫湯目

(読み下し)
妹が目を 始見の崎の 秋萩は
この月ごろは 散りこすなゆめ

万葉集 巻8-1560 大伴坂上郎女

(かな)
いもがめを はつみのさきの あきはぎは
このつきごろは ちりこすなゆめ

(現代語訳)
あの子の(萩のように愛らしい)目を見たくてたまらず、秋萩が露に濡れているなか、私はずっと外で待っています。

この歌は大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)跡見田荘(とみだのしょう)で詠んだ二首の歌のうちのひとつです。
大伴坂上郎女は大伴旅人(おほとものたびと)の妹で、大伴家持(おほとものやかもち)の叔母です。

妹が目(愛しい人の目)」という表現が、なんとも情熱的です。可憐に咲く萩の花を、大好きな人の瞳に見立てたのでしょうか。

露に濡れながらも、じっと再会を待つ。坂上郎女が男性の立場に立って詠んだとされるこの歌には、時代を超えて胸を打つ一途な想いが込められています

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吉隠の山に響く、孤独な調べ

題詞に「大伴坂上郎女の跡見田庄にして作れる歌二首」とあるように、大伴坂上郎女が跡見田庄で詠んだ歌は、もう一首あります。すぐ次の巻8-1561の歌です。

(原文)
吉名張乃 猪養山尓 伏鹿之
嬬呼音乎 聞之登聞思佐

(読み下し)
吉隠の 猪養の山に 伏す鹿の
妻呼ぶ声を 聞くが羨しさ

(よみ)
よなばりの ゐかひのやまに ふすしかの
つまよぶこゑを きくがともしさ

(現代語訳)
吉隠(よなばり)の猪養(いかい)の山で、横たわっている鹿が妻を求めて鳴く声を聞くのは、なんと(独り身の私には)羨ましく、寂しいことでしょうか。

「跡見(外山)」から少し東へ進んだ、現在の桜井市吉隠の地。

先ほどの萩の歌では「愛しい人の瞳」を想い、心ときめかせていた彼女ですが、この歌では一転して、秋の山に響く鹿の声を独りで聞き、その睦まじさを「ともしい(羨ましい・切ない)」と詠んでいます。

華やかな恋心と、ふとした瞬間に訪れる深い孤独。この二首が続けて並んでいることで、坂上郎女という一人の女性の、揺れ動く繊細な心がより鮮明に伝わってくるようです

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二首を結ぶ「跡見田荘」という舞台と、坂上郎女の心の旅

万葉集を読み解くうえで欠かせないのが、歌の冒頭に記された「題詞(だいし)」です。

これは、その歌が「いつ、どこで、誰が、どのような状況で詠んだのか」を記した、いわば「歌のプロフィール」のようなもの。

今回ご紹介している二首の前後にも、重要なメッセージが添えられています。

跡見田庄(とみだのしょう)にて

萩の歌(巻8-1560)の前には、「大伴坂上郎女の跡見田庄にして作れる歌二首」という題詞があります。

これによって、この歌が単なる想像ではなく、彼女が実際に自一族の領地である「跡見(外山)」に滞在し、その風景の中で生まれたことが分かります。

地名の繋がりと心の揺れ

また、続く吉隠の歌(巻8-1561)も、この題詞の流れの中に置かれています。

題詞があることで、私たちは「外山から吉隠へと続く大和の道」を彼女が移動しながら、あるいはその地を思い浮かべながら、華やかな恋心と寂しさを交互に詠んだ……という、一人の女性の「心の旅路」を追体験することができるのです。

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歴史の舞台:「始見(はつみ)」か「跡見(とみ)」か

この歌を深く読み解く鍵は、その「地名」に隠されています。

現在、多くの観光案内や解説では、この地を桜井市の地名に合わせて「跡見(とみ)」と記しています。しかし、等彌神社に建っていた説明板や、万葉集の最も古い写本(西本願寺本など)を紐解くと、そこには「始見(はつみ)」という二文字が刻まれているのです。

なぜ表記が二つあるのでしょうか。 それは江戸時代の国学者たちが、「『始見』という地名は他に例がない。これは大和の名所である『跡見』の書き間違いか、別表記ではないか」と考証したことに始まります。

「始見」という文字には、「愛しい人の目を、初めて(始)見る(見)」という言葉遊び(序詞的なニュアンス)が込められているという説もあります

一方で、その場所自体は、現在の桜井市外山(とび)一帯を指す「跡見」であると考えられています。

万葉の「とみ」が、時代を経て現在の「とび」へ。 呼び名は少しずつ変化しましたが、この地がかつて大伴氏の領地(跡見田荘)であり、萩の名所として万葉びとに愛された記憶は、この歌碑の中に「始見」という古の文字とともに、大切に守り伝えられているのです。

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揮毫者・服部慶太郎氏が吹き込んだ「ことだま」

この歌碑をじっくりと眺めると、その流麗かつ力強い筆致に目を奪われます。揮毫したのは、昭和の奈良を代表する書道家、服部慶太郎氏です。

奈良県内の多くの万葉歌碑を手がけた服部氏。彼の手によって石に刻まれた文字は、単なる記録ではなく、千数百年前の風に揺れる萩の姿や、万葉びとの吐息までを現代に呼び起こしているかのようです。

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まとめ:令和から万葉へ、時代を超えて咲き続ける「心の萩」

神武天皇ゆかりの「鳥見山霊畤」という壮大な神話が息づく等彌神社。その境内に佇む一基の歌碑は、私たちに「言葉」が持つ不思議な力を教えてくれます。

写本に記された「始見(はつみ)」という二文字。 そこには、単なる地名を超えて、「愛しい人の瞳を、初めて(始)見る(見)」という、抗いようのない心のときめきが隠されています

萩の花を愛でるとき、その可憐さに「あの子の瞳」を重ね合わせ、初めて出会ったあの日の高揚感を思い出す――。そんな坂上郎女のロマンティックな遊び心に触れると、千数百年の時がすうっと消えて、当時の風が目の前を吹き抜けていくような錯覚さえ覚えます。

一方で、「吉隠(よなばり)」の山に響く鹿の声を独りで聞き、羨み、寂しがる。そんな彼女の飾らない素顔もまた、万葉集の「題詞」という道標(ガイド)が教えてくれる、この地の物語の一部です

「令和」という新しい時代。そのルーツである大伴一族の女性が、ここ「跡見(外山)」の里で紡いだ言葉たちは、今も色あせることなく輝いています。

今はもう説明板こそありませんが、写真の中に残された「始見」の記録と、石碑に刻まれた服部慶太郎氏の力強い筆跡は、今も変わらず私たちを万葉の秋へと誘ってくれます。

等彌神社を訪れた際は、ぜひ歌碑の前で立ち止まってみてください。そして、目の前の景色に「初めて出会った大切な人」の面影を重ねてみてください。きっと、あなただけの「心の萩」が、静かに咲き始めるはずです。

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桜井の記紀万葉歌碑

今回ご紹介した大伴坂上郎女の「妹が目を始見の崎の秋萩は…」の歌碑は、「桜井の記紀万葉歌碑」の60番に掲載されています。

桜井市内には、この歌碑のほかにも樹かげや草むらにひっそりと建つ記紀万葉歌碑が点在しています。注意深く歩くと、見過ごしていた風景や石仏、道標にも目が留まり、散策の楽しみがさらに広がります。

「桜井の記紀万葉歌碑」については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。歌碑の意味や背景、見つけ方のヒントも掲載しているので、桜井の古道散策の参考にぜひチェックしてみてください。

「桜井の記紀万葉歌碑」投稿一覧

大伴坂上郎女の歌碑が建つ等彌神社へのアクセス

奈良県桜井市桜井1176

参拝者用の無料駐車場が用意されています。

等彌神社の参拝者用の無料駐車場

こちらの記事では、等彌神社について詳しくご紹介しています。気になるアクセス方法、駐車場の情報や、境内図も載せていますので、ご参照ください。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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