生まれも育ちも奈良県で、古代ロマンが好きなみくるです。
奈良の地を歩いていると、教科書で見た歴史上の人物や出来事が、いまも息づいているように感じられる瞬間があります。
今回訪ねたのは、奈良県桜井市にある「上之宮遺跡(うえのみやいせき)」です。
ここは、聖徳太子が斑鳩宮を築く前に暮らした「上宮(かみつみや)」の候補地とされ、太子ゆかりの地として知られています。

発掘調査では、7世紀初頭の建物跡や園池跡が見つかり、飛鳥時代の邸宅跡としての姿が少しずつ明らかになってきました。
池を中心にした美しい庭園跡は、古代の人々の美意識を今に伝えています。
また、山岸涼子さんの普及の名作『日出処の天子』でも、太子が過ごした「上宮」が印象的に描かれています。
今回は、そんな作品の世界を思い浮かべながら、上之宮遺跡を歩いてみました。
聖徳太子の「上宮」跡か?桜井・上之宮遺跡を訪ねて
上之宮遺跡ってどんなところ?
「上之宮遺跡(うえのみやいせき)」は、古墳時代後期から飛鳥時代(6世紀末〜7世紀初頭)にかけて、この地域を治めた超有力者の居館があったとされる場所です。
何よりも注目すべきは、その時代と場所、そして遺構の格式です。

居館の規模と格式
発掘調査の結果、一辺が50m以上ある柵に囲まれた区画の中から、高貴な身分の人が住んだとされる四面庇(しめんびさし)付きの大型建物の跡や、規則的に配置された建物の跡が見つかりました。
この時期にこれほどの規模で整備された邸宅は非常に少なく、まさに「ロイヤルな邸宅」だったことがうかがえます。
飛鳥時代のロイヤルガーデン「園池遺構」
邸宅の西側からは、石で護岸された方形の園池(えんち)遺構が発見されました。

この園池は現在、「上之宮史跡公園」として当時の姿が原寸大で復元されており、見学できます。


池の周りからは桃やスモモの核が大量に出土しており、ここは水辺の景観を楽しみながら、貴人が遊興や宴会を催した優雅な庭園だったと考えられています。

「聖徳太子の上宮説」の証拠とロマン
聖徳太子が居を構えた「上宮」
聖徳太子は幼少の頃、磐余に居を構えていました。その宮殿は上宮(かみつみや)とよばれていました。日本書記の記述に、
是の皇子、初め上宮に居しき。後に斑鳩に移りたまふ。
父の天皇、愛みたまひて、宮の南の上殿に居らしめたまふ。故、その名を称えて、上宮厩戸豊聰耳太子と謂す。
とあります。
父の用明天皇の宮は、磐余池辺雙槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)であることから、上宮はその南にあった事が判ります。
聖徳太子「上宮説」を支持する証拠
- 「上之宮」という地名:古くからこの地が「上之宮」と呼ばれてきた伝承があり、『日本書紀』の記述にある「上宮(上殿)」にちなむと解釈されている。
- 築造時期:遺構の最盛期が6世紀末~7世紀初頭であり、聖徳太子が斑鳩宮に移る前(570年代~605年頃)の時期と一致する。
- 遺構の格式:四面庇付きの大型建物や第1級の規模・格式を持つ園池など、当時の有力者の中でも特に高貴な人物の居館にふさわしい構造である。
- 高貴な人物の生活を示す遺物:日本最古級の木簡、鼈甲の破片、琴柱形の木製品など、豪族の屋敷を超えた、皇子のような貴人の生活や遊興、威信を示す品々が出土している。
聖徳太子「上宮説」に異論を唱える見解
- 『日本書紀』との方角の矛盾:上宮は父である用明天皇の磐余池辺雙槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)の「南の上殿」にあったと記されている。
- 推定地の食い違い:磐余池辺雙槻宮の有力な推定地との位置関係を厳密に照らし合わせると、上之宮遺跡がその「南」の高台(上殿)にあたらない可能性が指摘されている。
- 阿倍氏の居館説:磐余地域を拠点とする有力な豪族、特に阿倍氏の邸宅跡である可能性も指摘されている。
- 祭祀場の可能性:西側の園池遺構について、庭園としての機能だけでなく、水源に対する祭祀機能を持った施設であったとする説も一部にある。
広がるロマン
上之宮遺跡は、当時の畿内において他に類を見ない大規模・高規格な居館跡であり、聖徳太子の「上宮」の有力な候補地の一つであることは間違いありませんが、文献史料との厳密な地理的整合性や、別の有力豪族の関与といった点で、現在も議論が続いている状況です。
考古学的にはまだ断定はできませんが、「この格式、この時期、この地名…」と考えると、ロマンが広がります。
園池にみる古代の美意識
上之宮遺跡で確認された方形の池は、生活用水ではなく、景観を楽しむための園池(えんち)とみられます。
当時の貴族邸宅では、池のほとりに建物を配し、水面に映る風景や四季の変化を楽しむ文化がありました。
このような庭園的構造は、明日香村の島庄遺跡にも見られます。
また、都の中心にあった飛鳥京跡苑池も、儀礼や宴の場として水辺を生かした空間構成をもっており、
これらを並べてみると、「庭園と権力」の関係が時代とともに変化していったことが分かります。
飛鳥京跡苑池については、次の記事で詳しくご紹介します。
古代の生活をリアルに描く!『日出処の天子』の世界
上之宮遺跡や聖徳太子の時代に興味を持ったら、ぜひ読んでいただきたいのが、山岸涼子さんの不朽の名作『日出処の天子(ひいづるところのてんし)』です。
緻密な時代考証に基づいたこの作品は、華やかな宮廷の様子や、皇子・豪族たちの人間関係、そして当時の生活感までを鮮烈に描き出しています。
上之宮遺跡で見学した「貴人の生活」を、漫画を通してより深く理解できるはずです。太子の孤独や葛藤、そして時代を動かす知恵と力を感じてみてください。
古代史ロマンに浸りたい方は、ぜひチェックしてみてくださいね。
まとめ:伝承が息づく静かな地へ
奈良県桜井市の上之宮遺跡は、発掘調査で建物群と園池跡が確認された、飛鳥時代初期の貴重な邸宅跡です。
聖徳太子の上宮説は確定していないものの、伝承が息づくこの地には、古代人の美意識と信仰が静かに残っています。
当時の有力者たちの生活、そして聖徳太子の足跡をたどる旅は、きっと新しい発見があるはずです。ぜひ桜井市の歴史散策を楽しんでくださいね。
この動画は、聖徳太子と関連する遺跡について、考古学的な視点から詳しく解説しており、上之宮遺跡をより深く理解するのに役立ちます。
次回は、飛鳥京跡苑池をテーマに、都の中心でどのように「水と庭」が演出されていたのかを探ります。
そして、島庄・上之宮・苑池の三つを比較しながら、古代庭園文化の系譜をたどっていきましょう。
関連リンク
- 島庄遺跡の庭園と方形池(明日香村)
- (次回予定)飛鳥京跡苑池の記事
上之宮遺跡へのアクセス
奈良県桜井市上之宮
駐車場はありません。
最寄り駅のJR・近鉄 桜井駅からは、徒歩約22分です。
最後までお読み頂きありがとうございます。