万葉集が愛した歌枕【泊瀬川】古人が詠んだ故郷への想い(奈良県桜井市)

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景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。

私が住む奈良県の広報誌「県民だより奈良」に、毎月楽しみにしているコーナーがあります。「はじめての万葉集」です。

2025年7月号では、当サイトでもご紹介している「三輪山」を詠んだ歌が掲載されていましたので、ご紹介させていただきます。

大神神社の大鳥居と三輪山
大神神社の大鳥居と三輪山
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「初瀬川を歩く」今に息づく万葉の情景

いにしえの歌人が愛した清流「初瀬川」

奈良県桜井市を訪れると、今も昔も変わらぬ里山の風景が心を和ませてくれます。特に、この地を流れる初瀬川(古くは泊瀬川)は、『万葉集』に数多くの歌が詠まれた「歌の故郷」です。

初瀬川の情景

初瀬川(はつせがわ)は、古くから歌に詠み込まれる「歌枕うたまくら」としても、その名を馳せてきました。 歌枕とは、和歌を詠む際に特定の情景や感情を喚起するために用いられる、地名や名所のことを指します。

初瀬川が歌枕とされたのは、その美しい景観はもちろんのこと、古代の宮が営まれた聖なる地としての歴史や、人々が行き交う交通の要衝であったことなど、様々な要素が絡み合っているからです。

泊瀬川と初瀬川

初瀬川は、『万葉集』(8世紀)では一貫して「泊瀬川(はつせがわ)」と表記されています。平安時代以降(特に国風文化が進んだ時期)になると、「初瀬(はつせ)」という表記が詩歌や地名に用いられるようになり、『古今和歌集』では「初瀬川」と表記されています。

泊瀬川が「初瀬川」と表記されるようになった正確な時期を特定するのは難しいのですが、平安時代以降に徐々に「初瀬川」の表記が一般化していったと考えられます。

現代では、基本的に「初瀬川」が公的な表記として用いられています。

今回は、そんな歌枕「泊瀬川」のほとりで詠まれた、とある一首に心を寄せてみたいと思います。

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歌に込められた変わらぬ思い「三諸の神の帯ばせる泊瀬川」

(題詞)
大神大夫任長門守時集三輪河邊宴歌二首

(原文)
三諸乃 神能於婆勢流 泊瀬河
水尾之不断者 吾忘礼米也

(読み下し)
三諸の 神の帯ばせる 泊瀬川
水脈し絶えずは われ忘れめや

万葉集 巻9-1770 三輪高市麻呂

(現代語訳)
大神大夫おおみわのまほろ長門守ながとのかみに任命され、その時に三輪の河辺で催された宴で詠んだ歌二首

三諸の神が帯のようにめぐらしておられる泊瀬川の、水の流れが絶えない限り、私はあなた方を決して忘れることはありません。

この歌は、題詞によると、三輪朝臣高市麻呂(みわのたけちまろ)が長門守(現在の山口県長門市周辺の国司)に任じられ、任地へ赴く際に、三輪山近くの泊瀬川のほとりで開かれた送別の宴で詠まれものです。

題詞とは、歌の前に置かれ、歌の主題や歌が詠まれた事情や年月、歌を詠んだ人の情報などを漢文で記したものです。

  • 「三諸の神の帯ばせる泊瀬川」: 「三諸」は、神が鎮座する場所、特に三輪山を指します。三輪山は山そのものが神として信仰されており、その麓を流れる泊瀬川は、あたかも神が身につける帯のように神聖なものとして捉えられています。
  • 「水脈(みを)し絶えずは」: 「水脈」は水の流れ、水筋のことです。泊瀬川の清らかな流れが絶えることがないように、という比喩表現です。
  • 「われ忘れめや」: 「忘れめや」は反語表現で、「決して忘れない」という意味になります。

高市麻呂は、決して尽きることのない泊瀬川の清らかな流れに、故郷や送別会に集まってくれた人々への変わらぬ思いを重ね、その絆が永遠に続くことを誓っているのです。

別れの寂しさの中にも、故郷への深い愛情と、友人たちへの変わらぬ友情が込められた、情熱的で美しい歌と言えるでしょう。

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作者は三輪の人?伝・三輪高市麻呂の作とされる

「県民だより奈良」の「はじめての万葉集」では、三輪高市麻呂の作として紹介されているのですが、歌の作者は明記されていないため、作者不詳としているサイトもあります。

『続日本紀』によれば、高市麻呂は大宝2年(702年)正月に長門守に任じられているので、この歌はその折の送別会での歌と見られ、これから長門国へ赴任する高市麻呂が宴会の参加者に向かって歌いかけたものと考えられています。

初瀬川の情景
初瀬川

三輪高市麻呂は三輪の氏族に連なる人物です。泊瀬川や三輪山を身近に感じていたからこそ、ここまで豊かな感性で詠み上げられたのかもしれません。

三輪山
三輪山
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初瀬川が教えてくれる、変わらぬ心の風景

約1300年前の歌でありながら、この歌が持つメッセージは、現代に生きる私たちにも強く響きます。

泊瀬川が現在も豊かな水脈をたたえるように、川の流れは容易に絶えることはありません。

離れて暮らす大切な人、心を分かち合った友人、そして忘れることのできない故郷の風景。それらに対する変わらぬ思い、永遠に大切にしたい絆は、いつの時代も変わらない人の心の真実なのでしょう。

今も流れる歌の舞台を訪ねて

現代の桜井市にも、泊瀬川(初瀬川)は変わらず静かに流れています。

川沿いには「仏教伝来の地」の碑が立ち、遠く三輪山を望むことができる金屋河川敷公園などもあります。

金屋河川敷公園
金屋河川敷公園

歌が詠まれたままの情景を、私たちも体感できるのです。

「仏教伝来の地」の碑
「仏教伝来の地」の碑

万葉の恋の歌を胸に、泊瀬川のほとりを歩いてみませんか?
忘れえぬ想いを抱いて生きた古代の人々の姿が、そっと重なって見えてくるかもしれません。

今回ご紹介した歌が掲載されている「はじめての万葉集」(2025年月6号)は、こちから閲覧できます。

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金屋河川敷公園

金屋河川敷公園は、桜井市内を流れる初瀬川の河川敷に整備された公園です。公園からは、古来より神の山として崇められてきた三輪山が正面に望めます。この雄大な景色が公園の大きな魅力の一つです。

金屋河川敷公園から望む三輪山

広々とした河川敷のスペースを生かし、散歩やジョギング、ピクニック、子どもたちの遊び場など、市民の憩いの場として利用されています。

金屋河川敷公園

公園周辺は「山の辺の道」にも近く、万葉集にも詠まれた歴史ある地域です。そのため、散策しながら古代のロマンを感じることもできます。

金屋河川敷公園近くの山の辺の道

春には川沿いに桜や菜の花が咲き、散策にぴったり。初夏~秋には緑の三輪山と澄んだ川が心を和ませてくれる憩恋の場です。

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金屋河川敷公園へのアクセス

奈良県桜井市金屋85-1

R桜井駅/近鉄桜井駅から徒歩15分程度。
バスは「金屋」停留所からすぐ。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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