生まれも育ちも奈良県のみくるです。幼い頃より何となく参拝してきた県内に数多くある神社仏閣について、きちんと知りたいと思っています。
奈良県奈良市にある真言律宗の総本山「西大寺」をご紹介します。奈良時代に創建された由緒あるお寺で、「南都七大寺」の一つに数えられます。
鎌倉時代中期に叡尊上人によって再興されたこと、大茶盛式が行われることでも知られます。

奈良といえば東大寺を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、「西大寺」も見逃せない歴史あるお寺です。
近鉄「大和西大寺駅」から徒歩5分ほど、アクセス抜群のこのお寺は、静かで落ち着いた空気の中に、深い歴史と文化が息づいています。
真言律宗総本山・西大寺の歴史と見どころ
西大寺の概要と歴史
西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市にある真言律宗の総本山で、「南都七大寺」の一つに数えられる歴史あるお寺です。
西大寺の創建は、天平宝字8年(764年)に、聖武天皇の娘である孝謙上皇(重祚して称徳天皇)が、恵美押勝の乱の平定を祈願して四天王像の造立を発願したのが始まりです。翌、天平神護元年(765年)には、東大寺に対する「西の大寺」として創建されました。当初は広大な寺域に100を超える堂宇が建ち並び、南都七大寺随一と称されるほど壮大な伽藍を誇っていました。

平安時代に入ると、たび重なる天災や火災、そして平安京への遷都により一時衰退しましたが、鎌倉時代中期に興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)によって真言律宗の根本道場として再興されました。
叡尊は荒廃した寺を立て直し、密教と戒律を兼修する「真言律」の教えを広め、現代に続く西大寺の基盤を築きました。江戸時代にも再建が行われ、現在の伽藍の姿となりました。
西大寺の宗派とご本尊
西大寺は、真言律宗の総本山です。真言密教の宗義に基づきながら、根本仏教の出家戒である「具足戒」と、金剛乗の戒律である「三昧耶戒」を修学する一派です。

本堂に安置されているご本尊は、釈迦如来立像です。
鎌倉時代に叡尊上人が、京都・清涼寺の釈迦如来像を模刻させたもので、建長元年(1249年)に開眼されました。胎内には多くの納入品が納められており、叡尊一門の釈迦信仰の根本像とされています。
西大寺の見どころ
西大寺の境内は、かつての広大な伽藍の一部ですが、現在は江戸時代に再建された堂宇が中心となっており、落ち着いた雰囲気が特徴です。

主な見どころとしては、本堂(巨大な木造建築で本尊の釈迦如来像を安置)、四王堂(十一面観音像など)、愛染堂(秘仏の愛染明王像)、そして聚宝館(寺宝を展示)などがあります。
静かで厳かな空気が漂い、鎌倉時代に叡尊上人が再興した真言律宗の寺院としての歴史と趣を感じることができます。
西大寺の境内
西大寺の伽藍
現在の寺域は約1万坪弱で、本堂・愛染堂・四王堂・不動堂・大黒堂・大師堂・鐘楼・南門・東門などの堂舎が建ち並びます。
これらは全て江戸中期以降の再建です。塔頭寺院は、江戸時代には13院ほどありましたが明治になって取畳みが進み、現在では寺域内にある法寿院・清淨院・華蔵院・増長院・護国院・一之室院の各院と、寺の西北にある興正菩薩の墓所(五輪塔)を中心とする躰性院(奥之院)の計7院がその寺格を伝えています。
興正菩薩住房の西僧房に由来する西室の建物は、総本山宗務所(寺務所)とされています。拝観は、本堂・愛染堂・四王堂(以上の三堂は年中無休)・聚宝館(開館期間限定)の4ヶ所で行われています。
本堂
本堂は、創建以来度重なる火災に見舞われ、現在の建物は江戸時代中期、寛政年間(1789年~1801年)頃に完成したものです。国の重要文化財に指定されています。

桁行七間(正面の柱の間が7つ)、梁間五間(奥行きの柱の間が5つ)の一重(一層)の寄棟造で、本瓦葺の非常に大きな仏堂です。
最大の特徴は、土壁を一切用いず、総板壁で構成されているという珍しい建築技法にあります。これは江戸時代の仏堂としては奈良市屈指の規模を誇ります。

堂内は、中央に本尊を安置する内陣があり、その周囲東西南の三方に参拝者が入る外陣を配した伝統的な密教寺院の様式を伝えています。
本堂の中央には、西大寺の本尊である釈迦如来立像(重要文化財)が安置されています。
向かって左側には文殊菩薩騎獅像ならびに四侍者像(重要文化財)、向かって右側には丈六の巨大な弥勒菩薩坐像(重要文化財)が安置されています。 真言律宗の祖師である弘法大師空海と、西大寺を再興した興正菩薩叡尊上人の木彫肖像も安置されています。
東塔跡
東塔跡は、現在の西大寺の本堂の前に位置しており、創建当初の西大寺の壮大な姿を今に伝える重要な遺構です。

西大寺は、東大寺に対する「西の大寺」として、天平神護元年(765年)に称徳天皇(孝謙上皇)の発願で創建されました。当初の伽藍には、現在の東大寺のように、大仏殿(西大寺では二つの金堂)を挟んで東西に巨大な塔がそびえ立つ計画でした。

平安時代以降、度重なる火災や兵乱により、西大寺の多くの堂塔が失われました。東塔も例外ではなく、室町時代の文亀2年(1502年)の兵火により焼失してしまいました。
その後、江戸時代にも再建の試みはあったようですが、宝永4年(1707年)の地震で最終的に倒壊し、現在では基壇と礎石(礎石は心礎1基と小ぶりの礎石7基)のみが残っています。

西塔跡と蓮園
西塔跡は、東塔跡と並び、かつては壮大な伽藍の一部として存在した塔の跡ですが、現在の境内では、東塔跡のように目に見える明確な基壇や礎石が残っていましせん。
「西塔跡」と書かれた石碑が立っているのみで、その周辺は庭園の一部や他の建物が建つ場所となっています。

西塔跡の石碑は、藍染堂の裏の平和観音像の近くに建っていて、周囲は蓮園になっています。

こちらの記事では、奈良市内のお寺を巡る初夏の風物詩「奈良・西ノ京ロータスロード」をご紹介しています。
「奈良・西ノ京ロータスロード」は、奈良県奈良市西部の「西ノ京」エリアと西大寺エリアにある4つのお寺(西大寺、喜光寺、唐招提寺、薬師寺)を巡る観光企画で、蓮の花が見頃を迎える初夏から夏(6月~8月頃)に開催されます。
愛染堂
愛染堂は、本堂西南、東塔基壇西方の位置に東面して建つ入母屋造・桟瓦葺向拝付の大型仏堂です。叡尊上人の住房であった西室の跡地に、江戸時代に京都の近衛家邸宅の御殿の寄進を受けて移築建立されました。
寝殿造風の外観の公家邸宅建築を仏堂としたユニークな堂舎です。

秘仏である愛染明王坐像(重要文化財)が安置されています。愛染明王は、恋愛成就、良縁、家庭円満、そして煩悩を悟りに変える力を持つとされる仏様です。
通常は秘仏のため公開されていませんが、年に2回開帳されます。開帳時期は西大寺の公式サイトなどで告知されます。

中央に興正菩薩寿像(国宝)もお祀りします。鎌倉時代の弘安3年(1280)に完成した叡尊上人の坐像です。80才の賀を記念して生前に製作された寿像であり、叡尊像の根本像。叡尊上人の生身の分身として大切に伝承されてきました。胎内に多くの納入品を納めます。
四王堂(観音堂)
四王堂は、西大寺創建の端緒となった称徳天皇誓願の四天王像をまつる仏堂です。

現在の堂舎は江戸時代の延宝2年(1674)の再建で、正面3間・奥行2間の寄棟造で、身舎の四周に裳階を廻らし、外観は二重風の建築となっています。堂舎周囲の版築基壇は奈良時代創建当初の規模を伝えます。

鎌倉時代に、鳥羽上皇御願寺であった京都白河十一面堂院の本尊・十一面観音立像(重要文化財)が客仏本尊として移されてからは、観音堂とも称します。

創建当初の四天王像は失われ後世の再造ですが、その足下の邪鬼が奈良時代創建当初の姿を伝えています。
清淨院
清淨院は、参道を挟んで四王堂の向いに位置します。昭和59年に出火全焼しましたが、本尊諸仏は難をまぬがれ、翌年復興され現在に及びます。本尊不動明王坐像は宝山湛海作と伝えられます。

護摩堂(不動堂)
護摩堂は、寛永年間の末年頃(1643)に建立の寄棟造の方三間堂です。もともと愛染堂南辺にあったものを昭和54年に現在地に移建されました。奈良市指定文化財です。

宝山湛海作の不動明王をお祀りし、毎月28日には護摩祈願が行われます。
大黒堂
大黒堂は、もと塔頭の三光院(明治に取り畳まれた)の本堂であったと伝わります。現在は愛染堂の北東辺に移築されています。

堂内中央に大黒天半跏像をお祀りします。光明真言会前日の10月2日に会中の豊饒を祈念して大黒天供が行われます。
光明殿
光明殿は、境内の信徒会館です。昭和53年落成されました。主に大茶盛式を行う目的で建てられた和室の会館で、大広間、茶室、客室、玄関ロビーなどがあり、お茶会や稽古などで使用されます。

鐘楼
摂津の多田院にあった鐘楼が、幕末もしくは明治の初めに移建されたものです。

清和源氏の発祥の地に建立された多田院(兵庫県川西市)は、鎌倉時代に忍性が再興して以降、西大寺の末寺となり、明治の廃仏毀釈で寺院は廃寺となり、源氏五公をまつる多田神社となりました。

毎年大晦日には参拝者によって除夜の鐘が撞かれます。

鐘楼の傍らには、西大寺の創建を発願した孝謙天皇の万葉歌碑が建っています。

(原文)
此里者 継而霜哉置 夏野尓
吾見之草波 毛美知多里家利
(読み下し)
この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に
我が見し草は もみちたりけり
万葉集 巻19-4268 孝謙天皇
(現代語訳)
この里は続いて霜が降りるのでしょうか。夏の野で私が見た草(澤蘭)は、もう色づいていました。
南門
南門は、大和西大寺駅から少し離れた住宅街側に面しています。

切妻造、本瓦葺の四脚門です。

建造年代は不明ですが、鎌倉時代から室町時代中期にかけて造られたと考えられています。現在の西大寺境内では最古の建造物の一つです。

門の正面からは、東塔跡や本堂を眺めることができます。

東門
東門は、大和西大寺駅から最も近く、バス停からもアクセスしやすいため、一般の参拝者や観光客が主に利用する門となっています。

東門をくぐると、木々に囲まれた石畳の美しい参道が伸び、右手に四王堂、左手に清淨院が建ちます。そこから本堂や四王堂、愛染堂などの主要な建物へと進むことができます。

大茶盛式
大茶盛式(おおちゃもりしき)は、西大寺で開催される真言律宗の伝統行事で、鎌倉時代に叡尊上人が始めた独特の茶儀です。「一味和合」(身分や階級を超えた調和と平等)の精神を象徴し、巨大な茶碗(大茶碗)で抹茶を回し飲みする様子が特徴です。
「大茶碗」は、直径約40cm、重さ約7kgもあります。

叡尊上人は、貧しい人々や病に苦しむ人々を救済する活動(悲田院の設立など)に力を注がれました。この大茶盛式も、そのような衆生済度
の一環として、身分や貧富にかかわらず、すべての人々に平等に茶を施す「施茶」の精神に基づいて始められました。
大茶盛式は主に以下の時期に開催されます。
- 新春初釜大茶盛式 1月の第2日曜日
- 春の大茶盛式 4月の第2土・日曜日
- 秋の大茶盛式 10月の第2土・日曜日
これらの時期以外にも、団体申込で随時開催されます。申込方法など、詳しくは西大寺の公式サイトでご確認ください。
堂本剛さんのソメイヨシノ「剛桜」
東門の横にある西大寺幼稚園の前には、ソメイヨシノが植樹されています。

ソメイヨシノは、2008年4月20日に堂本剛さんが奈良市観光特別大使に任命されたことを記念して植樹されたものです。

堂本剛さんは西大寺幼稚園の出身であり、その縁もあって西大寺に2本のソメイヨシノを植えました。ファンからは「剛桜(つよしざくら)」と呼ばれ、親しまれています。現在も大切に管理されており、美しい花を咲かせているようです。
西大寺の拝観案内とアクセス
拝観案内
所在地 奈良県奈良市西大寺芝町1丁目1-5
拝観時間 8:30~16:30(入堂は30分前まで)
拝観料(本堂・四王堂・愛染堂 三堂共通拝観)
一般:800円
中・校生:600円
小学生:400円
※聚宝館は別途300円 年間3回開館 ( 1/15~2/4、4/20~5/10、10/25~11/15)
※境内無料
アクセス
近鉄「大和西大寺駅」南出口から徒歩約3分
駐車場
普通車:1時間300円(その後1時間超過ごとに200円)
マイクロバス:600円
バス:1,000円
西大寺へのアクセスや、拝観料に関する詳細は西大寺公式サイトをご確認下さい。
最後までお読み頂きありがとうございます。