景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
日本最古の道「山の辺の道」には38基もの歌碑が建てられています。全部を見つけたいと思っています。

今回は、観光パンフレット「山の辺の道」に掲載されている中から、25番の天智天皇の歌碑をご紹介します。
歌碑が建つ井寺池は、西に大和平野を、東に三輪山を一望できるビューポイントとして知られています。

井寺池の天智天皇の歌碑
東山魁夷と川端康成
今回ご紹介する25番の歌碑は、観光パンフレット「山の辺の道」には、作者は天智天皇とあるのですが、天皇に即位する前の中大兄皇子の名前で『万葉集』に収載されています。
歌碑は、奈良県桜井市三輪の井寺池にあります。上池と下池に仕切る堤にある川端康成揮毫の歌碑から、約20mほど北へ進んだ先です。

中大兄皇子(天智天皇)の歌碑を揮毫したのは、「唐招提寺御影堂障壁画」などで著名な東山魁夷です。

川端康成の『古都』などの装丁も手掛け、川端康成を大変尊敬していた東山魁夷が、川端康成の歌碑のそばが良いといわれ、現在の場所に決められたそうです。
こちらの記事では、川端康成が揮毫した倭建命(ヤマトタケルノミコト)の歌碑をご紹介しています。
井寺池に建つ天智天皇(中大兄皇子)の歌碑
井寺池にある天智天皇の歌碑は、中大兄皇子が大和三山を詠んだもので『万葉集』巻1-13に収載されています。
(題詞)
中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>
(中大兄皇子〔近江宮に天の下知らしめしし天皇〕の三山の歌一首)
(原文)
高山波 雲根火雄男志等 耳梨與
相諍競伎 神代従 如此尓有良之
古昔母 然尓有許曽
虚蝉毛 嬬乎 相<挌>良思吉
巻1-13 中大兄皇子
(読み下し)
香具山は 畝火ををしと 耳成と
相あらそひき 神代より
かくにあるらし 古昔も
然にあれこそ うつせみも
嬬をあらそふらしき
(現代語訳)
香具山は畝傍山を男らしい者として古い恋仲の耳成山と争った。
神代から、こうであるらしい。
昔もそうだからこそ、現実にも、愛する者を争うらしい。
この長歌は大和三山といわれる三つの山(香具山・耳成山・畝傍山)の伝説を詠ったものです。歌碑が建つ井寺池からは、大和平野と大和三山や二上山などの山々が望めます。

こちらの写真は、井寺池から西へ少し下った所で撮影したものです。手前右手に見えるのが耳成山です。その左隣には畝傍山が見えます。

白橿近隣公園に建つ中大兄皇子の歌碑
中大兄皇子が大和三山を詠んだ歌の歌碑は、橿原市白橿町の白橿近隣公園にも建っています。沼山古墳があることでもよく知られる場所です。

こちらの記事では、中大兄皇子の長歌にそえられた反歌二首と、大和三山の伝承も合わせてご紹介しています。
井寺池の天智天皇の歌碑へのアクセス
奈良県桜井市三輪
駐車場はありません。
山の辺の道沿いに建つ檜原神社からは、往復10分ほどの距離です。周辺には、他にも歌碑が建っています。

こちらの記事では、東山魁夷揮毫の歌碑の近くに建つ、久松潜一氏揮毫の歌碑をご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。