景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
日本最古の道「山の辺の道」には38基もの歌碑が建てられています。全部を見つけたいと思っています。
今回はこちらの中から、6番の東畝の歌碑をご紹介します。
山の辺の道は はるけく 野路の上に 乙木の鳥居 朱に立つ見ゆ
東畝の歌碑は、奈良県天理市乙木町の夜都伎神社の鳥居前に建っています。
夜都伎神社は、山の辺の道沿いの、奈良県天理市乙木町の北方の集落から少し北に離れた宮山(別名、たいこ山)に鎮座します。
こちらの記事で詳しくご紹介しています。
山の辺の道ははるけく 野路の上に
乙木の鳥居 朱に立つ見ゆ
東畝
山の辺の道をはるばる歩いてきた。行く道の先には乙木の鳥居が、ひときわ赤く立っている。
東畝(廣瀬東畝)は、明治8年(1875年)生まれの、高知県出身の日本画家です。花鳥画をもっとも得意とし、優雅、佳麗な作風でした。
ここで言う「赤く立っている」鳥居は、現在も建っている朱塗りの鳥居のことでしょうか?
山の辺の道からは少し外れますが、奈良県道51号天理環状線沿いの乙木口のバス停の近くに、朱塗りの鳥居が建っています。夜都伎神社から100mほど西です。
嘉永元年(1848年)4月に奈良の春日若宮から下賜されたものと伝えられるので、東畝が活躍した頃には、ここに建っていたことになります。
山の辺の道を歩いてくると、道の先に朱塗りの鳥居が立っているのが見えます。
画家らしい写実的な表現だと思いました。
観光パンフレット「山の辺の道」には、「作者/東畝(池田 源太)」とあるので、池田源太さんの雅号が「東畝」かと思い調べましたが、どうやら別人のようです。
池田源太さんは、大分県出身の日本文化史学者、奈良教育大学名誉教授、龍谷大学教授です。著書に『大和三山』、『三輪明神への接近 大神神社 』などがあります。
橿原市大久保町に池田源太さん揮毫の歌碑があるので、東畝の歌碑の揮毫者ということで括弧書きされているのだと思いました。
夜都伎神社へのアクセス
奈良県天理市乙木町765
駐車場はありません。
天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)より、山の辺の道を歩いて約7分です。
こちらの記事では、内山永久寺跡に建つ松尾芭蕉の句碑をご紹介しています。芭蕉がまだ「宗房」と号していた頃に、内山永久寺の桜の美しさに驚いて詠んだ句です。
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