景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
日本最古の道「山の辺の道」には38基もの歌碑が建てられています。
今回はこちらの中から、4番の松尾芭蕉の句碑をご紹介します。
うち山や とざましらずの 花ざかり
句碑は天理市杣之内町の内山永久寺跡の池の畔に建っています。
句は、松尾芭蕉(1644-1694)が、まだ「宗房」の号で出身地の伊賀上野に住んでいた頃の作品です。
うち山や とざましらずの 花ざかり
宗房
(句意)
今、内山永久寺に参詣してみると、見事なまでに満開の桜でうめつくされている
この句は、松尾芭蕉(1644-1694)が江戸へ下る以前、まだ出生地の伊賀上野に住んで、「宗房」と号していた頃の作品である。いつの頃にこの地を訪れて作られたか、それは明らかではないが、寛文10年(1670年)6月頃刊行の『大和順礼』(岡村正辰編)に収められているところから、この年以前、すなわち23、4歳の頃までに詠んだものであろう。
(句意)今、内山永久寺に参拝してみると、見事なまでに満開の桜でうめつくされている。
土地の人々はこの桜の花盛りをよく知っているのであろうが、外様(よその土地の人々)は知るよしもないのである。
内山永久寺跡の説明板
よその町から来る人には知られていない桜が咲き誇っている様が詠まれており、若き日の芭蕉がその華やかさと美しさに驚いたことが伺えます。
句碑背面に解説がありました。
句碑の文字は芭蕉直筆による「貝おほひ(寛文12年)」から集字拡大したものとあります。また、碑石は木堂町の厚志による旧内山永久寺の庭石であるとも。
芭蕉の直筆であること、廃仏毀釈で破壊され、廃寺となった内山永久寺の庭石を利用されていることを知り感嘆しました。
現在も、かつての本堂池の周囲には、桜が植えられていて、桜の季節には素晴らしい景観を見せてくれます。句碑も桜に彩られ、芭蕉の思いに触れることができます。
「山の辺の道の歌碑」が掲載されている観光パンフレット「山の辺の道」の表紙は、内山永久寺跡の桜です。山の辺の道を代表する名所なんですね。
桜の咲く頃には花びらが池の水面に散り敷き、本堂池の水面に映る姿を一目見ようと、カメラを持った人や花見の人などで賑わうそうです。
廃仏毀釈の嵐に飲まれたかつての大寺「内山永久寺」。その栄華の片鱗を、若き日の名俳人に見せて頂きました。
内山永久寺跡へのアクセス
奈良県天理市杣之内町
駐車場はありません。
天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)より、山の辺の道を歩いて約20分です。石上神宮までは約16分です。
こちらの記事では、かつては「西の日光」と呼ばれ大寺「内山永久寺」の歴史と、内山永久寺跡の景観をご紹介しています。
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