スポンサーリンク

パワースポット【等彌神社】神武天皇建国の地で感じる鳥見山信仰と異形の八咫烏(奈良県桜井市)

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています。

生まれも育ちも奈良県で、神武東征のドラマを追っているみくるです。 奈良県は、初代天皇である神武天皇が最終的に都を定め、日本の国づくりを始めた、まさに「国のはじまりの地」です。

そんな奈良の地で、神武天皇が即位後に初めて皇祖神を祀り、自ら神事を行ったとされる「聖地中の聖地」をご存知でしょうか。

それが今回ご紹介する、桜井市の等彌神社(とみじんじゃ)です。

地元では「とみさん」の名で親しまれ、紅葉の名所としても有名ですが、ここは単なる美しい神社ではありません。背後にそびえる「鳥見山(とりみやま・とみやま)」は大嘗祭(だいじょうさい)の発祥地であり、等彌神社はその聖域への入り口を守る、非常に重要な古社なのです

今回は、古代史好き・スピリチュアル好きの方に向けて、古代祭祀の気配を色濃く残す、等彌神社の深淵な魅力をご紹介します。

スポンサーリンク

【等彌神社】古代祭祀の気配が残る始まりの社

等彌神社の御由緒

奈良県桜井市桜井に鎮座する「等彌神社(とみじんじゃ)」は、創建年代は不詳ですが、平安時代の法令集『延喜式(えんぎしき)』の神名帳に記載されている「式内社(しきないしゃ)」であり、非常に古い歴史を持つ神社です。

古くから鳥見山の山中に祀られていましたが、天永3年(1112年)の山崩れにより現在の地に社殿が移されたと伝わっています。

社名の「等彌(とみ)」は、神武天皇が皇祖神を祀った「鳥見山(とりみやま・とみやま)」に由来し、中世には「能登宮(能登の宮)」とも呼ばれていました。

スポンサーリンク

ヤマトの原点、鳥見山の「里宮」として

神武天皇の東征伝説において、最大のクライマックスとなる大和の平定。 即位して初代天皇となった神武天皇が、皇祖神である天照大神を祀るために選んだ場所が、この神社の背後にそびえる鳥見山です。

日本書紀には、その場所を「鳥見山中霊時(とみのやまのなかのまつりのにわ)」と記しています。

等彌神社は、いわばその聖域である山全体を御神体とする信仰の入り口であり、人々が日常的に祈りを捧げる「里宮(さとみや)」のような役割を果たしてきました。

神社の鳥居をくぐった瞬間、空気が変わるのを感じるでしょう。そこは観光地の喧騒とは無縁の、古代から続く祈りの場です。

山頂にある聖地「霊時」への登拝の様子は、こちらの記事で詳しく紹介しています。

スポンサーリンク

境内に鎮座する二つの社「上」と「下」のミステリー

等彌神社の境内を歩くと、「上津尾社(かみつおしゃ)」と「下津尾社(しもつおしゃ)」という二つの主要な社殿があることに気づきます。この配置には、この土地が刻んできた長い歴史ドラマが隠されています。

山から降りてきた神「上津尾社」

二の鳥居をくぐり参道を進みます。

百度石がある所で参道が二手に分かれており、左側が表参道、右側が裏参道となっています。

左側の表参道を進むと、上津尾社へ向かう石段があります。

上津尾社の拝殿です。

こちらには、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られています。

実は、この社はかつてここにはありませんでした。社伝によると、平安時代の永久元年(1112年)、鳥見山の大崩落によって社殿が流出し、現在の場所に奉遷されたと伝えられています。

つまり、かつてはもっと山の上、神武天皇が祈りを捧げた「霊時」に近い場所に祀られていた神様が、私たちの近くまで降りてきてくださったのです。

そう考えると、この社殿の前で手を合わせる意味がより深く感じられますね。

ちなみに、上津尾社のご祭神は一般的に知られる「天照大御神」ではなく「大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)」と記されています。

これは天照大御神の御名の中でも、『古事記』や『日本書紀』といった古い文献に登場する最も古い別名です。 「日(ひ)」の霊威を強く示し、神話の原点に立ち返る格式を持つこの古名を使うことは、等彌神社が日本の「創祀(はじまり)」に関わる聖地として、その歴史的権威を重んじている証だと言えるでしょう。

スポンサーリンク

神武天皇の本拠地「下津尾社」

上津尾社で参拝を済ませて、右側の石段を降ります。

裏参道を進みます。境内には、160余基もの石燈篭が立ちます。

下津尾社の鳥居です。

右殿は八幡社です。
磐余明神(神武天皇)、品陀和気命(応神天皇)をお祀りします。

神武天皇の和風諡号は「神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)」。
この「磐余(いわれ)」とは、まさにこの桜井市周辺を指す古地名です。ここが神武天皇の本拠地であり、国造りの拠点であったことを、この社は静かに物語っています

こちらの記事では、こうした歴史を裏付ける「神武天皇聖蹟 鳥見山中霊畤顕彰碑」をご紹介しています。

左殿は春日社です。
高皇産霊神、天児屋根命をお祀りします。

下津尾社の左隣には、恵比寿社が建っています。

こちらに建つ歌碑は、保田興重郎歌 棟方志功画のものです。
※別の記事でご紹介します。

スポンサーリンク

異形の「八咫烏」が放つスピリチュアルな存在感

等彌神社を訪れる古代史ファンやスピリチュアル好きが、密かに注目するものがあります。それは境内や社務所で見ることができる、ある「像」です。

神武天皇を熊野から大和へ導いたとされる三本足の烏、「八咫烏(ヤタガラス)」

一般的に八咫烏といえば、サッカー日本代表のエンブレムのような勇ましい姿を想像しますが、等彌神社に伝わる(出土したとされる)八咫烏の像は全く異なります。

つるりとした流線型の陶器製で、まるで宇宙人か精霊のような、どこかユーモラスで不思議なフォルムをしているのです。

等彌神社の異形の八咫烏像と、御朱印帳

江戸時代に境内から出土したとも言われるこの像。「カラス」という具体的な鳥の姿に固定される前の、古代の人々が感得した「神の使い」や「未知なるエネルギー」のイメージが、そのまま形になったものなのかもしれません。

等彌神社の授与品「八咫烏のお守り」

強く惹かれたので、八咫烏像がデザインされた手ぬぐいを頂いて帰りました。

等彌神社で頂いた「八咫烏の手ぬぐい」
スポンサーリンク

みくる的おすすめ!等彌神社と鳥見山を巡る「国はじめ」の旅

「うかねらふ跡見山」と神武天皇の霊畤(まつりのにわ)

等彌神社の拝殿で祈りを捧げるとき、その祈りは目の前の社殿だけでなく、その背後に広がる鳥見山、そして1300年以上前に神武天皇が「まつりのにわ」を開いた頂へと繋がっています。

境内には万葉歌碑も建っており、古の人々もこの神聖な空気に触れ、歌を詠んだことが偲ばれます。

おすすめの参拝ルート

時間に余裕があるなら、この等彌神社で心身を清めた後、ぜひ「鳥見山中霊時」への登拝に挑戦してみてください。

  1. 等彌神社(上津尾・下津尾)でご挨拶をする。
  2. 顕彰碑歌碑で歴史の重みを知る。
  3. そして、神武天皇が立った山頂の霊時へ。

麓の神社を知ることで、山頂での体験は何倍にも深いものになるはずです。 日本という国の「始まり」の場所。その静謐な空気を、ぜひ現地で体感してください。

※紅葉の時期の特別御朱印やライトアップ情報など、参拝のお役立ち情報は次回の記事で詳しくご紹介します。

等彌神社へのアクセスと駐車場

所在地

奈良県桜井市桜井1176

公共交通機関(電車・バス)でのアクセス

最も便利なのは、JR・近鉄の桜井駅を利用する方法です。

  • JR万葉まほろば線/近鉄大阪線「桜井駅」より
    • 徒歩:桜井駅南口より、南東へ向かって徒歩で約15分~20分ほどです。
    • バス:桜井駅南口から桜井市コミュニティバス(談山神社行き)に乗車し、「神之森町(かみのもりちょう)」バス停で下車するとすぐです。

お車でのアクセス

  • 駐車場:等彌神社には参拝者用の無料駐車場が用意されています。(約30台駐車可能)
  • 注意点:秋の紅葉シーズンや正月期間などは大変混雑します。鳥見山登拝をされる方も利用されるため、なるべく早い時間の訪問をおすすめします。

駐車場は鳥居横に1カ所(第一駐車場)と、奥に1カ所(第二駐車場)あります。

等彌神社の参拝者用の無料駐車場

第二駐車場

入口は狭いですが、駐車場は広く約30台駐車できます。

最後までお読み頂きありがとうございます。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました