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石舞台に匹敵!?【谷首古墳】阿倍丘陵最大の巨大横穴式石室を体感(奈良県桜井市)

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阿倍氏の氏寺として飛鳥時代に創建された「安倍文殊院(あべもんじゅいん)」が大好きなみくるです。

安倍文殊院のある阿部丘陵には、古代の有力氏族・阿倍氏と関係が深い古墳が数多く残されていることを知り、その足跡をたどるように古墳を巡っています。

今回訪ねたのは、丘陵の南端近くにある谷首古墳(たにくびこふん)
少し変わったこの名前、もとは「谷汲(たにくみ)」という字名が転訛したものとされており、由来を知ると不思議な響きにも納得がいきました。

谷首古墳のアイキャッチ画像

実際に現地を訪れてみると、墳丘の上には阿倍・八幡神社が鎮座し、信仰と古代の遺構が一体となった空間が広がっていました。

そして何より驚いたのは、玄室内に自由に入ることができるという点。
狭い入口をくぐると、中は想像以上に広く、天井も高く、整然とした石積みが今も美しく残っていました。石棺は見られませんでしたが、かつての埋葬施設を想いながら歩くと、古代の人々の営みにぐっと近づけるような気がして胸が高鳴りました。

谷首古墳は、石舞台古墳に匹敵する迫力を持つ横穴式石室を持つにもかかわらず、知名度が低いのが少し残念に感じられました。

この記事では、谷首古墳の魅力や歴史、体験の感動をたっぷりご紹介します。

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谷首古墳が示す古代豪族・阿倍氏の力

谷首古墳の概要

谷首古墳(たにくびこふん)」は、奈良県桜井市阿部地区の南端近くに位置する方墳で、規模は東西約35メートル、南北約38メートル、高さ約8.2メートルあります。

谷首古墳の墳丘

築造時期は6世紀末〜7世紀初頭と考えられ、阿部丘陵に点在する後期古墳群の中でも、最初の巨石墳として知られています。

谷首古墳の墳丘

この時期の古墳は、古墳時代の終わりを告げる「終末期古墳」に分類され、文殊院東古墳文殊院西古墳艸墓古墳コロコロ山古墳などとともに、阿倍氏の勢力を示す後期古墳群の一つです

谷首古墳の現地案内板

谷首古墳の最大の特徴は、南に開口する横穴式石室です。

谷首古墳の横穴式石室の開口部

入口は低く、身をかがめて入る必要がありますが、内部に入ると一気に空間が広がり、天井も高く、整然とした石積みの美しさが目を引きます。

谷首古墳の横穴式石室の羨道

さらに、墳丘の上には阿倍・八幡神社が鎮座しており、古墳と信仰が一体となった空間を同時に体感できるのも、この古墳の大きな魅力です。

谷首古墳の墳丘に鎮座する八幡神社
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『谷首』という名称の由来

玄室の迫力を堪能したあと、ふと気になったのがこの古墳の名前です。
谷首(たにくび)」という少し珍しい呼び名には、どんな由来があるのでしょうか。

実は、この地域では昔、「谷汲(たにくみ)」という字名で呼ばれていたそうです。
「谷汲」が時代を経るうちに転訛して「谷首」となり、古墳名として定着したという説があります
地元の歴史資料や古地図を見ても、古くは「谷汲古墳」として記されていた記録があるそうで、名称の変化を知ると、少し謎めいた響きの理由にも納得できます。

名前の由来を知ると、古墳をただの石の塊として見るのではなく、古代の人々と土地のつながりや、時代の流れを感じながら歩く楽しさが増します。
谷首古墳は、こうした地名の変遷を通しても、阿部丘陵の歴史や阿倍氏の足跡を身近に感じられる場所だと改めて思いました。

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八幡神社が鎮座する墳丘

谷首古墳のもう一つの魅力は、墳丘の上に鎮座する阿倍・八幡神社です。
古墳と神社が同じ空間に存在しているため、訪れると、古代の記憶と地域の信仰が一体になった空間を感じることができます。

谷首古墳の墳丘に鎮座する八幡神社の境内

墳丘への参拝道は、西と南の二か所に石段があり、西側の石段から鳥居をくぐって参拝すると、神社までの道の長さや高さを体感でき、かつては見晴らしが良かったであろう丘の位置を想像できます。

八幡神社の石段(西側)

南側の石段は、玄室へと続く道に近く、石室と神社を順に巡ることができます。

八幡神社の石段(南側)

境内には木々が生い茂っているため、古墳全体の形や石室の開口部の位置、周囲の景色をはっきりと見ることはできません。

それでも、墳丘に登れること自体が貴重な体験であり、階段の高さや傾斜から、古墳がかつて見晴らしの良い場所に築かれていたことを想像する楽しさがあります

八幡神社の石段と鳥居

神社に参拝して、長い石段を上りながら古墳に触れると、古代の人々の営みと、現代の私たちの祈りが重なるような感覚を味わえました。

八幡神社のご祭神は誉田別命(応神天皇)で、総本社である宇佐神宮からこの地に八幡信仰が根付いた経緯もあります。
詳しくは、八幡神社をご紹介している記事をご覧ください。

こうして、古墳と神社を一緒に体感できるのも、谷首古墳ならではの魅力です。

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横穴式石室の内部体験・自由に入れる魅力

谷首古墳の最大の魅力は、なんといっても横穴式石室に自由に入れることです

谷首古墳の横穴式石室の羨道

入口は低く、身をかがめて通らなければなりませんが、一歩中に入ると、思わず息をのむ広さと高さが待っています。天井の石積みは丁寧で、1400年以上前の職人たちの技術が今もはっきりと感じられました。

谷首古墳の横穴式石の室開口部(内部から)

残念ながら石棺は残されていません。おそらくかつての盗掘や破壊によって失われたのだと思われます。それでも、内部の空間を直接体験できることにより、古代の埋葬施設のスケールや石室の構造を肌で感じられるのが、この古墳ならではの魅力です。

谷首古墳の横穴式石室の玄室

壁や天井の石の配置を間近で観察できるため、写真や資料で見るよりも、石材の大きさや積み方の精巧さを実感できます。

谷首古墳の横穴式石室の天井

また、足元や頭上を意識しながら進むことで、当時の人々が石室をどのように利用していたのか、古代の営みを追体験するような感覚も味わえました。

谷首古墳の横穴式石室の巨石

個人的には、自由に内部を歩けることで、古代の空間を全身で体感できる点が一番の魅力だと感じました。
この経験は、単に古墳を「見る」だけでなく、古代の人々の息遣いや技術を五感で感じられる貴重な時間となりました。

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阿部丘陵の主要後期古墳群の中での位置づけ

谷首古墳は、桜井市の西部に広がる阿部丘陵の南端に位置し、周辺には阿倍氏と関係が深いとされる古墳が点在しています。
これらは総じて「阿部丘陵の後期古墳群」と呼ばれ、6世紀末から7世紀にかけて築かれた古墳時代終末期の有力首長墓として知られています。

なかでも谷首古墳は、阿部丘陵で最初の巨石墳とされ、後に築かれる大型の横穴式石室墳へと続く出発点的な位置づけを持ちます
この古墳を契機に、阿部丘陵では石材を巧みに積み上げた立派な横穴式石室が次々と築かれていき、丘陵全体が「阿倍氏の古墳群」として発展していったと考えられます

同じ阿部丘陵にある主な後期古墳としては、次のようなものがあります。

  • 文殊院東古墳:自然石と切石を組み合わせた両袖式横穴式石室を持つ方墳(または円墳)。
  • 文殊院西古墳:切石積みの横穴式石室が美麗で、天井石は一枚石。安倍倉梯麻呂の墓とする説あり。1952年に特別史跡指定。
  • 艸墓古墳(くさはかこふん):石室内に竜山石製刳抜式家形石棺が残る方墳。
  • コロコロ山古墳:阿部丘陵における横穴式石室方墳の初期段階を示す重要な方墳。
艸墓古墳の横穴式石室の開口部
艸墓古墳

これらはいずれも、阿倍氏一族の勢力が最も強かった時期の姿を伝える貴重な遺構です。
谷首古墳はその中でも、古墳群の原点的存在として位置づけられ、阿部丘陵の古墳文化を語る上で欠かせない重要な古墳といえるでしょう。

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知名度を超えた魅力!「石舞台古墳」に匹敵する谷首古墳

谷首古墳は、国特別史跡である石舞台古墳(奈良県明日香村)と比べると、その知名度ははるかに低いかもしれません。しかし、古墳愛好家や研究者の間では、その巨大な横穴式石室の規模や技術的な「企画性」において、「石舞台古墳に匹敵する」と評価されることがあります。

特に石室の造りには、以下の点で注目が集まります。

比較項目谷首古墳(桜井市)石舞台古墳(明日香村)評価される点
石室全長約13.8m約19.1m谷首も極めて大規模
玄室の高さ約4.0m約4.7m迫力のある高さは匹敵
石材花崗岩の巨石積み花崗岩の巨石積み巨石使用の迫力
築造時期7世紀初頭~前半7世紀前半頃同時代の権力誇示
企画性石室の構造に石舞台古墳と類似した設計思想が指摘される終末期古墳の最高傑作

谷首古墳の玄室の高さ4mは、国内でも有数のサイズであり、間近で見ると圧倒的な迫力です。阿部丘陵では最初に築かれた巨石墳でありながら、石舞台古墳と通じる高度な技術をすでに取り入れている点こそが、谷首古墳の最大の魅力なのです

石棺が失われた今もなお、巨石が残すその雄大な姿は、まさに阿部丘陵の石舞台と呼ぶにふさわしい古墳と言えるでしょう。

実際に内部に入ると、入口の狭さと内部の広さ・天井の高さのコントラストが圧巻で、資料や写真だけでは伝わらない古代の空間の迫力を体感できました。

石舞台古墳の魅力を知りたい方は、こちらの記事も合わせてご覧ください。

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まとめ|谷首古墳で感じる“阿部丘陵の原点

谷首古墳は、阿部丘陵の後期古墳群の中で最初の巨石墳として、阿倍氏一族の歴史や地域の信仰を感じられる貴重な存在です
墳丘の上に鎮座する阿倍・八幡神社
を参拝し、古墳に触れながら歩くことで、古代の人々の営みと信仰が息づく空間を体感できます。

また、玄室内に自由に入れる体験は、資料や写真だけでは得られない古代の空間の迫力や石積みの精巧さを五感で感じられる貴重な時間です。石棺が失われている今だからこそ、古墳を全身で味わうことができます。

阿部丘陵には、文殊院東古墳・文殊院西古墳・艸墓古墳、そして作成予定のコロコロ山古墳など、谷首古墳を含む後期古墳群が点在しています。
谷首古墳を訪れることは、阿部丘陵の古墳文化の原点に立ち、歴史を肌で感じる旅でもあるのです。

谷首古墳は、石舞台に匹敵する迫力を持ちながらも知名度が低い貴重な古墳。古墳の迫力、神社との一体感、名前の由来や歴史など、あらゆる角度から楽しめる、阿部丘陵古墳めぐりの出発点としておすすめです。

谷首古墳へのアクセス

奈良県桜井市阿部802

近鉄・JR「桜井駅」より南へ 徒歩約23分
駐車場はありません

谷首古墳と八幡神社を訪れた際には、周辺の歴史スポットもあわせて巡ると、より充実した古代散策が楽しめます。

  • 上之宮遺跡
    古代桜井地域の中心地として栄えた遺跡。発掘調査で古墳時代の建物跡や土器が発見され、谷首古墳との時代的・地域的なつながりを感じられます。
  • 春日神社
    上之宮遺跡の近くにある神社。聖徳太子ゆかりの場所としても知られ、古代から続く信仰の息吹を感じることができます。
  • 安倍文殊院
    学問の神として名高い安倍文殊院は、谷首古墳から車で約10分ほど。古代からの霊地と結びつく神社や寺院を巡ることで、桜井市の歴史的・文化的な深みを体感できます。

これらのスポットを組み合わせれば、半日〜1日で桜井市の古代史と信仰を満喫できる観光ルートになります。谷首古墳と八幡神社を中心に、歴史散策を楽しんでみてください。

こちらの記事では、安倍文殊院の歴史と見どころをわかりやすくまとめ、参拝や観光に役立つ情報をご紹介しています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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