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【山の辺の道「奈良道」寄り道ガイド 古墳編①】竹林に眠る黄金塚と、田園の巨大な前方後円墳

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山の辺の道を石上神宮から奈良まで歩いているみくるです。

山の辺の道「奈良道」を北へと歩き、13番から始まった「奈良道の歌碑を遡る旅」もいよいよ10番へ。

けれど、この日は歌碑巡りの合間に、どうしても立ち寄りたい場所がありました。

それが、帯解の里に点在する古墳たちです。
ガイドブックには大きく載っていないけれど、歩いているとふと目に飛び込んでくる歴史の影。そんな「寄り道」から始まった、古代の物語をご紹介します。

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陵墓参考地「黄金塚」と田園の巨大古墳

山の辺の道から見えた「気になる緑の丘」

のどかな田園風景の中を北へ進んでいると、ふと左手(西側)の田んぼの中に、こんもりとした緑の盛り土が見えてきました。

「あれは何だろう?」
そんな好奇心に誘われて、山の辺の道のルートを少しそれてみました。

高樋町の交差点の右の道が山の辺の道、左の道が「気になる緑の丘」のある道です。

有名な観光スポットではないけれど、何だか引き寄せられる……。そんな直感に従って出会ったのが、最初の寄り道スポットでした。

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田んぼの中にどっしりと。全長100mの「栗塚古墳」

山の辺の道をそれて左の道を進むと、緑の丘が現れました。

近づいてみると、そこには「山の辺の道『奈良道』を守る会」さんが設置してくださった案内板が建っていました。

「栗塚古墳」と「割塚古墳」とあります。

そこには驚きの事実が記されていました。 この緑の丘は、なんと全長100メートルにも及ぶ巨大な前方後円墳だったのです。

そのスペックを案内板から引用します。

栗塚古墳(奈良市高樋町植田)

  • 築造年代:古墳時代前期
  • 型式:前方後円墳
  • 規模:全長 百メートル
  • 出土品:不明
  • 被葬者:不明

案内板に添えられた計測図を見ると、この田園の中に横たわる巨大な前方後円墳の形がよく分かります。

さらに、その南西約70メートルのところには、直径30メートルほどの「割塚(わりづか)古墳」が位置しています。

割塚古墳は、古墳時代前期~中期に築造された円墳です。

時代を越えて大切に守られてきた、この地の力強さを感じる光景でした。

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高樋町から再び古道へ:10番歌碑の分岐点を越え、静かな竹林の入り口へ

「栗塚古墳」と「割塚古墳」に別れを告げ、再び歩き始めます。
高樋町の交差点に戻り、山の辺の道を750mほど歩くと、前回の記事でご紹介した10番・柿本人麻呂歌集の歌碑のある分岐点があります。

山の辺の道は右手の道ですが、今回は「帯解黄金塚(おびとけこがねづか)古墳」に行くために、左手の道を進みます。

帯解黄金塚古墳がある竹林の入り口の場所が分かりにくいので、道中の様子をご案内します。

しばらく歩くとT字路が現れるので、左に曲がります。

この道の先に案内板が建っています。

Googleマップなどの地図アプリでは入り口が少々分かりづらく、少し不安を感じながら歩いていたのですが、この案内板を見つけた瞬間、パッと目の前が開けたような安心感に包まれました。

黄金塚古墳 約100m先」と記されています。

案内板に従って左に曲がると、竹林の間を進む道になっています。

こちらが「帯解黄金塚古墳」のある竹林の入り口です。

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竹林に隠された聖域「帯解黄金塚古墳」

宮内庁が守る「陵墓参考地」の厳粛な空気

竹林の中に入ると、空気が変わるような気がしました。

帯解黄金塚(おびとけこがねづか)古墳」が現れました。

石室の入り口には、天皇陵などでよく見かけるあの独特な木製の立て札(制札)が建ち、「黄金塚陵墓参考地」と記されています。

ここは、第40代天武天皇の皇子であり、『日本書紀』の編纂を主導したとされる舎人親王(とねりしんのう)の墓候補地として治定されている特別な場所なのです。

こちらにも『山の辺の道『奈良道』を守る会」さんによる案内板が設置されていました。

案内板には「帯解黄金塚古墳と田中古墳」と記されており、それぞれの古墳の解説が丁寧に綴られています。

  • 黄金塚古墳が「陵墓参考地」として大切にされていること
  • すぐ東側の竹藪の中に、黄金塚を守るように築かれた「田中古墳」があること

「ただの古い塚」として通り過ぎてしまいそうな場所に、こうして歴史を繋ぐための「言葉」が置かれている。そこには、この道を歩く旅人を温かく迎え入れ、郷土の宝を次世代へ伝えようとする地域の方々の深い愛情が感じられました。

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「黄金」よりも美しい?漆喰と石の芸術

この古墳の最大の特徴は、今は見ることのできないその内部、石室の構造にあります。 宮内庁が公表している資料や昭和初期の写真によると、この古墳には当時の最新技術と美意識が詰め込まれていました。

  • 榛原石(はいばらいし)の磚積(せんづき): 宇陀地方から運ばれた板状の石を、まるでレンガのように緻密に積み上げた豪華な作り。
  • 白く輝く漆喰(しっくい): 石室の壁面全体には真っ白な漆喰が塗られており、暗闇の中に清らかな空間が広がっていたと考えられています。
  • 独特な「三室構造」: 玄室へと続く通路(羨道)が、柱のようなくびれによって三つの部屋に分かれているという、全国的にも極めて珍しい形をしています。

一辺約30メートルの方墳でありながら、周囲には二段の石敷きや空濠、外堤が巡らされており、その墓域全体は東西120メートル、南北70メートルにも及ぶ巨大なものです。

「黄金塚」という名は、もしかするとその豪華な造りから、いつしか人々の間で語り継がれるようになったロマンの結晶なのかもしれません。

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寄り添う絆「田中古墳」

黄金塚古墳のすぐ東側、空濠の堤の上には「田中古墳」が静かに佇んでいます。

立派な石室を持つ黄金塚とは対照的に、こちらは石棺を直に埋めた簡素な造りだったそうですが、木棺を納めた丁寧な埋葬の跡が見つかっています。

まるで主君や家族を今も見守り続けているようなその配置に、古代の人々の絆を感じずにはいられませんでした。

まとめ:歩くほどに塗り替えられる「帯解の里」の物語

「黄金塚」という名前に惹かれて訪れたこのエリア。 けれど実際に歩いて出会ったのは、黄金以上の価値を持つ、地元の方々に愛され、守られてきた歴史の層でした。

山の辺の道から見える「栗塚古墳」に寄り道をしなければ、この里がどれほど古くから特別な場所だったのかを知ることはなかったでしょう。

案内板を設置してくださった「奈良道を守る会」の皆さんに感謝しつつ、私は再び、歌碑が待つ古道へと戻ります。

帯解黄金塚古墳へのアクセス

奈良県奈良市田中町573

最後までお読み頂きありがとうございます。

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