明日香村と古墳と古代史が好きなみくるです。
明日香村平田にある「中尾山古墳」の紅葉が美しいと聞いたので再訪してきました。
前回に行ったのは2022年の9月のまだ暑いときで、勢いのある緑に包まれている様子が綺麗でした。
国史跡【中尾山古墳】
八角形の墳形と丁寧に磨かれた横口式石槨
中尾山古墳は奈良県明日香村平田にある終末期古墳です。
国の史跡に指定されています。
江戸時代に「中尾塚・中尾石塚」とも呼ばれ、南側に隣接する高松塚古墳とともに文武天皇の檜隈安古岡上陵ではないかと早くから注目を集めてきました。
対辺の長さ19.5メートル、高さ4メートル以上の三段築盛の八角墳です。
Wikipediaに2020年の発掘調査時の写真が載っていました。
埋葬施設は南に開口する横口式石槨で、規模は高さ、幅及び奥行各約90cmを測ります。
石槨壁面は非常に丁寧に磨かれ、全面に水銀朱が塗布されています。
床石は石英閃緑岩が使用され、床面の中央部は一辺60cm、深さ1cmの範囲が凹状に削り込まれています。
この区画には火葬骨を納めた蔵骨器を安置するための台が設置されていたものと考えられています。
埋葬施設が蔵骨器を納めた横口式石槨であることは、古墳時代以来の伝統的な葬法とは決別し、仏教思想に基づく火葬を導入したことを示しています。
『続日本紀』慶雲4年(707年)の条に「飛鳥岡で荼毘に付し、遺骨を檜隈安古岡上陵に葬る」と記されていることからも、中尾山古墳が文武天皇陵である可能性が高いとされています。
古代天皇家墳墓の象徴【八角墳】
明日香村越にある「牽牛子塚古墳 」の復元工事が完了し公開されてから、八角墳は天皇陵に採用されている形だということがよく知られるようになりました。
牽牛子塚古墳も同じく八角墳で、斉明天皇の陵墓である可能性が高いといわれています。
明日香村にある八角墳は他に「野口王墓古墳」(天武天皇・持統天皇陵)があります。
文武天皇は天武天皇と持統天皇の孫に当たります。
持統天皇は初めて火葬された天皇でした。
天武天皇は持統2年(688年)11月に「大内陵」に埋葬されたと『日本書紀』あります。
大宝2年(702年)に崩御した持統天皇は大宝3年(703年)12月に飛鳥岡にて火葬され、同月に「大内陵」に合葬されました。
中尾山古墳へのアクセス
奈良県高市郡明日香村平田
公共交機関ご利用の場合
近鉄吉野線「飛鳥駅」下車 徒歩約15分
奈良交通バス(かめバス)「高松塚」下車 徒歩約10分
地下道をくぐってすぐの階段から登ると近いです。
お車をご利用の場合
「国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区」の駐車場(無料)を利用されると便利です。
駐車場は道路を挟んで2か所あります。
国営飛鳥歴史公園
こちらの記事では、国営飛鳥歴史公園の見どころをまとめてご紹介しています。魅力あふれる飛鳥の周遊にお役立て頂けたら幸いです。
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