古墳を見て歩きながら、古代に想いを馳せるのが好きなみくるです。
奈良県桜井市には、纏向古墳群(まきむくこふんぐん)や箸墓古墳(はしはかこふん)など、古代史ファンにはたまらないスポットが点在しています。
そんな桜井市に所在する「安倍文殊院(あべもんじゅいん)」の境内にある「文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)」は、精巧な切石石室を持つ方墳で、古代職人の技の粋を今に伝える貴重な古墳です。
さらに、奈良県内でわずか5基しか指定されていない「特別史跡古墳」の一つとしても知られ、その希少性から歴史ファンや古墳好きの注目を集めています。
今回は、そんな歴史と技術の両面から魅力的な「文殊院西古墳」をご紹介します。
安倍氏ゆかりの【文殊院西古墳】精巧な切石石室を見学
文殊院西古墳の概要
文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)は、奈良県桜井市阿部(安倍文殊院の境内)に位置する古墳で、古墳時代終末期の7世紀後半に築造されたと考えられています。

墳形は明らかではありませんが、直径約25-30メートル・高さ約6メートルの円墳と推定されています。

内部には精巧な切石石室があり、石材は平滑に整えられ、寸法を揃えて隙間なく組み合わされています。石室の構造には光の入り方や通気、石棺の設置まで考慮された工夫が見られ、単なる埋葬施設を超えた建築的センスが感じられます。

このことから、地域の首長が高度な技術を持つ職人集団を擁し、権威を示すために精巧な墓づくりを行ったことがうかがえます。
被葬者は、安倍文殊院を創建した安倍倉橋麻呂(あべのくらはしまろ)が有力視されています。
文殊院西古墳は、安倍文殊院の境内にあり石室の中に入れるため、古代の石工たちの技を間近で感じることができます。

切石石室の特徴 ― 石と石の精密な組み合わせ
文殊院西古墳の最大の見どころは、なんといっても切石を隙間なく積み上げた横穴式石室です。
石室は花崗岩の切石を用いた整美な造りで、玄室(奥の部屋)は方形の石材を5段積みにした壁で、大きな石には刻みを入れ、2石に見せる工夫がなされています。壁面には漆喰も残っており、長い年月を経ても美しさが保たれています。

天井石は1枚で、中央部は浅いドーム状にくぼめられ、水滴が棺に落ちないように工夫されています。羨道(入口の通路)は巨石4枚の1段積みで、天井石は3枚。床には階段状の石があり、開口部には溝加工が施されており、扉で閉塞されていた可能性が考えられます。

また、安倍文殊院境内には玄室と同形の石が点在しており、かつて同様の石室古墳が存在した可能性も示唆されています。こうした細部の工夫から、古代職人の技術力の高さを実感できます。
石室内の願かけ不動尊と伝承
文殊院西古墳の石室内には、願かけ不動尊が祀られています。現地説明板によれば、この不動尊は弘法大師が造ったと伝わるとされています。

古墳そのものは本来は、安倍文殊院を創建した阿倍倉梯麻呂(阿倍内麻呂)が埋葬された墓と伝えられています。

阿倍倉梯麻呂(阿倍内麻呂) ― 古代氏族の有力者と大化改新
文殊院西古墳が築かれている阿部丘陵一帯には、谷首古墳や艸墓古墳といった巨石を用いた古墳が点在しています。さらに周辺からは大型建物跡も見つかっており、この地域が古代の有力豪族 阿倍氏の拠点 だったことを物語っています。
阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)は、飛鳥時代の有力氏族・阿倍氏の人物です。阿倍氏は奈良盆地周辺で勢力を持ち、古代豪族として朝廷との関係も深かったことが知られています。
倉梯麻呂は大化元年(645年)の大化の改新の直後、初めて左大臣に任じられた人物と伝えられています。大化の改新は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足による政治改革で、豪族勢力の再編と中央集権化を目指したものです。この中で、阿倍氏の有力者である倉梯麻呂が左大臣として重用されたことは、阿倍氏の地位と権威の高さを示すものです。
また、彼は安倍文殊院の創建に関わったとも伝えられ、宗教や文化面でも地域に影響を及ぼした人物です。政治・宗教・地域社会のいずれの側面でも重要な役割を担い、文殊院西古墳の被葬者候補として位置づけられる背景には、こうした功績があります。
つまり文殊院西古墳は、単なる豪華な石室古墳というだけでなく、飛鳥時代の政治史とも深く結びついた歴史舞台の証人 といえるのです。
古代の技術交流 ― 朝鮮半島の磚槨との比較
日本の古墳石室といえば自然石を積み上げるタイプが一般的ですが、文殊院西古墳はあえて切石を使っており、当時としてはきわめて高度な技術が投入されています。ここには、朝鮮半島で用いられた磚槨(せんかく)=切石やレンガを用いた墓室との共通性が指摘されており、大陸文化の影響を色濃く感じさせます。

つまり文殊院西古墳は、阿倍氏の権力の大きさと同時に、大陸との交流・受容のあり方をも示す、国際色豊かな古墳だといえるのです。単なる「きれいな石室」ではなく、飛鳥時代の国際関係や技術交流を考える手がかりになる点が、大きな魅力なのです。
阿部丘陵の主要後期古墳 ― 文殊院西古墳との比較
阿部丘陵には、古墳時代後期の貴重な古墳群が点在しており、それぞれ築造時期や石室構造に特徴があります。文殊院西古墳をより深く理解するために、周辺の主要古墳と比較してみましょう。
- コロコロ山古墳(6世紀末〜7世紀初):現地資料が限られ、詳細は不明。
- 谷首古墳(7世紀初〜前半):大型横穴式石室墳で奈良県指定史跡。初期の横穴式石室を持ち、出土品や構造の価値が高い。
- 文殊院東古墳(7世紀前半):自然石積みの横穴式石室を持ち、西古墳と対になる存在で構造や技術の比較に最適。
- 艸墓古墳(7世紀中葉):方墳・両袖式横穴式石室。巨石の刳抜式家形石棺、漆喰残存。阿倍氏との関係も注目。
- 文殊院西古墳(7世紀後半):切石積みの両袖式横穴式石室を備え、天井は一枚石。石室技術の精緻さは全国でも屈指。
この比較により、文殊院西古墳は阿部丘陵後期古墳群の中で、築造時期の最終期における高度な石室技術の集大成として特別な位置を占めていることがわかります。
文殊院西古墳を訪れる際の見どころ
文殊院西古墳を訪れる際は、石室の隙間のなさや整った石の表面、そして願かけ不動尊に注目してください。写真ではわかりにくい微妙な石の角度や組み方も、現地で間近に観察すると職人技の細やかさが伝わってきます。
奈良で古墳巡りをするなら、阿部丘陵の後期古墳群の中でも特に技術の集大成とされる文殊院西古墳は必見。歴史・建築・文化のすべてを一度に体感できる場所として、多くの人におすすめしたい古墳です。
四季折々の文殊院西古墳
文殊院西古墳がある安倍文殊院は、毎年11月中旬に作成される「干支のジャンボ花絵」や、桜に映える金閣浮御堂などの見どころが多いので、四季折々に参拝しています。
今までご紹介した文殊院西古墳の写真は11月に撮影したものなのですが、4月に訪れると桜に彩られた姿を見せてくれました。

濃い緑が風情を添える、9月の文殊院西古墳も撮影しました。

皆さんもぜひ、四季折々の姿をお楽しみ下さいね。
まとめ:文殊院西古墳の切石石室と阿倍氏の歴史を体感
文殊院西古墳は、奈良の古墳時代終末期の貴重な方墳であり、切石石室の精巧な技術は全国的にも注目されます。阿倍氏や阿倍倉梯麻呂の権威を示す古墳として、歴史ファンや古墳好き必見のスポットです。
さらに、文殊院西古墳は奈良県内でわずか5基しか指定されていない「特別史跡古墳」の一つ。その希少性からも、訪れる価値は非常に高いといえます。
石室内の願かけ不動尊など、後世の信仰の痕跡も残っており、歴史・建築・文化を一度に体感できる、特別な古墳です。
文殊院西古墳と同じく、安倍文殊院の境内にある「文殊院東古墳(もんじゅいんひがしこふん)」については別記事で詳しくご紹介します。
文殊院西古墳へのアクセス
奈良県桜井市阿部645
TEL 0744-43-0002
駐車場は3か所にありますが(普通車500円)、第1・第2駐車場は閉鎖されていることがあります。

境内駐車場(乗用車専用)の様子です。

文殊院西古墳と一緒に訪れておきたいのが、「艸墓古墳(くさはかこふん)」です。こちらも阿部丘陵に位置する国指定史跡の方墳です。
横穴式石室を持ち、巨石を用いた刳抜式家形石棺や漆喰の残存など、終末期古墳の技術の高さを実感できる古墳です。
文殊院西古墳と比較すると、築造時期はやや前の7世紀中葉。石室構造や出土品の違いを意識して訪れると、阿部丘陵の古墳群の発展の流れも理解しやすくなるでしょう。
艸墓古墳については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。