マップを見ながら古代の史跡をめぐるのが好きなみくるです。
今回は橿原市観光協会さんの観光パンフレット「橿原まちあるきまっぷ~謎の巨石と古墳めぐり」に掲載されているスポットをご紹介します。
謎の巨石と古墳巡り【橿原市観光】
「橿原まちあるきまっぷ」に従って、近鉄岡寺駅からスタートするルートでご紹介します。
ミステリアスで巨大な石造物や石室などみどころがいっぱい。
牟佐坐神社
近鉄岡寺駅前に鎮座する神社です。5世紀中頃ここに生雷神(雷公)を祀ったのが牟佐坐神社のはじまりといわれています。
拝殿の四周に掲げられていた14面からなる百人一首絵馬【市指定文化財】(非公開)は1846年(弘化3年)に画師 南岳によって描かれたもので、完形のものは全国で2例しかない非常に珍しいものです。
境内は孝元天皇が即位した軽境原宮跡と伝えられ、踏切を渡った向こう側に伝承地石碑が建っています。
鳥居を潜って左側に柿本人麻呂の歌碑が建っています。
沼山古墳
沼山古墳は、岩船の東に位置する独立した丘陵の頂部に築かれた6世紀後半の円墳です。
墳丘規模は直径約18m、高さ約5.5mを測り、埋葬施設は横穴式石室です。
沼山古墳がある白橿近隣公園内には、中大兄皇子の「大和三山の歌」の歌碑が建っています。
香具山は 畝火を愛しと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻を あらそふらしき
万葉集巻1-13 中大兄皇子
益田岩船【県指定史跡】
益田岩船は住宅地から続く貝吹山の東峰の険しい上り坂を5分ほど歩くと現れる巨石で、奈良県指定史跡に指定されています。
亀石や酒船石などと並ぶ飛鳥の石造物の1つで、その中でも最大のものです。大きさは東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル。重さは約800トンもあるという説もあり、上部には一辺約1.6メートル、深さ約1.2メートルの穴が空けられています。
何を目的として造られたものであるのかについては諸説ありますが、横口式石槨の未完成品であるという説が最も有力視されています。
小谷古墳【県指定史跡】
貝吹山から北東に延びる丘陵の先端に築かれた古墳です。墳丘の流失が激しいため墳形は不明ですが、方墳、あるいは、円墳であったと考えられます。
巨石を用いた両袖式の横穴式石室で、規模は全長約11.6m、玄室高約2.7mあり、一枚岩の天井石は石舞台古墳のものよりも巨大なものです。
桝山古墳(崇神天皇皇子倭彦命墓)
桝山古墳は5世紀前半に築かれたと考えられる三段築城の方墳です。一辺約90m、高さ15mの規模を測り、方墳としては日本最大の規模を誇ります。
実際の被葬者は明らかでありませんが、宮内庁により「身狭桃花鳥坂墓」として第10代崇神天皇皇子の倭彦命の墓に治定されています。
後世に北東部に前方部が付加されて前方後円形に生垣が巡らされているため、巨大な前方後円墳であるかのように見えています。陵墓は前方後円墳であるとの考えのもと、明治時代に整備されたようです。
宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)
鳥屋ミサンザイ古墳は5世紀後半頃に築かれたと考えられる二段築城の前方後円墳です。墳丘長は138mで、周囲には幅約10~25mの盾形周濠が巡ります。
実際の被葬者は明らかでありませんが、宮内庁により「身狭桃花鳥坂上陵」として第28代宣化天皇・皇后橘仲皇女の合葬陵に治定されています。
周濠は後世にため池(鳥屋池)の工事に際して、大きく改変を受けています。
向こうに畝傍山が見える美しい場所にあります。
岡寺駅へのアクセス
奈良県橿原市見瀬町
橿原市の観光スポットを「橿原まちあるきまっぷ」を足掛かりに、まとめてご紹介しています。
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