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【神武東征のドラマ】「磐余邑顕彰碑」へ!勝利の裏にあった”知略の決断”とは?(奈良県桜井市)

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里中満智子さんの『天上の虹』がきっかけで、『万葉集』が好きになったみくるです。

物語の中で印象深く描かれている大津皇子と大伯皇女の足跡を追って、奈良県桜井市にある「吉備春日神社」を訪れました。

その参拝のあと、ふと「この神社のある吉備という土地が、古代史にどのように関わっていたのだろう」と思い、北側に建つ「神武天皇聖蹟 磐余邑 顕彰碑」へ足を運ぶことにしました。

ここは、初代天皇・神武天皇が東征の途上、磐余邑(いわれむら)で軍を集め、勝利を重ねたという伝承の地。吉備春日神社とあわせて訪れることで、古代の歴史を身近に感じることができました。

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東征ゆかりの地「神武天皇聖蹟 磐余邑 顕彰碑」

「神武天皇聖蹟 磐余邑 顕彰碑」について

神武天皇聖蹟 磐余邑 顕彰碑」は、奈良県桜井市吉備に鎮座する吉備春日神社のすぐ北側に位置しています。

初代・神武天皇の東征ゆかりの地を記念して、紀元二千六百年(昭和15年・1940年)の奉祝事業の一環として建立されたものです。全国で19か所しか設置されなかった貴重な碑のひとつです。

東征ゆかりの地「神武天皇聖蹟 磐余邑 顕彰碑」

全国の神武天皇聖蹟に建てられた碑はすべて同じ統一された様式を持っており、この地に日本の歴史の原点を顕彰しようとした当時の国家的な意図を感じます。

顕彰碑が立つ場所のすぐそばには吉備池が広がり、池の堤には大津皇子と大伯皇女の万葉歌碑も建てられています。

吉備池と吉備池廃寺跡
吉備池と吉備池廃寺跡

荘厳な石碑の向こうには、地元の信仰を集める吉備春日神社の境内が見えます。

吉備春日神社
吉備春日神社
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神武東征と磐余邑の兄磯城討伐

大和をかけた知略戦の舞台

磐余(いわれ)の地は、奈良盆地の東南に位置し、古代において後の天皇たちも宮を置くほど重要な場所でした。神武天皇にとって、ここは東征を成功させ、大和の支配を確立するための最終的な戦略拠点に他なりませんでした。

この顕彰碑の裏面には、この地の歴史的意義を示す緊迫した碑文が刻まれています。

神武天皇戌午年11月 兄磯城を討ち給い 皇軍の虜を破るや大軍集まりて磐余邑に充満せり 聖蹟は此の地方なりと推せらる

この碑文は、神武天皇が兄磯城(エシキ)を討伐し、敵の勢力(虜=あた)を打ち破った結果、皇軍(天皇の軍)が磐余を拠点として満ち溢れたという、大和統一の決定的な瞬間を伝えています。

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正面衝突を避けた「知恵」の真実

しかし、この勝利は単なる武力によるものではありませんでした。

神武天皇軍は、大阪で長髄彦(ナガスネヒコ)に大敗を喫した経験から、力攻めでは多大な犠牲を払うことを知っていました。そこで天皇は、知略をもって敵を討つ決断をします。

  • 罠の逆用: 『日本書紀』などによると、兄磯城は饗応の席に武士たちを隠し、天皇軍を討つ罠を仕掛けていました。しかし、聡明な忠臣の椎根津彦(しいねつひこ)はその陰謀を見破ります。椎根津彦は、「神に供える食事の場に武器は不浄である」と説き、兄磯城に武器を遠ざけさせました。
  • 勝利の実行: 敵が丸腰になったその隙を突き、天皇軍は一気に兄磯城を討ち取りました。

この「騙し討ち」は、大軍相手に被害を最小限に抑え、大和統一という大義を迅速に果たすための、神武天皇が下した非情かつ戦略的な決断でした。

大和統一への決定打

兄磯城の死を見た弟の弟磯城(オトシキ)は、天皇軍の力と知略を悟り、すぐに恭順して天皇に仕えました。これにより、天皇は大和の有力豪族を無血で味方につけることに成功します。

磐余でのこの知恵による勝利こそが、大和の支配体制を決定づけ、後の橿原(かしはら)での即位へと繋がる決定的な一歩となったのです。

もし正面から戦っていたら、日本の歴史は変わっていたかもしれません。この顕彰碑は、力だけでなく「知恵」と「交渉」が勝敗を決した、日本の建国神話における最も緊迫した決断の瞬間を今に伝えています

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併せて訪れたい吉備春日神社と万葉の池

神社・古墳と巡る古代ロマン

神武天皇聖蹟 磐余邑顕彰碑」を訪れたなら、ぜひ周辺のスポットと合わせて巡り、神武東征や古代大和の歴史を立体的に感じてみてください。

  • 吉備春日神社: 顕彰碑のすぐ隣に鎮座する神社で、この地の静かな守り神です。この一帯がかつて磐余邑の中心であったことを感じさせます。
  • 吉備池の万葉歌碑: 顕彰碑の近くにある吉備池の堤には、大津皇子と大伯皇女の歌碑が立っています。緊迫した神武東征のエピソードから、日本の文学が花開いた万葉の時代へと、悠久の歴史の流れを感じることができます。
吉備池の堤に建つ万葉歌碑
吉備池の堤に建つ万葉歌碑
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桜井市内の神武天皇聖蹟を巡る

桜井市内には、神武天皇東征のクライマックスを飾る聖蹟顕彰碑が3カ所あります。東征の各段階を象徴するこれらのスポットを、セットで巡るのがおすすめです。

  • 磐余邑顕彰碑:(本記事)知略で大和の有力豪族を破り、勝利を決断した戦略の舞台
  • 狭井河之上顕彰碑:山の辺の道沿い。神武天皇が後の皇后となる女性と出会ったロマンスの舞台
  • 鳥見山中霊畤顕彰碑:等彌(とみ)神社の裏山。大和平定後、神武天皇が平和と統一を感謝して祭祀を行った建国の祭場

緊迫の「磐余邑」(戦略)から、ロマンスの「狭井河之上」(縁結び)、そして感謝の「鳥見山中霊畤」(祭祀)へと巡ることで、神武天皇が武人・戦略家・王として成長し、建国を成し遂げるまでの壮大なドラマを追体験することができます。

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まとめと結び

「神武天皇聖蹟 磐余邑顕彰碑」が立つこの桜井市吉備の地は、初代神武天皇が大和統一を決定づけた戦略的な要衝でした。

この石碑が静かに物語っているのは、単なる伝説ではなく、強大な敵を相手に無駄な流血を避け、知恵と勇気をもって大業を成し遂げた古代の英雄の姿です。

現代を生きる私たちも、この磐余の地で、古代の王が下した緊迫の決断と、その後の平和な世への願いに、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

この磐余邑の静かな風景の中に、日本の歴史が大きく動いた瞬間を感じ取ってみてください

「神武天皇聖蹟 磐余邑 顕彰碑」へのアクセス

奈良県桜井市吉備259

駐車場はありません。
桜井駅(近鉄線・JR線)から徒歩約30分。
大福駅(近鉄線)から徒歩約15分。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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