美しく清められた境内に満ちる独特の空気感や、大木から感じる生命力を感じたくて、神社によくお詣りしているみくるです。
今回は、パワースポットとしても人気の、奈良県天理市の石上神宮社叢と、境内から続く山の辺の道をご紹介します。
石上神宮社叢と山の辺の道
石上神宮社叢
石上神宮の境内地は234,631平方米 (約71,100坪) の広さがあり、 最古の道といわれている 「山の辺の道」 (東海自然歩道の一端)が通ります。
昭和42年に周辺地域を含めて 「歴史的風土石上神宮特別保存地区」 に、 また平成7年には境内地のうち約13万平方米が 「石上神宮社叢」 として奈良県の天然記念物に指定されました。
ヒノキは高さ約30米に達するものがあり、 その間をコジイやイチイガシが占め、林内にはスギ・アラカシ・サカキ・カナメモチ・ヒサカキ・シロダモ・シャシャンボ・モチノキ等の常緑樹が、 林床にはハナミョウガ・シシガシラ・ベニシダ等の草本が生育しています。 ヒノキやスギは植栽したものですが、 百年以上経過して自然林のようなみごとな林相を形成しています。
コジイやイチイガシ等が自生している様相はこの地域の極相林の一端を示し、 加えてヒノキが融和している林相は『万葉集』に詠まれている 「桧原」 を検証する資料としても貴重です。
楼門前から東へ行く参道には、 胸高幹囲が4米を超える樹高約25米のイチイガシが一本立っていて、 往時の植生を示しています。
イチイガシの巨木
楼門前から東に行く参道(奈良に至る山の辺の道)の左手に堂々と立っています。イチイガシはブナ科の常緑高木で、照葉樹林の主要構成種となります。
樹高約25m、幹周り4.15m。往時の植生をよく示し、樹令はおおよそ300年と言われています。
大イチョウ
イチョウは古くより世界各地に繁茂し、化石が発見されています。現生種は1種しかなく、「生きている化石」と呼ばれています。原生地は中国とされ、日本には仏教の伝来とともに渡来し、神社や寺に植えられました。
この大イチョウは、高さ約30m、幹周り3.26m。樹令は約300年と言われています。
黄葉のシーズンには、天理市内の各所から見ることができ、天理駅のJRのプラットホーム(2階)からも見えるそうです。タネの銀杏は、12月には撤饌として、社頭で分けられます。
末社 祓戸神社
イチイガシの巨木からさらに奥に進むと、紙垂がたらされて立入禁止と書かれた道があります。道の先までずっと紙垂が続いています。
この道の先には末社 祓戸神社があるようなのですが、こちらも禁足地なのでしょうか。霊的なものを感じて、怖くなるほどでした。
鏡池とワタカ
鏡池は、江戸時代の絵図から往古には「石上池」と呼ばれていたことが知られます。この池には、奈良県の天然記念物に指定されているワタカという魚が生息しています。
ワタカは我が国特産の鯉科の淡水産硬骨魚で、体は細長くてひらたく、頭は小さく眼は大きく、体色は背部が緑青色である他は銀白色です。別名を「馬魚」といいますが、その由来については次の様な伝説があります。
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に御潜幸になる途中、内山永久寺の萱御所に入御せられました。
その時、天皇のあとを追って赤松円心等の軍勢も当神宮の辺に到着し、軍馬がしきりに嘶きました。天皇の御乗馬がこれに応じて嘶こうとしたため、天皇の従者は円心等にさとられるのを憂い、御乗馬の首を斬って本堂前の池に投じました。その後、本堂池に草を食べる魚が住みつくようになり、人々はこれは御乗馬の首が魚になったのだと考え、「馬魚」と呼ぶようになったと伝えられています。
当神宮の鏡池のワタカは、大正3年に内山永久寺跡の本堂池から移したもので、この時に東大寺中門前の鏡池にも移されています。
こちらの記事では、内山永久寺の歴史と、天理市杣之内町の内山永久寺跡についてご紹介しています。
鏡池の周囲には遊歩道が巡らされ、山の辺の道に繋がっています。
こちらの境内図は、石上神宮の御由緒書に掲載されているものです。
諸霊招魂碑
鏡池の遊歩道の途中に、諸霊招魂碑と書かれた石碑が建っています。
9月秋分の日にこの碑の前で、ここに鎮まる諸霊に対し、お祭りが行われます。「諸霊招魂碑」の文字は、富岡鉄斎(百錬)の筆によります。明治12年4月に建立されました。
鏡池のほとりの歌碑(句碑)
鏡池のほとりの遊歩道に歌碑(句碑)が建っています。
みじかかる ひとせと思へ 布留宮の
神杉のほの そらに遊べる
高 蘭子
高 蘭子さんは、「山の辺短歌会」を主催されている方でした。古代からの歌碑が建つ山の辺の道にある、数少ない存命の方の歌碑でしたが、2023年3月に老衰のためお亡くなりになりました。
石上神宮社叢の神秘的な杜と、苔むした歌碑。なんとも趣があり、これぞ山の辺の道といった光景です。
をとめらの 袖ふりし杜 神さびて
呼びとよむがに 老杉の声
吉田 宏
阿波野青畝夫妻の句碑
いそのかみ 古杉暗き おぼろかな
青畝
よろこびを 互いに語り 天高し
といと
阿波野青畝は、奈良県出身の俳人です。昭和初期に山口誓子、高野素十、水原秋桜子ととも「ホトトギスの四S」と称されました。俳句結社「かつらぎ」主宰。
石上神宮の境内から山の辺の道へ
山の辺の道は、石上神宮の境内から、影媛ゆかりの布留の高橋をわたり、青垣の山裾をたどって北へ向かう「山の辺の道(北)コース」と、石上神宮から大神神社までは、二上山や青垣の山々を眺めながら神話と伝説の世界に浸れる「山の辺の道(南)コース」へと続きます。
山の辺の道(北)コース
石上神宮から影媛ゆかりの布留の高橋をわたり、青垣の山裾をたどって北へ向かうコースです。
影媛伝説のあとを追いながら弘仁寺・正暦寺・円照寺など、山あいに隠れるように点在する清らかな寺々が点在します。
天理から奈良へと続く山の辺の道(北)コースは、天理~桜井間の(南)コースにくらべて知名度も低く、訪れる人も少ないのですが、それだけにのどかな景観と俗化されていない、魅力的な史跡が残されているコースといえます。
石上神宮から弘仁寺まで6.5kmです。
山の辺の道(南)コース
山の辺の道は奈良と桜井を結ぶ古道で、山裾に沿うように続きます。年間を通して最も人が訪れるルートで、天理駅から東の石上神宮へ進み、南の桜井方面へと歩きます。
竹之内や萱生の環濠集落、たくさんの古墳、大神神社、宮跡などがあり、古代国家誕生の息吹や万葉のロマンが感じられるコースでもあります。
こちらの記事では、夜都伎神社をご紹介しています。
沿道には今も、記紀・万葉集ゆかりの地名や伝説が残り、神さびた社や古寺、古墳などが次々に現れて、訪れるひとを古代ロマンの世界へといざないます。
中でも、石上神宮から大神神社までは、二上山や青垣の山々を眺めながら神話と伝説の世界に浸れる、山の辺の道のハイライトコースです。
僧正遍照の歌碑
石上神宮の境内から「山の辺の道(南)コース」へ向かうと、僧正遍照の歌碑が建っていました。
さとはあれて 人はふりにし やどなれや
庭もまがきも 秋ののらなる
僧正遍照
遍昭は、桓武天皇の孫に当たり、時の帝に仕え要職にありましたが、出家して俗名宗貞を遍昭と名乗り、天理市布留町にあった良因寺の僧となって、この地で住居していました。
僧正遍照の歌碑は、観光パンフレット「山の辺の道」の「山の辺の道歌碑」3番に掲載されています。
詳しくは別の記事でご紹介します。
石上神宮へのアクセス
奈良県天理市布留町384
公共交通機関をご利用の場合
- 近鉄天理線、JR桜井線「天理駅」より徒歩30分
- 天理駅より 天理市コミュニティバス「いちょう号」(東部線)下山田系統
「石上神宮前」バス停下車、徒歩10分
お車をご利用の場合
- 名阪国道「天理東インター」から約5分
- 西名阪自動車道「天理インター」から約15分
4か所に無料駐車場があります。
詳しくは石上神宮の公式サイトをご覧ください。
こちらの記事では、石上神宮の見どころを神秘的な境内の写真と共にご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。