NHK大河ドラマ「光る君へ」を毎週楽しみにしているみくるです。番組内で紹介されるのを見て、和歌により親しみを持つようになりました。
今回は「光る君へ」第24回「忘れえぬ人」で、まひろの親友の「さわ」が詠んだ歌をご紹介します。
まひろ(紫式部)がさわ(筑紫の君)と交わした歌
紫式部集
番組内でさわが詠んだとして紹介された歌は『紫式部集』に収められています。『紫式部集』は紫式部が晩年に作った和歌集です。およそ120首が収められています(伝本によって数首ていど異なります)。
親友と交わした歌、越前へ下った時の歌、藤原宣孝と交わした歌など、番組内で紹介される歌の多くはこの歌集からです。
『百人一首』に選定されていることでよく知られている歌「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」は『紫式部集』の第1番の歌です。
「早くから童友であった人に、久しぶりに行き逢ったが、ほんの少しの間で月と肩を並べて帰ってしまったので」とあります。
➡大河ドラマ「光る君へ」のタイトルはこの歌から!?【なぞりがき百人一首】57番/紫式部
越前へ下ったときの歌は歌碑のある白髭神社の景観とともに、こちらの記事でご紹介しています。
筑紫の君
史実の紫式部には、「姉君」と呼ぶほど親しい女友達がいたことが分かっており、さわのモデルではないかと考えられます。
「光る君へ」第18回「岐路」では、肥前(現在の佐賀県、長崎県)の国司に任命された父に同行することになったと、まひろとの別れを悲しむさわが描かれていました。
『紫式部集』にある女友達は、父親が筑紫(現在の九州北部)に赴任するのに同行したので、紫式部は「筑紫へ行く人のむすめ」と書き、この記述から「筑紫の君」とも呼ばれてきました。
筑紫の君は、平安時代中期の武士「平維将」の娘だとする説が有力です。この平維将の妻は、紫式部の伯母なので、平維将の娘と紫式部は従姉妹ということになります。親交があってもおかしくないですね。
紫式部が筑紫の君に贈った歌
筑紫に肥前といふ所より文おこせたるを、いと遥かなる所にて見てけり。その返り事に
(筑紫にある肥前という所から、友が手紙を送ってきたのを、私はたいそう遠い越前の国で見たことだった。その返事に)
あひみむと 思う心は 松浦なる
鏡の神や 空に見るらむ
(現代語訳)
あなたに逢いたいと思っている。この私の心情こそは、松浦の鏡明神も、大空から照覧していらっしゃることでしょう。
筑紫の君が紫式部に贈った歌
返し、またの年もてきたり
(友からの返しは次の通りでした。それは翌年に使いの者が持ってきました。)
行きめぐり あふを松浦の 鏡には
誰をかけつつ 祈るとかしる
(現代語訳)
行きめぐり、またあなたに逢える日を待っている私が、あなたの御歌に詠まれている「待つ」の御名を持たれる松浦の鏡明神に対して、誰を始終心にかけて祈っていると思われますか。もちろん、あなた以外の誰でもありませんわよ。
鏡明神は佐賀県唐津市にある、神功皇后ゆかりの名高い古社です。その神様に向けて、「友達にあわせてください」と互いに祈りあうという、美しい友情の歌です。
『紫式部集』には歌が返ってきたことが記されているのみで、その後に、亡くなったようだとあるので、これが最後の歌というのは番組のオリジナルでしょう。
↑こちらの画像は、「光る君へ」コラボ企画「かなふみ」で作成しました。
大河ドラマ「光る君へ」の題字を担当した書家・根本知さんの協力で、現在使っている48の仮名文字とあわせて平安に書かれた仮名74文字を厳選、一文字ずつ書にしたためた文字で文をつくることができます。
背景は「光る君へ」ドラマの場面写真や、日本の風景などから選べます。私は肥前に行くさわとまひろとの別れの場面を選びました。
まひろとさわの友情に涙
さわを演じられたのは野村麻純さんです。
Xに撮影の様子を投稿されていました。
まひろ様❤️ #光る君へ pic.twitter.com/qIdCmSKLVQ
— 野村麻純 (@MasumiNomura) June 16, 2024
石山寺からの帰りがオールアップだったのでしょうか。
明るいさわさんの笑顔が好きだったので、もう見られないかと思うと残念です。
物語中で「お前にまた会いたいと思いながら亡くなったのだな…。」と言う為時に対し、「この歌を大切にします」と返すまひろ。
大切にしたい歌をまとめたのが『紫式部集』なのでしょう。番組を見た時には、歌の意味や背景を知らずでしたが、こうして詳しく知ると、余計に心に沁みました。
さわの死に人生を見つめ直したまひろは宣孝との結婚を決意するようです。
こちらの記事では、紫式部と藤原宣孝の娘・大弐三位の歌をご紹介しています。
今後も「光る君へ」の鑑賞を通して、古典と和歌の世界を広げて行きたいと思っています。
最後までお読み頂きありがとうございます。