飛鳥・藤原マスターになりたいみくるです。
2024年2月10に実施された「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定「初級編」にめでたく合格し、認定証が届きました。
こちらの記事で受験を終えての感想と試験内容及び学習のポイントについてお知らせしています。
➡目指せ!飛鳥・藤原マスター【飛鳥・藤原まるごと博物館検定】受験を終えての感想と学習のポイント
今回は受験者数や平均点などの試験結果のご紹介と、私が間違った問題の解説をしてみました。
試験結果と私の得点
「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定初級の「認定証」に試験結果が同封されていました。
私の得点は65点/70点中でした。
約300人の方の申込みがあり、274名の方が受験されました。
最高得点は70点/70点中で、平均点は54.7点です。
6割以上の正解で合格なので、42点以上で合格となり、多くの方が合格されたようです。全問正解された方もおられて素晴らしく思います。
間違った問題と解説
私が間違った問題をご紹介します。
壬申の乱に勝利した大海人皇子が飛鳥に凱旋して最初に入った宮殿
15.壬申の乱に勝利した大海人皇子が、飛鳥に凱旋して最初に入った宮殿はどれか?
ア.嶋宮 イ.藤原宮 ウ.飛鳥板蓋宮 エ.朝倉宮
正解はア.嶋宮です。
壬申の乱に先立ち、大海人皇子が「嶋宮」に宿泊していたことは『日本書紀』に記述があるのですが、凱旋して最初に入った宮殿が「嶋宮」であるとの記述をまだ見つけられていません。分かったらまた追記します。
「嶋宮」についてはこちらの記事でご紹介しています。
➡蘇我馬子の邸宅跡【島庄遺跡】庭園と方形の池がある大邸宅はのちの嶋宮「草壁皇子」も住まう
藤原宮は、持統天皇4年(690年)から、夫の天武天皇の遺志を継いだ持統天皇によって本格的に造営が進められ、持統天皇の即位後の持統天皇8年(694年)に、飛鳥浄御原宮より遷都された宮です。
飛鳥板蓋宮は、皇極天皇が営んだ宮です(643年~645年)。飛鳥時代に天皇の宮殿が重層的に営まれていた明日香村岡の「飛鳥宮跡」はこちらの記事でご紹介しています。
➡飛鳥京の中心地【飛鳥宮跡】で飛鳥時代に想いを馳せる「後の大極殿」【エビノコ郭】も
朝倉宮は2つあり、泊瀬朝倉宮は、第21代雄略天皇が営んだ宮です。朝倉橘広庭宮は、白村江の戦に際して斉明天皇が福岡県朝倉市営んだ宮です。斉明天皇はここで亡くなりました。
飛鳥の四大寺について
20.天武、持統朝に代官大寺、薬師寺、川原寺とともに、国家が直接経営にかかわる大寺であったとされる寺院はどれか?
ア.豊浦寺 イ.山田寺 ウ.飛鳥寺 エ.檜隅寺
正解はウ.飛鳥寺です。
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式ガイドブック』より引用します。
蘇我馬子によって大陸風建築による本格的な寺院として飛鳥寺が建立されました。建立者である蘇我氏(本宗家)が皇極天皇4年(645)に乙巳の変で滅んだ後も、天武朝、持統朝には大官大寺・薬師寺・川原寺とともに国家が直接経営にかかわる大寺の一つに数えられています。
飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式ガイドブック
豊浦寺は蘇我氏の向原家、向原殿、桜井道場、桜井寺の系譜につながる尼寺で、豊浦宮の地に建立されました。こちらの記事で豊浦宮が置かれた豊浦寺跡(向原寺)をご紹介しています。
➡飛鳥時代はここから始まった!【推古天皇の豊浦宮】豊浦寺跡(向原寺)
山田寺は蘇我倉山田石川麻呂が建立した寺院です。土石流で倒壊した東面回廊が、ほぼそのままの状態で発見され、法隆寺を遡る寺院建築として注目されています。
檜隅寺は渡来系氏族、東漢氏が建立した寺院で、寺院跡は於美阿志神社周辺に所在します。
川原寺について
21.瑪瑙石と通称される大理石の礎石がある寺院はどれか?
ア.山田寺 イ.大窪寺 ウ.定林寺 エ.川原寺
正解はエ.川原寺です。
川原寺は、持統朝には四大寺(代官大寺、薬師寺、川原寺、飛鳥寺)に数えられる重要な寺でしたが、その建立についての記録はなく、創建事情ははっきりしません。
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式ガイドブック』より引用します。
川原寺跡は仏陀山南弘福寺と号する真言宗豊山派の寺院周辺にあります。弘福寺本堂は川原寺中金堂跡にあり、白大理石(通称、瑪瑙石)の礎石があります。
飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式ガイドブック
創建軒丸瓦が、唐様式の複弁蓮華紋を飾る華麗なものであることや、中金堂の南に西金堂と、塔を対面させる伽藍配置(川原寺式)については、「奈良まほろばソムリエ検定」でもよく出題されています。
聖林寺の十一面観音立像について
35.聖林寺の十一面観音像(国宝)は、もともとどこにあったとされているか?
ア.石上神宮 イ.大神神社 ウ.談山神社 エ.桧原神社
正解はイ.大神神社です。
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式ガイドブック』より引用します。
十一面観音立像 木心乾漆造 聖林寺像(桜井市下)国宝
もとは大神神社の神宮寺であった大三輪寺(大御輪寺)の本尊でしたが、明治時代の廃仏毀釈に際して、聖林寺に移安されたと伝えられています。本像は左手に宝瓶、右手は垂下して蓮華座に座った姿で制作されています。(中略)細部に至るまで入念に造形されており、木心乾漆造の一つの到達点を示した像であるといえます。
飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式ガイドブック
聖林寺の十一面観音立像について問う問題は「奈良まほろばソムリエ検定」で繰り返し出題されています。
こちらの記事で、2024年3月3日に実施された第17回「奈良まほろばソムリエ検定」の「奈良通2級」受験を終えての感想と、出題された問題をご紹介しています。
➡【奈良まほろばソムリエ検定】受験を終えての感想と出題された問題「奈良通2級」
ツバキを詠んだ万葉歌
45.「巨勢山の つらつら□ つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を」(巻1-54)この万葉歌の□に入る言葉はどれか?
ア.梅 イ.桜 ウ.桃 エ.椿
正解はエ.椿です。
この歌を問う問題は「奈良まほろばソムリエ検定」でも繰り返し出題されています。
『奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブック』より引用します。
巨勢は御所市古瀬を中心とした重阪川(曾我川上流)流域の一帯で、大和から紀伊および吉野への通路にあたる地である。巨勢山は巨勢の峡谷の東西の山地をさすものであろうが、吉野口駅西北の式内社巨勢山口神社のある標高296メートルの山を、いまは巨勢山と称している。
巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を(巻1-54)
巨勢山のつらつら椿をつらつらと見ながら偲ぼう。巨勢野の春の光景を。
右の一首は、大宝元年(701)秋9月、太上天皇(持統天皇)が紀伊国に行幸した時、坂門人足が作った歌である。椿の花の咲く時期ではないが、名高い巨勢の椿花咲く春野の景を偲ぼうというのである。
奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブック
ほかにも共通して出題される問題が多くあるので、「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」と「奈良まほろばソムリエ検定」両方の学習をしたことで、記憶が定着したように思います。
飛鳥・藤原まるごと博物館検定「初級」の難易度
飛鳥・藤原まるごと博物館検定「初級」の難易度は、平均点が54.7点(42点以上で合格)であることからも、易しいと言えそうです。
今回の試験が第一回ということで、過去問題はありませんでしたが、出題レベルの参考として表記されている「飛鳥学冠位叙任試験 入門編」に出題されていた問題が今回も数多く出題されていました。
過去問題は「古都飛鳥保存財団」のサイトで公開されています。(「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定 – 公益財団法人 古都飛鳥保存財団)
繰り返し出題されている問題については、こちらの記事でご紹介していますので、ぜひご参考にされて下さい。
➡目指せ!飛鳥・藤原マスター【飛鳥・藤原まるごと博物館検定】受験を終えての感想と学習のポイント | みくるの森
「飛鳥学冠位叙任試験 入門編」の過去問題と、今回実施された第1回「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」(初級編)の問題を解いて対策することで、十分合格が狙える試験です。
第1回の問題と解答も「古都飛鳥保存財団」のサイトで公開されています。(670255912.pdf (asukabito.or.jp))
より関心が深まった「飛鳥・藤原」
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式テキストブック』は読み物としても興味深く楽しく学習できました。疑問に思っていたことの出典(『日本書紀』『日本霊異記』『扶桑略記』等)が示されていることで深堀できたのも良かったです。
受験を通してより関心が深まった「飛鳥・藤原」に足を運び、当サイトでの発信を通して理解を深めて行きたいです。
頂いた認定証の裏面は、初級編合格特典として、古都飛鳥保存財団さんが運営されている「高松塚古墳壁画館」無料入館券になっています。利用させて頂こうと思います。
今回初級編を合格された皆様は、次回検定で「中級編」にチャレンジとなります。
第2回「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」
2024年12月14日(土)に第2回「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」が実施されます。
第2回は初級編と、第1回初級編合格者を対象にした中級編が行われます。
申込締切日は10月31日ですが、飛鳥・藤原会場の残席わずかとなっていますので、当会場をご希望の方はお早めにお申し込み下さい。
こちらの記事で、実施要項と学習に役立つ情報などをご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。