景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
日本最古の道「山の辺の道」には38基もの歌碑が建てられています。全部を見つけたいと思っています。

今回は、観光パンフレット「山の辺の道」に掲載されている中から、28番の柿本人麻呂の歌碑をご紹介します。正確には、「柿本人麻呂歌集」からの歌です。
『万葉集』巻10-1814 柿本人麻呂歌集
古の人の植えけむ杉が枝に
今回ご紹介する柿本人麻呂の歌碑は、奈良県桜井市三輪の檜原神社の近くに建っています(井寺池周辺案案内図のろの歌)。

檜原神社は、奈良県桜井市三輪の山の辺の道沿いにある、大神神社の摂社です。大神神社からは、山の辺の道を歩いて30分ほどの距離です。
二上山を眺望できる元伊勢のパワースポットとしてよく知られています。
歌碑が建つのは、檜原神社の南側の鳥居のすぐ近くの山の辺の道沿いです。

山茶花の低木に隠れるように西面して建ちます。



(原文)
古 人之殖兼 杉枝
霞霏微 春者来良之
※漢字が見当たらないので「微」としていますが、「雨かんむり+微」です。
(読み下し)
古の 人の植えけむ 杉が枝に
霞たなびく 春は来ぬらし
万葉集 巻10-1814 柿本人麻呂
揮毫者 徳川宗敬
(現代語訳)
昔の人が植えたという杉の枝に霞がたなびいていることだ。春はやって来たに違いない。
今回ご紹介している歌は、観光パンフレット「山の辺の道」や、桜井市観光協会さんのサイトでは、柿本人麻呂の歌として紹介されているのですが、正確には、「柿本人麻呂歌集」の歌です。
※左注に「右柿本朝臣人麻呂歌集出」とあります。左注は、歌の左に書かれた作者名や作歌事情などを記した注です。
徳川宗敬のこと
歌碑を揮毫した徳川宗敬1897-1989)は、昭和期の華族(伯爵)です。水戸徳川家十二代当主篤敬の次男に生まれ、後に養子に出て、御三卿(徳川将軍家の分家)の家柄である一橋徳川家の十二代当主となりました。
1946年に第15代貴族院副議長に就任しますが、日本国憲法施行により貴族院は廃止されたため、最後の貴族院副議長となりました。
緑化運動に終生尽力し、「緑化の父」と称されました。戦後は「荒れた国土に緑の晴れ着を」を合言葉に1947年に森林愛護連盟を結成。1950年に設立された社団法人国土緑化推進委員会(現在の国土緑化推進機構)では理事長として毎年春に開催される全国植樹祭を支えました。長年の緑化運動に対する功績が評価され、国土緑化推進機構によって1990年に創設された「みどりの文化賞」の最初の受賞者となりました。
こうした活動があったからこそ、歌碑が建つ三輪の地も緑が豊かに生い茂る、神々しい地になっているのですね。古の人が植えた杉を詠んだ歌を揮毫した徳川宗敬氏。
美しい三輪の地に建つ碑から、「緑化の父」に想いを馳せるひと時となりました。
春先は桜が美しかった檜原神社の鳥居からの景観は、いまは瑞々しい新緑が豊かでした。
(2025年4月20日撮影)

こちらの記事では、檜原神社とその周辺の桜景色をご紹介しています。
檜原神社へのアクセス
奈良県桜井市三輪1422
無料駐車場あり

最寄り駅のJR 三輪駅 から徒歩30分
大神神社からは、山の辺の道を歩いて30分ほどの距離です。

こちらの記事では、観光パンフレット「山の辺の道」に掲載されている中から、29番の柿本人麻呂の歌碑をご紹介します。檜原の神聖さを讃えた一首です。
最後までお読み頂きありがとうございます。