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【山の辺の道「奈良道」の歌碑巡り】7番・額田王|三輪山への惜別と道しるべが導くカーブ

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山の辺の道を石上神宮から奈良まで歩いているみくるです。

前回の記事では、「帯解黄金塚(おびとけこがねづか)古墳」へと続く分岐点に佇む「10番・柿本人麻呂歌集」の歌碑をご紹介しました。

歴史の深淵に触れた寄り道を終え、私は再び奈良道のルートへと戻り、次なる「7番」の歌碑を目指して北上を再開します。

10番の歌碑から次に出会う「7番」までは約300m、時間にしてわずか4分ほどの距離。これまでの長い道程に比べれば、深呼吸を数回繰り返すうちに辿り着いてしまうような、ごく短い区間です。

実はこの奈良道の歌碑、「北に行くほど番号が減っていく」という単純な順番ではないのが面白いところ。まるで、道ゆく人の心に寄り添うように、その場所にふさわしい歌が配置されているようです。

今回は、道が大きく分岐する場所に建つ、7番・額田王の歌碑と、その傍らで静かに歴史を語る石碑を巡る旅の記録です。

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額田王が詠む故郷を離れる不安と寂しさ

ちょっとした発見:歌碑の番号は「順番通り」じゃない?

山の辺の道「奈良道」を守る会さんが設置してくださったこれらの歌碑。実は、北へ向かうにつれて番号が「10、9、8……」とカウントダウンしていくわけではないようです。

山の辺の道奈良道ルート図 – 山の辺の道「奈良道」を守る会

今回ご紹介する「額田王」は7番ですが、実はこの先、円照寺により近い場所に8番(舎人親王)が控えています。

歌碑自体に番号は刻まれていないので、現場では純粋に「次はこの歌か!」という出会いを楽しめますが、地図と照らし合わせながら歩くと、この不規則な並びもまた「奈良道」という迷宮を歩く醍醐味のように感じられました。

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道が曲がるその場所に待つ「額田王」

山の辺の道「奈良道」を、「10番・柿本人麻呂歌集」の歌碑から北へ。

住宅地や田畑が混じり合う静かな道を歩き始めると、すぐに分岐点に差し掛かります。

どちらへ行こうか一瞬迷う場所ですが、そこには「山の辺の道の道標」と「周辺案内図」が、「道しるべ」となってくれています。

よく見ると、道標には「伝・山の辺の道」という少し聞き慣れない文字が。

「伝」とは、古の道筋だと伝えられている場所のこと。 千年以上の時を経て、姿を変えながらも守られてきた道。その確かな証拠は見つからなくても、人々が「ここがそうだよ」と語り継いできたぬくもりを感じる言葉です。

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額田王が詠んだ、三輪山への「最後の手振り」

この歌碑に刻まれているのは、額田王が詠んだあまりにも有名な一首です。

(読み下し)
三輪山を 然も隠すか 雲だにも
情あらなむ 隠さふべしや

万葉集 巻1-18 額田王

(かな)
みわやまを しかもかくすか くもだにも
こころあらなむ かくさふべしや

(現代語訳)
三輪山をどうしてこのように隠すのですか。せめて雲だけでも心あってほしいものです。隠さないでいてくださいね。

この歌は天智天皇が都を近江に移すときに、住み慣れた大和の都を離れ、いままで自分たちを護ってくれていた三輪山のご加護からも離れていく寂しさと不安を、額田王が詠んだものです。

同じ歌が刻まれた歌碑が、三輪山の麓である桜井市の山の辺の道にも建っています。

ですが、天理から奈良へと北上するこの「奈良道」でこの歌に出会うと、また違った響きが胸に迫ります。

額田王が飛鳥を去り、近江へと向かったあの日。北へ進むにつれ、愛おしい三輪山はだんだんと遠ざかり、山影に隠れ始めます。「いよいよ本当にお別れなのだ」という切なさが極まったとき、意地悪く山を覆った雲に投げかけた恨み節。

この場所が、彼女にとって三輪山を振り返る「最後の手振り」の場所だったのではないか――そんな想像が膨らみます。

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歌碑の傍らに立つ、もう一つの物語「中澤忠七翁壽碑」

歌碑のすぐ近くには、もう一つ立派な石碑が建っています。Googleマップには「中澤忠七翁壽碑」と記されていました。

気になって調べてみると、そこには昭和初期、この山村の地で多くの人を救った一人の男性の物語が刻まれていました。

中澤忠七翁は、家伝の整骨術を極めた名医でありながら、「人を救うのが楽しみなだけだ」と言ってお礼の品を一切受け取らなかったといいます。

昭和四年に建てられたこの「壽碑(じゅひ)」は、そんな彼の徳を慕った人々によって、彼が82歳の時に贈られたものです。

千年前、三輪山との別れを惜しんだ額田王の歌。 そして百年前、無欲に人々を助けた忠七翁を讃えた碑。 時代の異なる二つの物語が、この「伝・山の辺の道」の分岐点で寄り添うように並んでいる。

この道が、今も昔も、この土地の人々の想いによって守られてきた「生きている道」であることを、静かに物語っているようでした。

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結び:さらに北、8番の舎人親王へ

案内図で現在地を確認し、二つの石碑に刻まれた想いを反芻しながら、私は再び歩き出します。

次は、さらに円照寺に近づいた場所にある「8番」の歌碑。番号が前後する不思議な出会いを楽しみながら、私の奈良道歩きは続きます。

次は、さらに円照寺に近づいた場所にある「8番」の歌碑です。
番号が若返ったり増えたりする、この不思議で楽しい「奈良道」の歌碑巡りは、いよいよ佳境に入ります。

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奈良市山町の額田王の歌碑へのアクセス

奈良県奈良市山町800

最後までお読み頂きありがとうございます。

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