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【山の辺の道「奈良道」の歌碑巡り】13番・堀川百首|清らかな池に心を映す「清澄の池」の歌(弘仁寺付近)

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山の辺の道を石上神宮から奈良まで歩いているみくるです。

前回の記事では、「白川ダム」を越え、豊かな緑に包まれた「弘仁寺(こうにんじ)」へと至るまでの、のどかで美しい道中の様子をご紹介しました。

この旅の途中で私は、これから先、奈良へと向かう旅の道しるべとなってくれる大切な出会いを果たしました。

それが、「山の辺の道『奈良道』を守る会」さんが設置された歌碑です。 ここ弘仁寺のすぐそばにあるのは「13番」。これから北へ向かって数字を遡るように歌碑を辿っていく、新しい「歌碑巡りシリーズ」の始まりとなる場所です。

今回は、弘仁寺の静かな境内の空気感にも重なるような、どこまでも清く澄みわたった池の美しさを詠んだ一首を詳しくご紹介します。

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「奈良道を守る会」の歌碑が告げる「新章」の始まり

歌碑が語る清らかな旅の心

白川ダムから弘仁寺までは、景色に大きな変化はありませんが、ここからは「奈良道を守る会」さんが設置してくださった歌碑を探しながらの、いわば『歌碑の宝探し』が始まります。

弘仁寺の手前で、山の辺の道は大きく左に折れているのですが、道標の傍らに歌碑が建っています。

「山の辺の道」白川ダムから弘仁寺へ

最初に見つけたのは13番の歌碑です。

「奈良道を守る会」設置の歌碑(13番)

これまで頼りにしてきた天理市の道標から、いよいよ奈良市の『奈良道』へとバトンが渡されたのを感じて、足取りが少し軽くなりました。

「奈良道を守る会」設置の歌碑(13番)

13番の番号が振られたその歌碑には、こんな歌が書かれています。

汀きはに 立もよられぬ 山賤の
影はづかしき 清澄の池

出典・詠人 堀川百首 

(よみ)
みきはには たちもよられぬ やまかつの
かけはつかしき きよすみのいけ

(現代語訳)
池のほとりに立つことさえためらわれる。私のような賤しい姿が映ってしまうのが恥ずかしいほど、この池は清らかだ。

古道を歩き、自然の美しさに心洗われている旅人の謙虚な心境が、時を超えて胸に響きます。

この13番という番号を冠した歌碑こそが、ここから先の道を守り伝える「山の辺の道『奈良道』を守る会」さんによる道標なのです。

「奈良道を守る会」設置の歌碑(13番)案内板

案内板には『夫木和歌抄』、守る会さんのサイトには『堀川百首』と出典が記されていますが、実はこの歌、平安時代後期の歌人・源顕仲が『堀川百首』のために詠んだ一首が、後に『夫木和歌抄』に採録されたもの。

「神祇伯顕仲(じんぎはく あきなか)」って誰?

詠み人の「顕仲」は、平安時代後期の貴族・歌人で、源顕仲(みなもとのあきなか)のこと。 「神祇伯(じんぎはく)」というのは、神事をつかさどる役職のトップです。まさに山の辺の道のような、神域に近い場所の歌を詠むにはぴったりの人物ですね。

『堀川百首(ほりかわひゃくしゅ)』は、1100年頃(平安時代後期)に堀川天皇の命で編纂された歌集です。当時のトップ歌人たちが100首ずつ詠んで献上しました。

『夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)』は、 それから約200年後(鎌倉時代)に、あらゆる歌集から膨大な数の歌を集めて作られた、今でいう「超豪華ベスト盤(全31巻)」です。

歌に詠まれた「清澄(きよすみ)の池」とは、特定の場所というより、清く澄みわたった池の美しさを讃えた言葉。
かつての白川溜池、そして今の白川ダムの豊かな水面を眺めていると、平安時代の歌人が『自分の姿を映すのが恥ずかしい』と感じたほどの清らかな情景が、今もこの地に息づいているのを感じるようです。

鎌倉時代の巨大な和歌全集に選ばれるほど、当時の人々にとっても「清澄の池」の情景は心に響くものだったのかもしれませんね。

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遡るほどに深まる歴史|「13番」から「11番」へと続く旅路

この13番の歌碑を皮切りに、私の山の辺の道「奈良道」歩きは、数字を遡りながら歌碑を辿るという新しい楽しみが加わりました。

山の辺の道奈良道ルート図 – 山の辺の道「奈良道」を守る会

次に待っているのは「11番・大伴家持」。 なぜ12番を飛び越えて11番なのか、その小さな謎をリュックに詰めて、私はさらなる古道の奥へと歩みを進めます。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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