景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
奈良県天理市に鎮座する大和神社(おおやまとじんじゃ)。前回の記事では、この場所と「戦艦大和」の切っても切れない深い絆についてご紹介しました。
しかし、大和神社に息づく「航海安全」と「生きて帰る」ことへの祈りは、さらに1300年も昔まで遡ります。
境内の静寂の中に建つ、一つの万葉歌碑。 そこに刻まれているのは、万葉歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)が命がけで海を渡る友へと贈った「好去好来(こうきょこうらい)」という言霊です。
私は日頃から「言霊」の力を信じています。悪いことを口にせず、良い言葉を紡ぐことが、明日を幸せにすると信じているからです。1300年前の憶良もまた、言葉の霊力が幸福をもたらす「言霊の幸はふ国(ことだまのさきわうくに)」の力を信じ、この大和神社の神様へ切実な祈りを捧げました。
遣唐使から戦艦大和、そして現代の交通安全へ。 時代を超えて受け継がれる「大切な人の帰りを待つ」祈りの物語を、山上憶良が遺した言葉と共に辿ってみましょう。
山上憶良が「大和の大國魂」に捧げた遣唐使への送別歌
現代へ受け継がれる「好去好来」の願い
「戦艦大和ゆかりの碑」の近くに建つ、清々しい佇まいの歌碑。 表面には力強い筆致で「交通安全と守護 好去好来」と記されています。

「好去好来(こうきょこうらい)」とは、今では「交通安全」の祈りとして親しまれていますが、そのルーツは天平5年(733年)、遣唐大使として命がけの航海に出る多治比広成(たじひのひろなり)へ贈った、山上憶良の送別歌のタイトル(題詞)にあります。
歌碑に刻まれた建立の背景
歌碑の裏側に回ってみると、この碑が建てられた大切な節目が記されていました。

好去好来
平成三十二年(西暦2020年)は日本書紀献上1300年を迎える。
古事記・日本書記・万葉集(記紀万葉プロジェクト)の一環として石碑を建立する。万葉集(巻五)山上憶良の歌に大和神社の神々さまに交通安全の祈願をして唐遣使が派遣されたとある。
万葉集の好去好来により、多くの人が参詣された。
奈良県が推進した「記紀万葉プロジェクト」の一環として、平成27年に建立されたこの歌碑。 1300年前、遣唐使たちが大和神社の神々に航海安全を祈り、無事に帰還したという歴史的事実を、現代に生きる私たちに改めて伝えてくれています。
当時から「好去好来」の言霊を信じて、多くの人々がこの場所を訪れ、手を合わせてきたのですね。
憶良が込めた再会の約束:双方向の挨拶「好去好来」
実はこの「好去好来」という言葉、当時の唐の小説『遊仙窟(ゆうせんくつ)』などにも見られる別れの挨拶です。
本来は、 去る人へ向けて「どうぞお気をつけて(好去)」
残る人へ向けて「(私が戻るまで)どうぞお元気で(好来)」
という、旅立つ者と見送る者が交わし合う「双方向の祈りの言葉」でした。
憶良は、命がけで海を渡る広成に対し、あえて「行ってきます」と「ただいま(再会)」がセットになったこの言葉を贈りました。
「無事に送り出し(好去)、そして必ずこの大和の地へ帰す(好来)」という、出発から帰還までを一続きの約束として神様に託したのです。
山上憶良の長歌:言霊の幸はふ国
歌碑の横にある説明板には、山上憶良が捧げた長歌が記されています。

私は日頃から「言霊」の力を信じていて、悪いことを口にしないように、良い言葉を紡げるようにと心がけているのですが、憶良のこの一節を読むと、その想いが確信に変わるような気がします。
長歌(冒頭)巻5-894
『万葉集』巻5-894の長歌は大変長いので、ここでは冒頭部分だけご紹介します。
神代より 言ひ伝て来らく (神代の昔から言い伝えてきたことには)
そらみつ 大和の国は (空から見て選ばれた、ここ大和の国は)
皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と (皇祖の神々の厳かな国であり、言葉の霊力が幸福をもたらす国であると……)
現代語訳
「日本は言葉の霊力が幸せをもたらす国なのだ」と憶良は力説します。
大和の国は、神々の御霊が宿る厳かな国。言葉の力が幸せをもたらす国だと語り継がれてきました。それは今の世の人も皆、目の当たりにして知っていることです。
天皇に選ばれ、遠い唐の国へ旅立つあなた。 海原に鎮座する八百万の神々が、船の舳先に立って導いてくださるでしょう。天地の神々、中でも「大和の大國魂の神」は、空を駆け巡って海原を見渡し、あなたをお守りくださるに違いありません。
任務を終えて帰られる日には、神々が船の舳先に手をかけて、まるで墨縄をピンと張ったように一直線に、迷うことなく日本の浜辺へと導いてくださることでしょう。どうか、御無事で、そして早くお帰りください。
憶良が長歌の中で、数ある神々の中からあえてその名を呼んだのが「大和の大國魂(おおやまとのおおくにみたま)」です。
これは、現在も大和神社に祀られている御祭神「日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)」を指しています。
- 大和神社の御祭神: 大地そのものの霊威を神格化した、日本の国土を守護する非常に力強い神様です。
- 山上憶良の意図: 遣唐使が海を渡り、日本の外(唐)へ行くからこそ、日本の国土そのものである「大國魂の神」に、「どうか空から見渡して、私たちの国の民を見守ってください」と懇願したのです。
歌碑の裏面に「大和神社の神々さまに交通安全の祈願をして……」と記されているのは、この歌が大和神社の神様を名指しして護持を求めた、いわば「公式な祈祷文」のような役割を果たしていたからなのです。
「早く帰ってきて」という切実な想い:反歌二首
「反歌」に込められた、溢れる想い
長歌のあとには、待つ人の情熱が溢れ出すような二つの歌が添えられています。
万葉集には、長い五七調の「長歌」のあとに、五七五七七の短い「反歌(はんか)」を添える形式があります。
これは、長歌で語り尽くせなかった想いを要約したり、特に強調したい感情を「ダメ押し」のように付け加えたりする役割を持っています。
壮大な歴史や神々への祈りを格調高く歌い上げた「長歌」に対し、「反歌」はもっと個人的で、切実な心の内が吐露されることが多いのが特徴です。憶良はこの二つの反歌に、広成を待つ人々の「どうしても帰ってきてほしい」という熱い情熱を凝縮させました。
反歌 一 巻5-895
(読み下し)
大伴の 御津の松原 かき掃きて
我れ立ち待たむ 早帰りませ
(かな)
おほともの みつのまつばら かきはきて
われたちまたむ はやかへりませ
(現代語訳)
大伴の御津の浜の松原をきれいに掃き清めて、私は今か今かと立ち尽くして待っています。どうか早く帰ってきてください。
反歌 二 巻5-896
(読み下し)
難波津に 御船泊てぬと 聞こえ来ば
紐解き放けて 立ち走りせむ
(かな)
なにはつに みふねはてぬと きこえこば
ひもときさけて たちばしりせむ
(現代語訳)
「難波の港に船が着いたぞ!」という知らせを聞いたなら、着物の帯を締め直す時間ももどかしく、紐が解けたままの姿ですぐに駆けつけましょう。
「身なりなんてどうでもいい、一刻も早く顔が見たい」 そんな憶良の激しいまでの無事を願う心が、1300年の時を超えて胸に響きます。
まとめ:時代を超えて繋がる「祈りのバトン」
大和神社には、戦没者を悼む「戦艦大和」の歴史と、旅の無事を祈る「遣唐使」の歴史。二つの大きな祈りが共存しています。
時代は違っても、願うのはいつも同じ。 「無事に行って、早く帰ってくること」
大和神社は、出発する人を送り出す場所であると同時に、待っている人の心を支える「帰る場所」をずっと守り続けてきたのですね。
平成27年に建立されたこの歌碑は、記紀万葉プロジェクトの一環として、古の記憶を未来へ繋ぐために建てられました。
「言葉には力がある」 そう信じて、私も「好去好来」という温かな言霊を胸に、今日も一日を大切に過ごしたいと思います。
皆さまの旅路も、どうぞ御無事で、幸多きものでありますように。
大和神社へのアクセス方法や駐車場については、こちらの記事でご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。


