生まれも育ちも奈良県で、明日香が大好きなみくるです。
今回は、奈良県明日香村川原にある謎の石造物「亀石」をご紹介します。石舞台古墳と並んで、飛鳥を代表するユニークな石造物です。
飛鳥の謎の石造物
飛鳥の謎の石造物
飛鳥と言えば、謎の石造物が点在する所というイメージを持たれている方も多いと思います。
飛鳥には、酒船石、須弥山石、猿石、亀石、鬼の俎・雪隠、益田岩船など、謎の石造物が多くあります。これらの石造物は通称「飛鳥石」と呼ばれる「石英閃緑岩(花崗岩)」を加工・彫刻したもので、他の地域では類例の少ないものです。
これらの石造物は、斉明天皇の時代に造られたことが分かっています。当時の日本には、硬い石材を彫刻する技術は無かったので、朝鮮半島から来た石工によって作られたと考えられています。
何のために造られたか、おおよそ分かっているものも、分かっていないものもあります。
謎の石造物「亀石」
今回ご紹介する亀石は、飛鳥の謎の石造物の一つです。花崗岩の巨石に動物の顔面のような彫刻があり、亀に似ていることから「亀石」と呼ばれています。
亀石の大きさは、長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルで、重さは推定で10トンもあります。
亀のようなユーモラスな顔(目と口)が彫られています。
何のためにここにあるのか謎とされています。
亀石の用途
はっきりとは分かっていませんが、斉明天皇の時代に、朝鮮半島から来た石工によって造られたと考えられています。
その用途については、いくつかの説が考えられています。
川原寺の境界説
亀石の説明板に「川原寺の四至(所領の四方の境界)を示す標石ではないかという説がある」とあります。
古代の飛鳥をイラストで表した「飛鳥京絵図」を見ると、川原寺の西南の辺りに亀石があるのが分かります。
川原寺跡と亀石は500mほど離れているので、川原寺の寺域はかなり広かったことになります。
境界を現す石造物として見る場合、天皇家の終末期古墳が築造された檜前と、宮殿や寺院が配置された飛鳥の小盆地との境界にあたること、亀石が西南を向いていること、神仙思想との関係などから、「この世とあの世をつなぐ役割を果たした」とする説があります。
未完成の猿石説
猿石も亀石と同じく花崗岩製で、斉明天皇の時代に作られたと考えられていますが、大きさが全く違うので、個人的には、これは無いと思っています。
猿石は、吉備姫王墓の檜前墓とされる墓前に並べられている滑稽な顔をした四体の石造です。
猿石の用途も不明ですが、その表情が伎楽面と類似することから、飛鳥時代に渡ってきた伎楽を石造物で表現したとする説があります。
こちらの記事では、猿石がある吉備姫王墓をご紹介しています。
外交使節の歓待用に造らせたとする説
私はこの説を推しています。
亀石のある位置が川原寺の西南だとするならば、亀石の前には幅12メートルの東西道路が通っていたことになります。
飛鳥で最大の方墳と話題になった小山田古墳のすぐ南側の「川原下ノ茶屋遺跡」の発掘調査で、飛鳥時代後半の幅12メートルの東西道路と幅3メートルの南北道路の交差点が見つかりました。
小山田古墳は造営後すぐに破壊され、官衙や邸宅になっています(小山田遺跡)。交差点から北へと伸びる道路は、小山田遺跡へと向かう侵入道路と考えられます。
東西道路を東へ向かうと、川原寺と橘寺の間を通過して、飛鳥宮の「エビノコ郭」西門に着きます。
エビノコ郭は、公的な行事を行うために、天皇が暮らす私的な空間から切り離して造られたもので、それが後の藤原京や平城京に見られるような「大極殿」へと繋がっていったものと考えられています。
復元模型の右下、飛鳥浄御原宮の南側にあるのがエビノコ郭です。川原寺と橘寺の間を通る道路がエビノコ郭の西門に繋がっているが分かります。
この東西道路は、下ツ道から飛鳥宮までの一直線に繋がる「メインストリート」として、斉明天皇の時代に造られたと考えられています。
メインストリート飾るように亀石が置かれ、外交使節を饗応したのかもしれないと考えています。このようにあれこれ考えを巡らせられるのが古代史の楽しい所です。
こちらの記事では、小山田古墳の隣にある菖蒲池古墳をご紹介しています。
小山田古墳の被葬者を蘇我蝦夷、菖蒲池古墳の被葬者を蘇我入鹿とする説が有力視されています。
亀石にまつわる伝説
亀石にまつわる伝説が説明板に書かれています。
昔、大和が湖であった頃、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかの末、湖の水は当麻に取られてしまい、湖に住んでいた沢山の亀は死んでしまった。
この何年か後に亀を哀れに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養したという。今、亀は南西を向いているが、これが西を向いて当麻を睨みつけた時、大和盆地は泥沼になるといわれている。
亀石の説明板
実際に、亀の背地すべり地区の調査で、古代に地すべりで大和川がせき止められ、同地区からかなり上流まで湖水状になっていたことが判っています。
その時は亀石が西を向いて当麻を睨みつけたのでしょか?古代からある謎の石造物だけに、説話が生まれたのでしょうね。
橘寺の二面石
明日香村橘の橘寺の境内にも謎の石造物の「二面石」があります。
「二面石」は高さ1メートルほどの花崗岩を加工したもので、江戸時代に境内に運ばれてきたものです。裏面は平に加工されており、もとは他の石と組み合わせて使ったものと考えられます。
実際に見てみて猿石に似ていると思いました。猿石は江戸時代に、欽明天皇陵とされる平田梅山古墳の南方の水田から掘り出されたと伝えられます。二面石も同じ場所から出土したと考える説があります。
猿石も二面石も、外交使節を饗応するために道路脇に並べられたのかもしれないと、思いました。
亀石の後ろ姿
亀石の後ろ姿を現地でよく見るのは難しいのですが、飛鳥資料館の庭園に展示されているレプリカならじっくりと360度見ることができます。
飛鳥資料館の庭園には、飛鳥の謎の石造物が復元展示されています。
噴水になっている「石人像」や、湧水施設の「亀形石造物」などが、どのように使われていたのか再現されています。
亀石へのアクセス
奈良県高市群明日香村川原108
近鉄「橿原神宮前」駅東口または「飛鳥」駅より奈良交通明日香周遊バス乗車「野口」または「明日香村役場前」下車 徒歩3分
近鉄吉野線「飛鳥駅」から徒歩25分
明日香村役場駐車場(無料)から 徒歩約3分
こちらの記事では「二面石」のある橘寺をご紹介しています。橘寺は、もともと欽明天皇の別宮があった場所で、聖徳太子生誕の地といわれています。
最後までお読み頂きありがとうございます。