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【古代天皇の宮シリーズ】清寧天皇ゆかりの「御厨子神社」を歩く(奈良県橿原市)

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古墳や古道、そして古代史の舞台となった場所を歩くのが大好きなみくるです。
奈良県橿原市御厨子町に鎮座する「御厨子神社(みずしじんじゃ)」は、かつて磐余池(いわれのいけ)の「池尻」に位置していたと伝わる古社です。

境内に残る「月輪石(つきのわいし)」は古代の磐座信仰を今に伝え、さらに第22代・清寧天皇の宮「磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)」跡地とする伝承が残されています。古代の自然信仰と宮都の歴史が重なる御厨子神社を、今回は「古代天皇の宮シリーズ」としてご紹介します。

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清寧天皇の「磐余甕栗宮」伝承地 御厨子神社

御厨子神社の歴史とご祭神

奈良県橿原市の「御厨子神社(みずしじんじゃ)」の創建は古く、もともとは 「水尻神社」 と呼ばれていました。「水尻」とは 「池の端」 を意味し、ここが古代の 磐余池(いわれのいけ) の端にあたることを示しています。
興味深いのは、「磐余池(いわれのいけ)」の存在が発掘調査で確認される前から、この地名や社名が地域に残っていたことです。つまり、古代の人々の記憶が地名として脈々と受け継がれてきたのです

創建当初の祭神は、

  • 根析神(ねさくのかみ) … 根を裂く力を持ち、生気を授ける神
  • 安産霊神(やすむすびのかみ) … 安産の神

の二柱でした。特に根析神の力は、境内にある 月輪石(つきのわいし) の自然な割れ目に結びつけられ、古代の自然信仰を伝えています。

室町時代(応仁年間)に、この地に 御厨子観音(御厨子山妙法寺) が移建されると、神社の鎮守として 八幡神(誉田別命/ほんだわけのみこと) が合祀されました。
この時に社名も「水尻神社」から 御厨子神社 に改称され、以降現在まで続いています。

さらに、境内には 石析神(いしさくのかみ) と呼ばれる石神も祀られています。
これは根析神と同じく生気を授ける神で、自然石そのものが御神体として崇められ、参拝者の安産や健康を守る存在とされています。

拝殿に掲げてあった御由緒を引用させて頂きます。

この地は清寧天皇「磐余甕栗宮」の跡で、社名の古くは、磐余池の尻辺に位置するので「水尻神社」といい、祭神は根析神・安産霊神二柱であったが、應仁(室町時代)より御厨子観音(御厨子山妙法寺)が移建され鎮守八幡宮が合祀されてから「御厨子神社」と改称された。

御祭神

根析神(根を裂く威力のある神で、生気を授ける神)
安産霊神(安産の神)
誉田別命(八幡大神)

境内の石神 石析神(根析神と同じく生気を授ける神)

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「磐余甕栗宮」伝承と御厨子神社

御厨子神社の鎮座地は、第22代・清寧天皇の宮「磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)」の跡地と伝えられています。

白髪の天皇、清寧帝

御厨子神社が磐余甕栗宮(いわれみかぐりのみや)の跡地と伝えられる第22代清寧天皇(せいねいてんのう)。生まれつき髪が白かったという伝説から、「白髪武広国押稚日本根子天皇(しらがのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)」という長い名で知られています。父は武勇に優れた雄略天皇。異母弟の反乱を鎮めて即位しましたが、后妃や皇子がいないまま崩御したため、後継者探しに奔走した物語が『日本書紀』に記されています。その治世に関する記録は少ないものの、古代大和の歴史と深く結びついた、謎多き天皇です。

『日本書紀』によれば、清寧天皇は在位中に「磐余の地」に宮を営んだとされます。磐余とは、大和盆地東南部を指す地名で、古代の宮都が集中した地域でした。

白髪武広国押稚日本根子天皇(しらかのおおやまとねこ)は、磐余の地に宮を営み、天下を治めた。

御厨子神社が「池尻=磐余池の端」に位置することを踏まえると、この地が清寧天皇の宮であったとする伝承には説得力があります。宮跡と神社が重なり合うのは偶然ではなく、古代の人々が土地の神を祀り、その力を背景に宮を営んだことを示しているのでしょう。

御厨子神社を訪れると、磐余池の水辺を背景に、清寧天皇の宮の営み、自然信仰、そして地名に刻まれた記憶が重なり合う「歴史の層」を体感できます。

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磐余池とは

御厨子神社の社名「水尻(みずしり)」の由来にもなっている 磐余池(いわれのいけ) は、古代には大きな池として存在していました。
この池の周辺には、東池尻・池之内遺跡 などの古代遺構も残っています。

  • 「池尻」「池之内」といった地名は、文字通り池の端や池の内部を意味し、古代から池の存在が地域の生活や地名に深く影響していたことを示しています。
  • 東池尻・池之内遺跡では、古墳時代の集落跡や土器などが発見され、磐余池周辺が古代の生活拠点であったことがわかります。

このように、御厨子神社の鎮座地や地名は、磐余池という古代の水辺の景観と密接に結びついているのです。

東池尻・池之内遺跡(磐余池推定地)」については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。

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御神体「月輪石」の神秘

境内奥には、御厨子神社の御神体である 月輪石 が鎮座しています。

直径1メートルほどの大きな石で、中央には自然に生じた大きな裂け目があります。この姿が「根裂神(ねさくのかみ)」の名と結びつけられ、また裂け目から新しい命が生まれるように見えることから「安産の神」としての信仰にも繋がったと考えられています

訪れると、ただの石ではない力強い存在感を放っており、古代から人々が畏敬の念を抱いてきた理由を感じ取ることができます。

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御厨子神社の境内の様子

御厨子神社の境内は、静かな御厨子山の木立に包まれ、古代からの信仰が息づく空間です。

御厨子神社の一般的な参拝ルートは、隣接する「御厨子観音妙法寺 (みずしかんのんみょうほうじ)」の境内から入る道です。

妙法寺の参道を通り、お寺の奥にある鳥居へと向かう、静かで穏やかな道。御厨子神社と妙法寺が、長きにわたる神仏習合の歴史の中で、同じ敷地を共有してきた証です。

駐車場の奥に「御厨子神社」と書かれた立派な社号標があるのですが、この道は地元の人しか通らないような、少し苔むした「裏参道」といった趣です。

参道は、土の道と石段になっていて、周囲は鬱蒼とした木々に囲まれています。非常に静かで、俗世から切り離されたような独特の空気を感じられます。

御厨子神社の鳥居です。

鳥居をくぐると、奥に社殿が見えてきます。本殿は簡素な造りですが、周囲の自然と調和しており、古社の趣を醸し出しています。

御厨子神社の本殿。

本殿前の狛犬

正面の建物は社務所でしょうか。

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奈良県橿原市の御厨子神社の見どころと歴史まとめ

奈良県橿原市にある 御厨子神社 は、清寧天皇ゆかりの 磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)跡 に鎮座する歴史ある神社です。創建当初は「水尻神社」と呼ばれ、古代の 磐余池(いわれのいけ) の端に位置していたことから、その名が残っています。

境内には、根析神・安産霊神・八幡神(誉田別命)を祀る社殿のほか、神秘的な 月輪石 があり、古代からの自然信仰や神仏習合の歴史を今に伝えています。
また、隣接する 御厨子観音妙法寺 からの参道は、静かで穏やかな雰囲気の中、神社参拝をより深い体験にしてくれます。

御厨子神社は、清寧天皇の宮跡を巡る奈良の古代史スポットとして、歴史ファンや古代天皇ゆかりの地に興味がある方におすすめです。
奈良県橿原市で古代史を感じられる神社を訪れるなら、御厨子神社とその周辺の遺跡や磐余池跡をあわせて巡ると、さらに深く歴史のロマンを味わうことができます。

古代天皇の宮シリーズ

今回ご紹介した御厨子神社は、「古代天皇の宮シリーズ」 の一つです。
シリーズでは、清寧天皇ゆかりの御厨子神社のほか、履中天皇ゆかりの 若桜神社と桜の井 など、奈良県の古代天皇に関連する神社を巡る記事もご覧いただけます。

古代の宮跡や神社、遺跡を巡ることで、奈良の歴史の深さや古代人の暮らしの痕跡を身近に感じられます。シリーズ記事をあわせて読めば、さらに歴史散策が楽しくなるはずです。

御厨子神社へのアクセス

  • 所在地:奈良県橿原市東池尻町
  • 最寄駅からのアクセス
     JR桜井線「香久山駅」徒歩で約15分
     近鉄大阪線「耳成駅」:徒歩で約20分
  • 駐車場:隣接する御厨子観音妙法寺の駐車場を利用することができます。
     駐車台数: 約30〜40台
     駐車料金: 無料
     ※神社の入り口が妙法寺の敷地内にあるため、お車でお越しの際は、ナビで「御厨子観音妙法寺」を目的地に設定すると分かりやすいでしょう。
  • 地図

最後までお読み頂きありがとうございます。

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