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【山の辺の道 北コース完結編】聖域に響く1300年前の歌声|門跡寺院「円照寺」と女帝の記憶

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山の辺の道を天理から奈良へと歩を進めているみくるです。

前回の記事では、大川池の赤い鳥居を潜り、幻想的な竹林の小径へと分け入りました。岡山稲荷大明神の背後に眠る古墳や、静寂の中に並ぶ石仏たち……。そこは、これまでの明るい田園風景とは一変した、神秘的な「緑のトンネル」でした。

竹林の坂道を登りきり、パッと視界が開けた先に現れるのが、今回の旅の終着地。「山の辺の道」北コースのゴールとして名高い門跡寺院、「円照寺(えんしょうじ)」です。

江戸時代、後水尾天皇の皇女・文智女王(ぶんちじょおう)によって開かれたこの寺院は、今も「山村御所」としての気品を漂わせ、俗世とは切り離された聖域のような空気に満ちています。

今回の記事では、三島由紀夫が愛した静寂や、皇室ゆかりの華道「山村御流」の心、そして何より、歩いたからこそ繋がった「1300年前の万葉の調べ」について詳しくご紹介します。

石上神宮(いそのかみじんぐう)」から始まった北コースの旅。そのフィナーレを飾る、清らかな物語をどうぞ。

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山村御所に漂う気品と三島由紀夫が愛した月修寺のモデルを訪ねて

門前に立つ「結界」と山村御所の気品

竹林の小径を登りき、石段を下りると黒い門が現れます。

竹林の小径と石段
円照寺の黒い門

円照寺の山門はこの先です。

円照寺の参道と山門

山門のすぐ前には、一つの古い石碑が建っています。

円照寺の山門

そこには、力強い文字でこう刻まれていました。
「不許酒肉五辛八象肉」

円照寺の「不許酒肉五辛八象肉」の石碑

これは、修行の場であるお寺に、お酒や肉、そして「五辛」、さらには象の肉を持ち込むことを禁じるという宣言です。

一見すると厳しい言葉ですが、この石碑があるからこそ、山門を潜った先の静寂が守られている……。 まさにここが、俗世と聖域を分ける「結界」なのだと、背筋が伸びる思いがしました。

語句のプチ解説

  • 五辛(ごしん):ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウ、ノビルのこと。
    これらは精がつきすぎて心が乱れる、あるいは香りが強くて修行の邪魔になるとされ、古くから禅寺や尼寺で禁じられてきました。
  • 八象肉(はちぞうにく):一般的にはあまり見かけない表現ですが、仏教の古い戒律(五肉・八肉)において、象や馬などの肉を食べることを禁じたことに由来します。
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格式高き尼門跡、別名「山村御所」の佇まい

奈良三門跡(法華寺・中宮寺・円照寺)の一つに数えられる円照寺は、正式には旧字体を用いて「圓照寺(えんしょうじ)」と表記されます。

円照寺の山門

江戸時代初期、後水尾天皇の第一皇女である文智女王(ぶんちじょおう)によって開かれたこの寺院は、歴代の門跡を皇室や公家ゆかりの女性が務めてきました。

建物の一部は京都の旧御所から下賜・移築されたもので、その気品ある佇まいから「山村御所」の名で親しまれています。

円照寺の境内の様子

非公開の寺院であるため、私たちがその奥深くへ入ることは叶いません。しかし、美しく掃き清められた山門前に立つだけで、ここが俗世とは切り離された特別な聖域であることを実感させてくれます。

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「花は野にあるように」受け継がれる山村御流の心

円照寺といえば、代々の門跡が家元を務める華道「山村御流(やまむらごりゅう)」の拠点としても知られています。

山村御流いけばな展

昨年(2025年4月)のニュースでは、紀子さまが都内で「山村御流いけばな展」を鑑賞されたことが話題になりました。

山村御流いけばな展と紀子さま
紀子さま、山村御流いけばな展ご覧 – 産経ニュース

そのテーマは「花は野にあるように」。

豪華に飾り立てるのではなく、野山に咲く自然の草木のありのままの美しさを尊ぶ。その教えは、この山村の豊かな自然を愛した文智女王の心、そのものなのかもしれません。

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1300年前の「調べ」と再会する、二つの歌碑

山門からバス停へと続く参道を下っていくと、道沿いに苔むした古い石造りの歌碑が並んでいます。

円照寺の参道に建つ元正天皇の歌碑

以前、帯解方面から参拝した際には、詳しい説明がなく正体が分からなかったこの石碑。今回の歩き旅で、ついにその物語が明らかになりました。

大川池のほとりで出会った「元正天皇」の歌

円照寺に続く「竹林の小径」に入る前に、大川池のほとりで山の辺の道「奈良道」を守る会さんが設置された、新しい木製の歌碑に出会っていました。

大川池のほとりに建つ万葉歌碑

そこに記されていたのは、養老5年(721年)、この地を訪れた元正天皇が詠まれた情景豊かな一首です。

そこには、養老5年(721年)にこの地を訪れた元正天皇の歌が、解説とともに記されていました。

(読み下し)
あしひきの 山行きしかば 山人の
朕に得しめし 山づとそこれ

万葉集 巻20-4293 先太上天皇(元正天皇)

(現代語訳)
山へ入って行ったというあの仙人が、私に持たせてくれた山の土産(山づと)がこれなのですよ。

未婚のまま即位し、気高く生きた女帝。私が愛してやまない里中満智子さんの著書『女帝の手記』で描かれていた彼女の凛とした佇まいが、この圓照寺の清らかな空気と重なるようでした。

参道の石碑で繋がった「二人の物語」

大川池で元正天皇の歌を胸に刻んで歩いてきたからこそ、参道に佇む古い石碑を見た瞬間、「あ、これはあの時の……!」と点と線が繋がりました。

円照寺の参道に建つ元正天皇の歌碑
元正天皇の歌碑

参道に建っていたのは、歴史の重みを感じさせる元正天皇の歌碑と、それに応えて舎人(とねり)親王が詠んだ歌碑だったのです。

円照寺の参道に建つ舎人親王の歌碑
円照寺の参道に建つ舎人親王の歌碑
舎人親王の歌碑

(読み下し)
あしひきの 山に行きけむ 山人の
心も知らず 山人や誰

万葉集 巻20-4294 舎人親王

(現代語訳)
山へ入って行かれたという、あの山人の心境は私には分かりません。そもそも、その山人とは一体どなたのことなのでしょうか。

元正天皇の呼びかけに舎人親王が応える。1300年前、この山村の地で繰り広げられた華やかな歌宴の情景が、一気に色鮮やかに蘇った瞬間でした。

歌が詠まれた背景や解説、山の辺の道「奈良道」を守る会さんが設置された舎人親王の歌碑については、こちらの記事でご紹介しています。

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三島由紀夫が愛した「月修寺」の静寂

また、円照寺は三島由紀夫の遺作『豊饒の海』に登場する「月修寺」のモデルとしても有名です。

物語のヒロインが俗世を捨てて逃げ込んだ、一切の妥協を許さないほどに清らかな聖域。三島が実際にこの地を訪れ、物語の結末の舞台として選んだほどの静寂が、今もここには息づいています。

ハイカーへの優しい配慮に感謝して

最後にもう一つ、心温まるエピソードを。

格式高い円照寺ですが、山門はそっと開けられており、門を入ってすぐ左手のお手洗いをハイカーのために開放してくださっています。

円照寺の境内の様子

長い道のりを歩いてきた身にとって、この細やかなご配慮は本当にありがたく、身に染みるものでした。

円照寺のお手洗い

「どうぞ、気をつけて歩いてくださいね」という無言の優しさに触れ、感謝の気持ちとともに利用させていただきました。

まとめ:「山の辺の道」北コースを歩き終えて

天理市の「石上神宮(いそのかみじんぐう)」から始まった「山の辺の道」北コースの旅も、ここ円照寺でいよいよ完結です。

「山の辺の道」北コースの観光マップ
山の辺の道(北)コース | 天理観光ガイド・天理市観光協会

自分の足で一歩ずつ歩いたからこそ出会えた歴史のピース、そして文学や万葉の世界。この達成感は、歩いた人だけが味わえる最高のご褒美ですね。

全体ルートを確認したい方は、こちらのまとめ記事もぜひ参考にしてみてくださいね。

北コースの旅はここで幕を閉じますが、私の歩き旅はまだまだ終わりません。

次回からは、帯解(おびとけ)駅からリスタート!山の辺の道「奈良道」の歌碑や名所を巡りながら、ゴールの新薬師寺を目指して歩きます。

どうぞ、次回の更新もお楽しみに!

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