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【物部氏の影を追う道②】石上大塚古墳の双子? ぶどう畑に眠るもう一つの巨大首長墓

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山の辺の道や古墳が好きで、よく天理市に出かけているみくるです。

前回の記事では、竹林の急斜面をロープ一本で登り、物部氏の権勢を物語る「石上大塚古墳(いそのかみおおつかこふん)」の巨大な石室と出会うまでの「本気の冒険」をお届けしました。

かつての豪族たちが眠る静かな山中。石上大塚古墳の石室で古代の熱量に圧倒された後、私はさらなる歴史の深淵を求めて、すぐ隣に位置する「ウワナリ塚古墳」へと向かいました。

石上大塚古墳と並び、石上・豊田古墳群を構成するもう一つの巨大前方後円墳。 事前の調べでは「見学自由」とされていたその場所ですが、実際に行ってみると、そこには想像以上に厳重な、そしてミステリアスな光景が待っていました。

今回は、竹林とぶどう畑に囲まれた道を抜け、厚い鉄扉の向こうに巨石を隠し持つ「ウワナリ塚古墳」のリアルな今の姿をご紹介します。

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【ウワナリ塚古墳】石上神宮から歩く「山の辺の道」北コース

運命の分岐点。右は巨大古墳、左は銅鐸と伝承の地

石上大塚古墳を後にして、再び「山の辺の道」を北へと歩き出すと、やがて運命の分かれ道となる案内板が現れます。

山の辺の道の道標(石上神宮から白川ダム)

右へ行くと今回の目的地である「ウワナリ塚古墳」。 左へ行くと、次回の記事でご紹介する「石上銅鐸出土地」や「姫丸稲荷神社」へと続く道。

山の辺の道の道標(右:ウワナリ塚古墳、左:平尾山)

歴史ファンならどちらへ行くか迷ってしまうような交差点ですが、まずは右の道へと足を進めました。

山の辺の道からウワナリ塚古墳へ続く道

道は、静かな竹林とぶどう畑の間を縫うような小径へと変わります。

山の辺の道からウワナリ塚古墳へ続く道

冬の凛とした空気の中、少し歩くと道沿いに「ウワナリ塚古墳」の丁寧な説明板を見つけることができました。

ウワナリ塚古墳の説明板

説明板より引用させて頂きます。

ウワナリ塚古墳

全長:110m 高さ:16m 古墳時代後期(6世紀)中頃~後半
出土品:円筒埴輪・須恵器

石上・豊田古墳群平尾山支群の一つで、丘陵の尾根上に作られています。前方部を北に向ける前方後円墳で、くびれ部には造り出しがあって円筒埴輪が並べられていました。前方部西北隅に方形の張出しがあるほか、前方部の全面に円筒埴輪を並べた平坦面が設けられていて、この部分まで含めると長さは128mになります。

埋葬施設は横穴式石室で、花崗岩の巨石を積み上げた両袖式(上から見ると凸字形になる)です。玄室は長さ6.85m、幅2.9~3.1m、高さ3.6mと大きいもので、羨道は幅約2.1m、現存長さ3.5mほどですが、もとは9m程度あったと考えられています。床面には拳大の礫石が敷かれており、凝灰岩製の石棺の破片も見つかっていますが、石棺がどこへいってしまったのかは不明のままです。

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石上大塚古墳の「双子」?ウワナリ塚古墳の驚くべきスペック

ここで、ウワナリ塚古墳の情報を整理しておきましょう。

巨石を用いた石室が残るウワナリ塚古墳

  • 全長: 約110m(石上大塚古墳とほぼ同規模で、並んで築かれた巨大前方後円墳)
  • 形状: 前方後円墳(前方部を北に向けた、古墳時代後期の形式)
  • 石室: 全長約13mに及ぶ、県内最大級の巨石を用いた横穴式石室
  • 特徴: 石上大塚とは対照的に、巨大な天井石が当時の姿のまま残っている
  • 被葬者: 石上神宮を拠点とした有力氏族・物部氏(もののべし)の首長クラス

石上大塚古墳とは、築造時期も近く規模もほぼ同じ。まさに「双子」のように寄り添って築かれた、物部氏の権威を象徴する古墳です。

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閉ざされた鉄扉。その奥に眠る「巨石の殿堂」を想う

説明板を過ぎてさらに奥へ進みます。

山の辺の道からウワナリ塚古墳へ続く道
山の辺の道からウワナリ塚古墳へ続く道

左手に大きな後円部が見えてきました。

ウワナリ塚古墳の後円部

そこを回り込むように歩を進めると、左前方に柵が見えました。

ウワナリ塚古墳の後円部にある開口部(石室)への道

柵の左側の隙間を抜けて、道の付いた丘陵を上がって行くと、石室の入り口(開口部)がありました。

ウワナリ塚古墳の後円部と開口部(石室)

実は事前に調べていた情報では「施錠されておらず自由に見学できる」と書かれていたのですが、2026年1月現在、入り口の鉄扉にはしっかりと鍵がかけられていました。

ウワナリ塚古墳の後円部と開口部(石室)施錠された柵

もし施錠されていなかったとしても、入り口には土砂が流れ込んでいて、内部へ潜り込むにはかなりの勇気が必要なほど狭くなっていました。

中に入れなかったのは正直残念でしたが、私はがっかりすることはありませんでした。なぜなら、Wikipedia(ウワナリ塚古墳)などで訪れる前に石室内部の調査画像をじっくり予習していたからです。

この厚い鉄扉の向こう側には、石上大塚古墳とは対照的に、巨大な天井石が重なり合う「暗闇の巨石空間」が広がっているはず――。

扉の前に立ち、わずかな隙間から懐中電灯で照らしてみると、一枚の扉を隔てたすぐ先に古代の空気が凝縮されているような、不思議なワクワク感が込み上げてきました。

ウワナリ塚古墳の石室
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古墳を一周。現代の営みと溶け合う古代の姿

石室を確認した後、さらに道なりに進んで古墳の東側へと回り込んでみました。

ウワナリ塚古墳の遠景

後円部の手前は雑木林になっており、先ほど見た石室の重厚なイメージそのままの、力強いボリューム感を確認できました。

一方で、かつて前方部だった場所は、現在は穏やかなぶどう畑として活用されていました。

ウワナリ塚古墳の遠景(ぶどう畑になった前方部)

後世に開墾されたため、パッと見ると「大きな円墳」のようにも見えますが、それもまた、古代の遺跡と現代の営みが共存する山の辺の道らしい風景です。

道はこのまま進めば再び山の辺の道の先へと合流できますが、私は一度、先ほどの分岐点まで戻ることにしました。左側の道に記されていた、もう一つの歴史の跡を訪ねるために。

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まとめ:「光と闇」の双子古墳。それぞれの物部氏を訪ねて

石上大塚古墳(いそのかみおおつかこふん)」に続き、その隣に鎮座する「ウワナリ塚古墳」を訪ねました。

天井石を失い、光が降り注いでいた石上大塚古墳。 重厚な天井石に守られ、今も暗闇の中に巨石を隠し持つウワナリ塚古墳。

まさに『光と闇』ともいえる対照的な姿を見せる双子の古墳を巡り、私は改めて、この地に刻まれた物部氏の巨大な影を感じることができました。

同じ物部氏の首長墓でありながら、保存状態の違いによってこれほどまでに受ける印象が違うのかと、改めて古墳巡りの深さを実感しました。現在は石室内部へ入ることはできませんが、周辺を歩くだけでも、その巨大な質量と歴史の重みを感じることができます。

天理の里山に静かに、けれど確実に存在する物部氏の影。 次回の記事では、この分岐点まで戻り、いよいよ「音の歴史」が眠る「石上銅鐸出土地」へと向かいます!

ウワナリ塚古墳へのアクセス

奈良県天理市石上町1111-1

石上神宮(いそのかみじんぐう)」から延びる「山の辺の道」北コースは、石上大塚古墳の北東隅で西に直角に曲がりますが、反対側の東側(右手)が古墳の前方部にあたります。
古墳の周囲は雑木林と果樹園(ぶどう畑)になっています。

山の辺の道「北コース」の案内マップ
山の辺の道(北)コース | 天理観光ガイド・天理市観光協会

最後までお読み頂きありがとうございます。

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