奈良の古寺に息づく女帝の心【西大寺】孝謙天皇の歌碑を訪ねて（奈良県奈良市）

景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。

奈良の歴史と文化が息づく西大寺。奈良県の西の玄関口に位置する佇むこの古刹は、奈良時代の面影を今に伝える真言律宗の総本山です。

その境内に、孝謙天皇が詠んだ万葉集の歌碑がひっそりと佇んでいます。今回は、この歌碑とその背景を、孝謙天皇の生涯と合わせて紹介します。

西大寺に佇む孝謙天皇の歌碑を訪ねて
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西大寺に佇む孝謙天皇の歌碑を訪ねて

西大寺と孝謙天皇

西大寺（さいだいじ）は、奈良県奈良市にある真言律宗の総本山で、「南都七大寺」の一つに数えられる歴史あるお寺です。

西大寺の創建は、天平宝字8年（764年）に、聖武天皇の娘である孝謙上皇（重祚して称徳天皇）が、恵美押勝の乱の平定を祈願して四天王像の造立を発願したのが始まりです。

翌天平神護元年（765年）に孝謙上皇は称徳天皇として重祚し、誓願通りに金銅製の四天王像を鋳造しました。この四天王像を祀る四王院を中心に伽藍（寺の建物群）の整備が進められ、これが西大寺のそもそもの始まりとなります。

西大寺という名は、父である聖武天皇が平城京の東に創建した東大寺に対し、娘である称徳天皇が平城宮の西に建てたことから名付けられたと言われています。創建当初は広大な敷地を持ち、薬師金堂と弥勒金堂の二つの金堂、東西両塔など100を超える堂宇が建ち並ぶ大伽藍を誇っていました。

こちらの記事では、西大寺の歴史と見どころをご紹介しています。

古都奈良の隠れた名刹【西大寺】叡尊上人が開いた真言律宗の聖地を訪ねる（奈良県奈良市）

この記事では、奈良県奈良市にある真言律宗の総本山「西大寺（さいだいじ）」をご紹介しています。奈良時代に創建された由緒あるお寺で、「南都七大寺」の一つに数えられます。鎌倉時代中期に叡尊上人によって再興されたこと、大茶盛式が行われることでも知られます。

西大寺の孝謙天皇の歌碑

西大寺の孝謙天皇の歌碑は、鐘楼の傍らにひっそりと佇んでいます。

西大寺の鐘は、参拝者が除夜の鐘を撞くことができ、大晦日の奈良の風物詩の一つとなっています。

（題詞）
天皇・大后共に大納言藤原家に幸す日に、黄葉せる澤蘭一株抜き取り、内侍佐々貴山君に持たしめ、大納言藤原卿と陪従の大夫とに遣し賜う御歌一首　

（原文）
此里者　継而霜哉置　夏野尓
吾見之草波　毛美知多里家利

（読み下し）
この里は　継ぎて霜や置く　夏の野に
我が見し草は　もみちたりけり
万葉集　巻19-4268　孝謙天皇

（現代語訳）
この里は続いて霜が降りるのでしょうか。夏の野で私が見た草(澤蘭さわあららぎ)は、もう色づいていました。

歌の背景と魅力

この歌は、季節の移ろいとその美しさや儚さを捉え、孝謙天皇の繊細な感性を反映しています。万葉集の中でも、女帝らしい優雅で深い情感が感じられる一首です。

「この里は継ぎて霜や置く」: この部分が季節外れの紅葉の原因を探る問いかけとなっています。続けて霜が降りるような、異常な気象が続いているのか、と。
「夏の野に我が見し草はもみちたりけり」: 夏の時期に見たはずの草が、まるで秋のように紅葉している、という驚きを表しています。

題詞を現代語に訳すと

孝謙天皇と母の光明皇后が大納言藤原仲麻呂の邸宅を訪れた折に色づいた澤蘭を引き抜いて仲麻呂と部下の大夫たちに賜った歌

となります。

題詞に、「澤蘭」とあるので、「草」を澤蘭と訳すのですね。ここにある「黄葉せる澤蘭」が、歌の「もみちたりけり」と直接結びついています。

澤蘭（さわあららぎ）とは？

澤蘭は、現代の植物ではサワヒヨドリ（沢鵯）という植物の古名とされています。

分類: キク科ヒヨドリバナ属の多年草です。
自生地: 日当たりの良い湿地や山野に自生します。
特徴: 夏から秋にかけて淡紫色の花をつけ、茎や葉脈が赤く染まることがあります。

この歌では、本来なら紅葉しないはずの「夏の野」の草が色づいていることに、孝謙天皇が驚きや不思議さを感じている様子が伝わってきます。これは、当時の人々の自然に対する繊細な観察眼と感性を教えてくれる一例です。

奈良時代を彩った稀有な女帝「孝謙天皇」生涯と魅力

日本の歴史上、わずか8人しか存在しない女性天皇。その中でも、2度も皇位に就き、激動の奈良時代を駆け抜けたのが孝謙天皇です。一度目の即位から退位、そして再び皇位に返り咲き称徳天皇として君臨するまで、その生涯はまさに波乱万丈です。

聖武天皇の愛娘として、そして初の女帝へ

孝謙天皇は、奈良の大仏で知られる聖武天皇と、光明子（後の光明皇后）の間に生まれました。当時、皇族の女性が政治の表舞台に出ることは珍しくありませんでしたが、天皇の位に就くことは極めて異例でした。しかし、聖武天皇には男子が育たず、また光明皇后が並々ならぬ政治的影響力を持っていたこともあり、皇女である孝謙が天皇の座に就くことになります。

天平勝宝元年（749年）、20代半ばで即位した孝謙天皇は、仏教を篤く信仰した父の意志を継ぎ、仏教による国家鎮護を推し進めます。また、律令制度の運用にも力を入れ、政治手腕を発揮しました。

退位、そして再びの即位「称徳天皇」として

一度天皇の位を降り、上皇となった孝謙ですが、奈良時代を揺るがす大きな事件が起こります。それが、恵美押勝（藤原仲麻呂）の乱です。

天平宝字8年（764年）、絶大な権力を握っていた恵美押勝と、孝謙上皇、そして寵愛を得ていた僧・道鏡との間で激しい対立が勃発。孝謙上皇は自ら兵を率いて乱を鎮圧するという、女帝としては異例の行動に出ます。この大乱を平定した後、孝謙上皇は再び皇位に就き、称徳天皇となります。

称徳天皇として再即位した後は、道鏡を重用し、仏教色の強い政治を進めます。道鏡を最高位である法王にまで昇進させ、宇佐八幡宮神託事件など、後世に議論を呼ぶ出来事も引き起こしました。その治世は、時に道鏡との関係性ばかりが注目されがちですが、国家鎮護のための仏教政策や、社会の安定を目指した施策も数多く行われています。