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吉備真備と大般若経の伝承【御厨子観音妙法寺】の魅力を巡る(奈良県橿原市)

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里中満智子さんの『天上の虹』がきっかけで、古代史に興味を持ったみくるです。学生の頃から『古事記』や『日本書紀』は少し難しいと感じていたのですが、マンガを通して歴史の流れや人物像を知ることで、一気に世界が広がりました。

なかでも印象に残っているのが、「吉備真備(きびのまきび)」の存在です。彼については、里中満智子さんの『女帝の手記』でも詳しく描かれていて、遣唐使として唐に渡り、多くの知識を日本にもたらした才人として紹介されています。

そんな吉備真備が書写したと伝わる『大般若経』が、実は奈良県橿原市の「御厨子観音妙法寺(みずしかんのんみょうほうじ)」に伝えられていたのをご存じでしょうか?そして素晴らしいことに、その経典の一部は、現在、奈良国立博物館に収蔵されています。

今回は、「磐余池(東池尻・池之内遺跡)」や「御厨子神社」とあわせて、この「御厨子観音妙法寺」と吉備真備ゆかりの『大般若経』についてご紹介します。

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御厨子観音妙法寺と磐余池・御厨子神社を巡る

御厨子観音妙法寺とは

御厨子観音妙法寺(みずしかんのんみょうほうじ)」は、奈良県橿原市にある真言宗高野山派の寺院で、長い歴史を持つ観音霊場です。地元の人々に信仰されてきただけでなく、奈良時代から続く文化的価値も高いお寺です。

御厨子観音妙法寺の参道

正式な寺号は「御厨子山 妙法寺」ですが、境内の通称である「御厨子観音(みずしかんのん)」を冠して、御厨子観音妙法寺と呼ばれることが多く、その名前からも人々の観音信仰の深さが伺えます。

御厨子観音妙法寺の参道

特に注目したいのは、「吉備真備(きびのまきび)」が書写したと伝わる『大般若経』との関わりです。吉備真備は遣唐使として唐に渡り、帰国後は学問・暦法・政治・仏教文化など幅広い知識をもたらした才人として知られています。里中満智子さんの『女帝の手記』でも詳しく描かれていますが、彼が書写した大般若経は、国家や人々の平安を祈るために尊重されてきました。

御厨子観音妙法寺には、その写経が納められていたと伝えられています。経典自体は現在、奈良国立博物館に保管されており、重要文化財「大般若経厨子 附 大般若経(だいはんにゃきょうずし つけたりだいはんにゃきょうとして展示・保存されています。

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奈良国立博物館に伝わる「大般若経厨子と経典」

奈良国立博物館に所蔵される「大般若経厨子 附 大般若経は、高さ165cmの黒漆塗の円筒形厨子に、166巻の大般若経が納められた貴重な文化財です。本来は2基で一対をなし、300巻ずつ分けて収めていたと考えられています。

奈良国立博物館に所蔵される「大般若経厨子 附 大般若経」
大般若経厨子 附大般若経|奈良国立博物館

扉の内側には、経典を守護する「十六善神」が描かれ、金泥や截金の装飾が施されており、平安時代の工芸技術の高さを伝えています。経巻の一部には「建久十年(1199年)」の墨書もあり、平安後期から鎌倉初期にかけての写経文化を知る貴重な資料となっています。

もう一基の厨子は現在アメリカ・クリーブランド美術館に伝わっており、日本と海外に分かれて残っていることも注目点です。

このように、御厨子観音妙法寺の吉備真備ゆかりの大般若経と、博物館に残る厨子・経典は、奈良時代から続く信仰と文化の重みを今に伝えています

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磐余池と大津皇子の悲劇

磐余池(いわれのいけ)」は、飛鳥・藤原の宮に近い場所に造られた大規模な人工池です。宮廷の営みや農業のために重要な役割を果たしました。

東池尻・池之内遺跡(磐余池推定地)

磐余池は、大津皇子の悲劇の舞台としても知られています。天武天皇の皇子でありながら、後継をめぐる争いに巻き込まれ、わずか二十四歳で命を落としました。その物語は、里中満智子さんの『天上の虹』でも描かれており、皇子の無念や儚さに心を打たれます。

池があったとされる場所には、大津皇子の辞世の句の歌碑が建っています。

大津皇子の辞世の句の歌碑

当時の風景を想像しながら歩くと、物語の一場面に立っているような気持ちになります。

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御厨子神社と地名「御厨子」

磐余池からほど近い「御厨子神社(みずしじんじゃ)」は、もともとは「水尻神社」と呼ばれ、この地の氏神として根裂神(ねさくのかみ)・安産霊神などを祀っていました。

御厨子神社の鳥居

その後、隣接地に「妙法寺」が移ってくると、御厨子神社は妙法寺の鎮守社(八幡神社)を合祀し、社名を現在の「御厨子神社」に改めたとされています。

このことから、御厨子神社は古来の土地の守り神という性格に加え、妙法寺(御厨子観音)の守護神としての役割も担うようになったと考えられます。

「御厨子神社(みずしじんじゃ)」はまた、清寧天皇(せいねいてんのう)」の宮跡の伝承地でもあります。この地域に残る地名でもある「御厨子」は、天皇の御膳を供する「御厨(みくりや)」に由来するという説もあり、古代史のロマンを感じさせる地名といえます。
※仏像を安置する「厨子(ずし)」を敬っていう言葉「御厨子」に由来するとの説もあります。

古代天皇の宮シリーズ」としても欠かせないスポットで、歴史散策の魅力を深めてくれます

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里中満智子さん『女帝の手記』で吉備真備を深く知る

御厨子観音妙法寺を訪れると、吉備真備ゆかりの大般若経や寺宝に触れられますが、吉備真備の人物像や当時の文化をさらに深く知るには、里中満智子さんの『女帝の手記』がおすすめです。

この作品では、奈良時代の宮廷や政治、吉備真備の生涯が丁寧に描かれており、古代史ファンにはたまらない一冊です。歴史の舞台を実際に訪れる前に読んでおくと、寺院や周辺の史跡がより身近に感じられます。

女帝の手記 孝謙・称徳天皇物語 里中満智子(中公文庫コミック版)

美しい妙法寺の境内と見どころ

参道に並ぶ石灯籠とのぼり

御厨子観音妙法寺の参道には、石灯籠とのぼりが美しく並び、訪れる人を迎えます。奥へ進むにつれて、静寂とともに歴史の空気が漂う参道は、写真映えするスポットです。

御厨子観音妙法寺の参道に並ぶ石灯籠とのぼり

本堂と寺宝

現在の本堂は、元禄時代に再建されたものです。中にご本尊の十一面観世音菩薩をはじめ、歴史ある仏像や絵画、古文書が安置されています。古代からの信仰と文化の重みを肌で感じることができます。

十一面観世音菩薩は、鎌倉時代の作と推定される長谷型観音で、胎内に馬頭観音を収めています。

御厨子観音妙法寺の本堂

唐に渡った吉備真備は、日頃信仰していた観音様にご加護を祈り、「唐で学芸を修め、無事日本に戻ってくることができたなら、自分の領地に先祖の霊を祭る建物を造り、仏恩に報います。」と誓っています。
真備の安全祈願成就にあやかり、「一願成就の観音様」として信仰を集めています

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梵鐘

高台にある梵鐘まで登ると、眼下に広がる美しい境内と、遠くに磐余池の景色も見渡せます。

御厨子観音妙法寺の境内の様子

鐘堂と梵鐘

御厨子観音妙法寺の鐘堂と梵鐘
御厨子観音妙法寺の境内の様子
御厨子観音妙法寺の境内の様子

磐余の池跡を望む高台

妙法寺の境内は高台にあり、目の前には『万葉集』にも詠まれた磐余の池があったとされています。ここは、悲運の皇子である大津皇子が辞世の歌を詠んだ場所としても知られています。

御厨子観音妙法寺の境内の様子「磐余の池跡を望む高台」

百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ

古代の人々がこの景色を眺めながら祈った情景が思い浮かぶ、心落ち着くスポットです。

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水子・子育地蔵尊

「水子・子育地蔵尊」は、磐余池を背景にした美しい立ち姿をされています。

御厨子観音妙法寺の境内の様子「水子・子育地蔵尊」

ぼけよけ地蔵尊

妙法寺は、奈良、和歌山、大阪に広がる「ぼけよけ24地蔵尊霊場」の第14番札所となっており、ぼけよけの信仰を集めています。

御厨子観音妙法寺の境内の様子「ぼけよけ地蔵尊」

説明板から引用させて頂きます。

ぼけよけ地蔵尊

慈悲の心にあふれたお地蔵さまは、ほかの菩薩さまと違って、道ばたや町の辻でよく出会いますが、堂塔のそびえ立つお寺に縁の遠い庶民のために、荘厳されたお寺を出て、みなさまに救いの手を差し伸べようとなさっているからです。
このお地蔵さまは、当山の一願成就のお仕事のうち、「ぼけよけ祈願」の成就を支援しようと、ここに降り立たれました。

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光明不動

境内の自然石に不動明王の姿が見えれば眼病が治ると伝えられています。

御厨子観音妙法寺の境内の様子「光明不動」

じっと見ているとお不動さまが見えるような気がしてきます。

御厨子観音妙法寺の境内の様子「光明不動」

光明不動から右手へさらに進むと、緑の世界が広がっていてとても綺麗でした。

御厨子観音妙法寺の境内の様子「光明不動」

今回ご紹介している写真は、9月に撮影したものです。

御厨子観音妙法寺の周辺の様子

庭園と紫陽花

境内の庭園も見逃せません。

御厨子観音妙法寺の庭園

四季折々の花々が彩りを添えていますが、特に梅雨の時期には紫陽花が見事に咲き誇ります。

御厨子観音妙法寺の庭園に咲く紫陽花
御厨子観音妙法寺の庭園に咲く紫陽花

花の色彩と静けさが絶妙に調和し、訪れる人々の目を楽しませてくれます。

御厨子観音妙法寺の庭園に咲く季節の花
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妙法寺の奥から御厨子神社へ

妙法寺の奥へ進むと、御厨子神社へとつながる道があります。御厨子神社の鎮座地は、第22代・清寧天皇の宮「磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)」の跡地と伝えられています。

御厨子神社の境内の様子

寺(仏教の場)と神社(天皇ゆかりの古社)は、古代から「御厨子」という地名で結ばれ、信仰の面でも深くつながっています。

境内を歩き、神社を訪れることで、寺と神社の関係性や御厨子の地の歴史の広がりをより身近に感じることができます。

ぜひ、御厨子神社の記事もあわせてご覧ください。

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まとめ|橿原市「御厨子観音妙法寺」と御厨子神社でたどる古代史と信仰

御厨子観音妙法寺は、吉備真備ゆかりの寺として奈良時代から信仰を集めてきたお寺です。美しい庭園や梵鐘からの眺め、ぼけよけ地蔵尊や光明不動といった霊験あらたかなスポットなど、見どころにあふれています。また、妙法寺の奥から続く御厨子神社は、第22代・清寧天皇の宮「磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)」の跡地に鎮座し、古代史の舞台そのもの。両方をあわせて訪れることで、信仰と歴史が重なり合う橿原市ならではの魅力を深く感じられるでしょう。

歴史好きや古代ロマンに惹かれる方には、ぜひおすすめしたい散策コースです。

関連記事|古代天皇の宮シリーズ

御厨子観音妙法寺とあわせて訪れたい、古代天皇ゆかりの地の記事をまとめてご紹介します。

御厨子観音妙法寺へのアクセス

  • 所在地:奈良県橿原市東池尻町420
  • 最寄駅からのアクセス
     JR桜井線「香久山駅」徒歩で約15分
     近鉄大阪線「耳成駅」:徒歩で約20分
  • 駐車場
     駐車台数: 約30〜40台
     駐車料金: 無料
御厨子観音妙法寺の駐車場
  • 地図

御厨子観音妙法寺の公式サイトに、拝観料:大人300円とありますが、境内は自由に拝観できました。拝観料は、本堂に上がり、ご本尊を近くで拝むために必要となる費用だと思われます。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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