古墳を見て歩いて古代に想いを馳せるのが好きなみくるです。
今回は、奈良県明日香村にある「都塚古墳」をご紹介します。「金鳥塚」とも呼ばれる方墳です。石室内に安置された家形石棺を見ることができます。
都塚古墳
概要
都塚古墳は、奈良県高市郡明日香村阪田にある方墳です。国の史跡に指定されています。別称を「金鳥塚」とも。6世紀後半(古墳時代後期)の築造で、被葬者は蘇我馬子の父、蘇我稲目が有力視されています。
明日香村中央部の石舞台古墳(明日香村島庄)の南南東約400メートルの尾根上に位置する大型方墳です。
1967年(昭和42年)に関西大学文学部考古学研究室による調査が、2013年-2014年度(平成25年-26年度)に明日香村教育委員会・関西大学文学部考古学研究室による調査が実施されています。
都塚古墳は、正月元旦に金鳥が鳴く伝承があり、金鳥塚とも呼ばれている。横穴式石室に家形石棺を納めた、6世紀後半の後期古墳である。墳形は東西41m、南北42mの方墳で、1~1.5mの周溝がめぐっている。墳丘は川原石を2~3石積み上げた石段が、少なくとも6段以上あり、非常に特殊な構造をしている。埋葬施設は南西に入口を設けた横穴式石室で、全長12.2mで、玄室の長さ5.3m、幅2.8m、高さ3.55mである。床面にはバラスが敷かれており、暗渠排水溝が設けられている。この中央部に二上山産の凝灰岩で造った刳貫式家形石棺がある。石棺の長さ2.23m、幅1.46m、高さ1.72mである。出土遺物には、鉄鏃・刀子・須恵器などがある。
都塚古墳設置の案内版より引用
周辺には、石舞台古墳や塚本古墳などの大型方墳があるが、都塚古墳はこの中で最も古く、位置づけられ、しかも段状の石積みをもつ特殊な構造をしていることから、飛鳥前史を理解するためにも、重要な古墳といえる。
階段ピラミッド構造の墳丘
ピラミッド状に石積みされた特殊な形状をしていて、2014年の発表当初は大変話題になり、説明会には多くの人が列を作りました。
古代の大豪族蘇我稲目(そがのいなめ)(570年没)の墓との見方が出ている奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半)で16日、市民向けの説明会が開かれ、ファンらが田んぼの中のあぜ道に列をつくった。都塚古墳は調査で、墳丘が階段状に石積みされた例のないピラミッド形と判明。一辺約40メートルと、当時の天皇陵にも匹敵する大型の方墳だったことも分かった。
このような「階段ピラミッド」構造については、5世紀頃に高句麗・百済で見られる階段状積石塚との関連が指摘されます。墳丘周囲には周濠が巡らされており、この周濠は幅1.0-1.5メートル、深さ0.4メートルを測ります。
埋葬施設
埋葬施設は両袖式横穴式石室で、南西方向に開口し、石室長は約12メートルを測ります。
柵がされていて、石室内には入れません。
石室内部には刳抜式家形石棺が据えられたほか、木棺(非現存)の追葬が推定されます。盗掘に遭っているため、副葬品のほとんどは散逸しています。
柵の隙間から覗くと家形石棺が見えました。
二上山凝灰岩製です。
二上山凝灰岩は、二上山で産出する白色凝灰岩で、古墳時代後期以来、主に家形石棺で用いられました。
築造時期と被葬者
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半と推定されます。
一帯は飛鳥時代において蘇我氏が勢力を持った地域とされており、蘇我馬子の墓と推定される石舞台古墳や、馬子の邸宅と推定される島庄遺跡などがあります。
被葬者は、石舞台古墳よりやや遡ることから馬子の父の蘇我稲目(蘇我馬子の父)とする説があります。
墳丘の上からの眺めです。
こちらは蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳です。同じく方墳です。石舞台展望台から撮りました。
都塚古墳へのアクセス
奈良県高市郡明日香村阪田小字ミヤコ938
都塚古墳周辺には駐車場がありません。
石舞台古墳の駐車場に車を停めて、徒歩でアクセスされることをおすすめします。
最後までお読み頂きありがとうございます。