明日香村と万葉集が好きなみくるです。
今回は万葉歌碑を見に行って知った「加夜奈留美命神社」をご紹介します。
「加夜奈留美命神社」は明日香村栢森にある式内社です。
「式内社」とは927年完成の『延喜式』神名帳に記載のある神社で、明日香村内に14社あります。
一帯が霊的な空気に包まれる奥明日香
明日香村の「稲渕」「栢森」「入谷」の三大字を中心とする奥明日香は、「奥飛鳥の文化的景観 (国選定 重要文化的景観)」に選定されています。
文化的景観とは、平成17年4月、文化財保護法が一部改正されたことにより新しい文化財の一つとして位置づけられたもの。(中略)主な構成要素を取り上げてみると、男綱・女綱などの縄掛け神事に使用される民俗事例、飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社・加夜奈留美命神社・大仁保神社などの神社、飛鳥川飛び石・南淵請安先生の墓などの村指定史跡といったものがあり、多彩である。これらは飛鳥川上流において展開される、地形に即して営まれてきた居住の在り方と、農業を中心とした生業の在り方の歴史を表している。
【53】 奥飛鳥の文化的景観 (国選定 重要文化的景観) | 明日香村 公式ホームページ
明日香川に架かる「男綱」(稲渕)、「女綱」(栢森)をくぐって上流地域に行くと、辺り一帯が霊的な空気に包まれているのを感じます。
その奥明日香栢森にひっそりと鎮座するのが加夜奈留美命神社です。
加夜奈留美命神社の御祭神「加夜奈留美命」
加夜奈留美命神社は地元では「滝本神社」や「葛(九頭)神さん」と呼ばれていました。
御祭神は加夜奈留美命ですが、この神様は『古事記』・『日本書紀』に登場せず、『出雲国造神賀詞』という祝詞に登場します。
『出雲国造神賀詞』には、大穴持命が国土を天孫に譲って出雲に去る時に、自らの和魂と子女の御魂を大和に留めて皇室の守護とすべき事を誓います。
その中に 「賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて鎮め祭る」と記載されていて、これがこの神社のはじまりとされています。
天長6年(829年)に、「飛鳥坐神社」が鳥形山に遷された時に、加夜奈留美命の本霊は旧地に留まったといわれています。
その社地は所在が不明となり、現在の社は、明治11年(1878年)に栢森の「葛(九頭)神社」を加夜奈留美命の故地として復興したものです。
境内の様子
2024年1月2日に参拝した時の様子です。
門松が美しく飾られていて、村の人が初詣に来られていました。
地域の人大切にされている様子が伺えます。
一間社春日造の本殿と狛犬
拝殿の扁額
拝殿の両脇に境内社があります。
右側が「八幡神社」と思われます。
左側が「葛(九頭)神社」と思われます。
明治天皇遥拝所
万葉歌碑と陰陽石から見る「飛鳥坐神社」との関係
万葉歌碑
拝殿の右側に万葉歌碑があります。
五十串立 神酒座奉 神主部之
雲聚玉蔭 見者乏文
巻13-3229 作者未詳
これと同じ歌碑が飛鳥坐神社にもあることを不思議に思っていたのですが、両社はもともとは「賀夜奈流美命の御魂」をお祀りするひとつの社が分かれたものでした。
こちらは飛鳥坐神社の万葉歌碑です。
万葉歌碑巡りがきっかけで、加夜奈留美命のことを知ることができました。
こちらの記事で歌の意味と、「加夜奈留美命神社」と「飛鳥坐神社」で祀られている神様についてご紹介しています。
➡万葉歌碑巡り【加夜奈留美命神社】酒の神様「三輪山」を思い起こす歌
陰陽石
万葉歌碑の傍ら陰陽石がありました。
飛鳥坐神社は陰陽石がたくさんあることでも知られています。
加夜奈留美命神社へのアクセス
奈良県高市郡明日香村栢森358
公共交通機関をご利用の場合
あすかデマンド乗合交通「栢森」の停留所より約500m
あすかデマンド乗合交通はタクシー車両を利用した停留所で乗り降りする公共交通です。
どなたでもご利用できます。
詳しくは、明日香村の公式ホームページをご覧下さい。
➡あすかデマンド乗合交通 | 明日香村 公式ホームページ
お車をご利用の場合
駐車場はありません。
加夜奈留美命神社の近くは道幅が狭くなっているのでご注意下さい。
最後までお読み頂きありがとうございます。