万葉集が好きなみくるです。
「奈良通が選んだ奈良万葉の旅百首」を片手に万葉歌碑めぐりをしています。
今回は、こちらの本に載っている百首から一首ご紹介します。
墨坂神社の万葉歌碑
先日参拝した宇陀市榛原の墨坂神社の境内に柿本人麻呂の妻の歌碑があると載っています。
ですが、場所が分からず見て来ることができませんでした。
あとになって、拝殿に向かって左側、社務所側の階段を上ったすぐ右手にあることを知りました。
また機会があれば見て来ようと思っています。
こちらの画像は「万葉集の歌碑めぐり」様よりお借りしました。
(原文)
君家尓 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者
(書き下し)
君が家に 我が住坂の 家道をも
我は忘れじ 命死なずは
万葉集 巻4-504 柿本人麻呂の妻
(訳文)
あなたの家に私が住むという住坂の家への道も、私はけっして忘れない。
命のある限りは。
柿本人麻呂の妻が夫の住む住坂の家を決して忘れないと、夫への愛情を歌っています。
牟佐坐神社の柿本人麻呂の泣血哀慟歌に歌われている、人麻呂の切ない思いに胸を打たれたので、住坂にも妻がいたのね、なんて思ってしまいました。
この時代は何人も妻を持つのは普通のことでしたが。
住坂(墨坂)の故地は伊勢街道の西峠近く、天の森あたり伝えられ、各所に古い坂が見られます。「墨坂伝承地」の石碑が立つ道は、すべり坂と呼ばれる趣のある小径です。
奈良万葉の旅百首
趣のある所のようなので、また今度歩いてみようと思います。
住坂の故地に建つ万葉歌碑
住坂の故地にも、同じ歌の歌碑があります。
人麻呂の妻の家はこの辺りにあったと思われます。
画像は「万葉集入門」様よりお借りしました。
こちらの歌碑は榛原小学校のグラウンドの道を挟んだ前にあるそうです。
日本書紀の神武天皇即位前紀の条には天皇軍東征のみぎり、大和菟田の高倉山から国見をすると、賊軍が天皇軍を防ごうと墨坂に”いこり炭”(山焼きの意味)をもって防戦したため、菟田野川の水をもっていこり炭を消火し、敵の不意を打って勝利した。
墨坂神社 | 日本最古の健康の神 (sumisaka-jinjya.jp)
墨坂の名はこの故事にちなむと、その名の由来が記されています。
「神武天皇の東征の際に合戦地となった墨坂の地」とはこの辺りのことだと思われます。
万葉歌碑や記紀の伝承の地を巡り、故事を知るのが楽しいです。
宇陀はわが国最初の薬狩の地
日本書紀には推古天皇19年(611年)5月5日、わが国最初の薬狩が行われたという記述があります。
男性は鹿の角(鹿茸)を捕り、女性は薬草を摘みました。
墨坂神社よりほど近い宇太水分神社の境内に推古天皇が薬狩の折に身を清められたと伝わる御神水があります。
宇陀の地は豊かな自然があり、鳥獣が豊富に生息し、多種多様な薬草が繁茂することから、王権が狩場としていたことが知られています。
墨坂神社のアクセス
奈良県宇陀市榛原萩原703
境内自由
公共交通機関ご利用の場合
近鉄大阪線 榛原駅下車 徒歩約10分
お車をご利用の場合
南阪奈道路葛城ICから、国道24号、165号経由して約20km(約40分)
墨坂神社の駐車場
無料駐車場があります。
おすすめの本
奈良万葉の旅百首 奈良まほろばソムリエの会 著 上野誠 監修
京阪奈情報教育出版(2021/2/28)
万葉の奈良を歩くためのガイドブックです。
周辺の地図や歌碑が紹介されたり、現地を訪ねるために掲載された情報がとてもきめ細やかで、興味深い写真なども盛り込まれています。
万葉集にこだわらなくても、奈良県内の散策を多角的に楽しめるガイドブックになっています。
この本を読まなければ知らなった場所も多くありました。
持ち歩きに便利な新書サイズなので、本を片手に奈良万葉の世界に触れています。
今回の記事でも参考にさせて頂きました。
最後までお読みいただきありがとうございます。