山の辺の道を石上神宮から奈良まで歩いているみくるです。
奈良市虚空蔵町にある「弘仁寺(こうにんじ)」で知恵の仏様と静寂の奥の院に別れを告げ、次なる目的地「円照寺(えんしょうじ)」を目指します。
ここからの道のりは約2.8km、時間にして約40分の徒歩旅行です。天理市から奈良市へと本格的に足を踏み入れるこの区間は、これまでの起伏に富んだ山道とは打って変わり、のどかな田畑の間を縫うように舗装道路が続いています。
「少し距離があるな」と感じるかもしれませんが、実はこの道中には、山の辺の道の長い歴史と、地元の方々の温かな心が詰まった素敵な出会いが待っていました。
その道しるべとなるのが、弘仁寺の近くで見つけた13番から続く、「山の辺の道『奈良道』を守る会」さんの歌碑です。
南天の赤い実とベンチに守られた「植ゑし心」の物語
新旧の道しるべが並ぶ、時を越えた交差点
弘仁寺を下り、県道187号(福住上三橋線)を渡ると、そこには「奈良盆地周遊型ウォークルート」の大きな地図と、お馴染みの蘇芳色の道標が設置されています。

ここから円照寺まで2.8kmです。

さらに歩みを進めると、ふと足元に目が止まりました。 そこには「虚空蔵尊参道 左百米先」と刻まれた年季の入った石碑と、現代の道標が寄り添うように並んで立っていたのです。

江戸時代、あるいはそれ以上前から、虚空蔵さんを目指した人々が見つめてきたであろう石碑。

そして今、私のような旅人を導いてくれる現代の道標。新旧の目印が同じ場所に立ち続ける姿は、まさにこの道が「生きた歴史」であることを教えてくれているようで、山の辺の道らしい風情に心が温まりました。
大伴家持の歌碑:赤い実とベンチに守られて
高樋町(たかひちょう)の集落の中を歩いていくと、次の目的地である歌碑が見えてきました。

歴史の源流を遡るように歩を進め、高樋町の集落で出会ったのは11番の歌碑でした。 「あれ、12番は?」と思われるかもしれませんが、奈良道を守る会さんのマップを確認してみると、12番はここから少し離れた「正暦寺(しょうりゃくじ)」にあるのだそう。
本来のルートから少し外れた場所にひっそりと置かれた12番。そんな番号の飛び方にも、この道を繋いできた人たちの物語や、土地の広がりを感じて少し楽しくなります。
今回は寄り道せずに先を急ぎますが、いつかその「欠けたピース」を埋めに正暦寺を訪ねる日を楽しみにしつつ、目の前の11番、大伴家持の歌碑と向き合いました。

冬枯れの寒々しい景色の中で、そこだけポッと灯がともったように鮮やかな赤い実を付ける木(南天でしょうか)。その足元には、歩き疲れた旅人を誘うように、素朴な木のベンチが据えられています。
そのベンチに守られるようにして佇んでいたのが、11番・大伴家持の歌碑です。

(読み下し)
一本の なでしこ植ゑし その心
誰に見せむと 思ひ染めけむ
万葉集 巻18-4070 大伴家持
(現代語訳)
たった一本のなでしこを植えたその人は、一体誰に見せようと思って、心を込めて植えたのだろうか。
家持が、誰かが植えた一輪の花を見て、その「植えた人の優しい真心」に思いを馳せた歌です。
「一本のなでしこを植えた人は、誰に見せようと思ったのだろう」
家持が歌に込めたその問いかけは、1300年後の今、高樋町の道端で私への答えとして返ってきたような気がします。冬枯れの道に植えられた南天の赤、そして旅人のために置かれた木のベンチ。それらすべてが、この道を今も大切に守り続けている方々の「真心」そのものでした。
ただの移動距離になりがちな舗装路も、こうして「誰かの優しさ」に足を止めることで、心豊かな旅の記録へと変わっていきます。

弘仁寺の近くで見つけた13番の歌碑に続き、今回出会ったのは11番。「山の辺の道『奈良道』を守る会」さんが繋いでくれた歌碑のバトンを、ひとつずつ受け取りながら進みます。
次の道しるべ、10番「柿本人麻呂」の待つ窪之庄へ
さて、ここからは「山の辺の道『奈良道』を守る会」さんの歌碑を、番号順に遡っていく旅が本格的に始まります。

家持の11番をあとに、次に見えてくるのは「10番」の歌碑。窪之庄(くぼのしょう)町で私を待っているのは、万葉歌聖・柿本人麻呂の調べです。
次はどんな情景の中で、古の歌人と出会えるのでしょうか。一歩一歩、歴史の源流を遡るように、再び北へと歩みを進めます。
高樋町の大伴家持の歌碑へのアクセス
奈良県奈良市高樋町1003
最後までお読み頂きありがとうございます。


