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『天上の虹』の世界を歩く【談山神社】鏡王女と定慧、愛と宿命が交差する新緑の聖地(奈良県桜井市)

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里中満智子さんの『天上の虹』がきっかけで、古代史と『万葉集』に興味を持つようになったみくるです。

前回ご紹介した、住宅街に突如現れる巨大な談山神社の「一の鳥居(大鳥居)」。そこから車を走らせること約5.5km。坂道を登り、景色が次第に山深くなっていくにつれ、空気の粒子が細かくなっていくような不思議な感覚を覚えました。

たどり着いたのは、奈良県桜井市に鎮座する「談山神社(たんざんじんじゃ)」です。

別格官幣社 談山神社
別格官幣社 談山神社

紅葉の名所として名高いこの場所ですが、私が訪れた5月は、目に眩しいほどの「青もみじ」が境内を埋め尽くしていました。

今回は、里中満智子さんの名作『天上の虹』を愛する私の視点から、この地に眠る母と子の物語を紐解いてみたいと思います。

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「風をだに」の歌に秘めた真実と、青もみじの森に眠る母子の絆

談山神社:日本の歴史が動いた「相談」の地

まずは、この神社の成り立ちを簡単にご紹介します。

奈良県桜井市に鎮座する「談山神社(たんざんじんじゃ)」は、藤原氏の祖・藤原鎌足公を御祭神としています。

談山神社
談山神社

社名の由来は、かつてこの山の裏山で、鎌足と中大兄皇子(後の天智天皇)が、蘇我入鹿討伐の「密談」を交わしたこと。「談山(かたらいやま)」という名が、そのまま神社の名になりました。

談山
談山(かたらいやま)

ここで注目したいのが、この神社の「開基(創設者)」とされる人物です。 それは鎌足の次男で有名な不比等ではなく、長男の定慧(じょうえ)

定慧は、父の没後にその遺骨をこの山へ改葬し、供養のために十三重塔を建てました。つまり、談山神社という聖地は、「父を想う息子の手」によって始まった場所なのです。

談山神社の十三重塔
十三重塔
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歴史のミステリー:開基・定慧を巡る「解せない謎」

しかし、ここで一つ歴史のミステリーに突き当たります。

実は、公式な記録(『日本書紀』など)では、定慧は父・鎌足が亡くなる4年も前(665年)に亡くなったとされているのです。もしそれが事実なら、定慧が父の遺骨を改葬し、塔を建てることは不可能です。

鎌足より先に亡くなったはずの息子が、なぜ神社の開基になれたの?」

この矛盾にはいくつかの解釈があります。 一つは、公式記録と神社の伝承で没年の認識が異なっているという説。

もう一つは、実務は弟の不比等たちが行ったけれど、唐帰りの高僧という圧倒的な権威を持っていた長男・定慧の「徳」を立てて、彼を開基としたという説です。

いずれにせよ、藤原氏にとって、そしてこの神社にとって「定慧」という存在がいかに特別だったかが分かります。

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恋神社:鏡王女が「自ら選んだ愛」の証

そんなミステリアスな歴史を秘めた境内のさらに奥、瑞々しい新緑の隙間から差し込む光に照らされて、ひっそりと佇むのが「東殿」、通称「恋神社」です。

ここに祀られているのは、鎌足の妻であり、定慧の母である鏡王女(かがみのひめみこ)

談山神社の摂社・東殿(恋神社)
摂社・東殿(恋神社)

藤原氏の公式伝記である『藤氏家伝(とうしかでん)』には、中大兄皇子が寵愛した女性を鎌足に授けたというエピソードが残っています。『天上の虹』で描かれた「鏡王女を託す」というあの名シーンは、単なる創作ではなく、歴史の行間に秘められた深い信頼関係に基づいたものだったのかもしれません。

皇子から功臣へと「託された」彼女の人生。それは一見、時代の波に翻弄されたように見えるかもしれません。けれど私は、彼女が単に運命に従っただけの悲劇の女性だったとは思いません。

彼女は、自分を丸ごと受け入れ、一途に守り抜いてくれた鎌足という男性を、自らの意志で愛し抜く道を選んだ。激動の時代、移ろいやすい権力者の寵愛よりも、揺るぎない信頼で結ばれた鎌足との絆の中に、彼女は真実の幸せを見つけたのではないでしょうか。

だからこそ、この「恋神社」は、一方的な「お願い」をする場所ではなく、「自分にとって本当に大切な人を見極め、共に歩む強さ」を授けてくれる場所なのだと感じます。

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深掘りトピック:亡き夫を想う「風をだに」の真実

鏡王女という女性の心の深淵に触れることができるのが、『万葉集』に残された相聞歌(互いに贈答する歌、恋の歌)です。

額田王が天智天皇を想って詠んだ歌に、鏡王女が唱和する形で詠まれました。

(読み下し)
君待つと 我が恋ひをれば 我が宿の
簾動かし 秋の風吹く

万葉集 巻4-488 額田王

(現代語訳)
あなたを待って恋い焦がれていると、簾を動かして秋の風が吹いてくる。あの方がいらしたのかしら、と胸が高鳴るわ。

天智天皇が通ってくるのをときめきながら待つ額田王。それに対して、鏡王女が返したのがこの歌です。

(読み下し)
風をだに 恋ふるは羨し 風をだに
来むとし待たば 何か嘆かむ

万葉集 巻4-489 鏡王女

(現代語訳)
風だけでも「あの方が来る合図だ」と待てる人が羨ましい。もしそう思えるなら、どうしてこんなに嘆き悲しむことがありましょうか。

『天上の虹』では、この歌は鎌足が亡くなった後に、彼を想って詠まれたものとして描かれています。

額田王は、風の音を聞いて「あの方がいらしたのかしら」と胸をときめかせました。けれど、鏡王女にとっての愛しい人、鎌足はもうこの世にはいません。風が吹いても、簾が揺れても、彼が帰ってくることは二度とないのです。

「待つことすらできない」という、胸が張り裂けるような孤独。 この歌は、単なる未練ではありません。それほどまでに、彼女の心は鎌足という存在で満たされていた。

「中大兄皇子の恋人」としてではなく、「鎌足の妻」として、彼を看取り、その後を追うように彼を想い続けた

そのひたむきな愛を知ってお参りすると、恋神社の空気がよりいっそう温かく、尊いものに感じられます。

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万葉の風に揺れる母子の絆――定慧の誇り

そんな母・鏡王女の深い悲しみを、誰よりも近くで見ていたのが息子の定慧でした。

父・鎌足を亡くし、その死を悼み続ける母。定慧が父の遺骨をこの多武峰へ改葬し、立派な十三重塔を建てたのは、もちろん父への供養のため。

談山神社の神廟拝所 (旧・講堂)
神廟拝所 (旧・講堂)

けれど同時に、「愛する人を失った母の心を、少しでも慰めたい」という息子としての優しさもあったのではないでしょうか。

母が恋した父が眠るこの山を、永遠の聖地にする。 談山神社の始まり(開基)が定慧であるという伝承には、そんな家族の深い愛情が込められているような気がしてなりません。

定慧は、母・鏡王女が抱えていた宿命を、誰よりも近くで見つめていたのかもしれません。「中大兄皇子の落胤(らくいん)ではないか」という噂、そして命がけの唐への留学。彼がまだ幼い身で海を渡ることを決めたとき、母である鏡王女は、どのような想いでその背中を見送ったのでしょうか。

12年という長い歳月を経て、ようやく日本に帰国し、高僧として父・鎌足と再会を果たした定慧。しかし、彼に許された時間はあまりに短く、帰国後わずか数ヶ月で不審な死を遂げてしまいます。あまりにも唐突な死には、今も「毒殺説」という暗い影がつきまとっています。

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なぜ、長男・定慧が「開基」なのか

歴史の表舞台で藤原氏を繁栄へと導いたのは、次男の不比等です。それなのに、なぜこの談山神社の始まりは、悲劇の死を遂げた定慧だと語り継がれているのでしょうか

私はそこに、残された人々の強い「祈り」を感じずにはいられません。

志半ばで倒れた定慧の誇り、そして彼を慈しんだ母の愛を、永遠にこの多武峰(とうのみね)の地に留めようとしたのではないか。あまりに不憫な最期だったからこそ、一族は志半ばで倒れた彼の誇りと、彼を慈しんだ母の愛を「開基」として尊び、その魂をこの聖地の主として称え、深く弔おうとしたのではないか。

そう思って見上げる十三重塔は、単なる墓標ではなく、定慧と鏡王女の魂を包み込む、大きな手向けの花のように見えてくるのです。

結び:新緑の風に吹かれて

藤原氏の公式伝記である『藤氏家伝』に記された「託された運命」を受け入れ、そこから自らの意志で鎌足を愛し抜いた母・鏡王女。そして、亡き父を慕い、母の悲しみに寄り添いながら、この聖地を築いた息子・定慧。

彼らが駆け抜けた飛鳥の物語に思いを馳せながら手を合わせると、新緑を吹き抜ける風が、よりいっそう優しく感じられました。

談山神社の権殿
権殿

「恋結び」という言葉も、ここでは単なる男女の縁だけでなく、時を越えて魂が呼びかけ合うような、深く強い絆を指している気がします。

皆さんもぜひ、歴史の糸を辿りながら、この静かな山を訪れてみてください。そこには、教科書には載っていない「愛し、愛された記憶」が、今も瑞々しい青もみじの香りと共に、息づいています。

次回の「みくるの森」では…… 歴史の次は、この美しい境内の景色をたっぷりお届けします!青もみじに包まれた十三重塔や、舞台造りの拝殿からの絶景など、写真とともに詳しくレポートしますので、楽しみにしていてくださいね。

今回の記事のインスピレーションの源『天上の虹』

私の談山神社への旅に、深い彩りを与えてくれたのは里中満智子さんの傑作『天上の虹』でした。鏡王女が鎌足に託され、やがて深い絆で結ばれていく物語を読んでいたからこそ、恋神社の前で流れる風が、よりいっそう愛おしく感じられました。

万葉の時代を生き抜いた女性たちの強さと情熱を、ぜひ皆さんもページをめくって体感してみてくださいね。記事でご紹介した額田王と鏡女王が歌を交わす場面は、文庫版の第3巻で描かれています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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