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柿本人麻呂の詩情を棟方志功が蘇らせる!巻向に建つ生命力あふれる歌碑(奈良県桜井市)

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万葉歌碑を巡り歩いて、歌に詠まれている情景と、歌碑が建つ地の風景を楽しんでいるみくるです。

古都・奈良の東部、古代大和王権の中心地であった巻向(まきむく)。この地に、千年以上も前の情景を伝える一首の歌が、力強く石に刻まれています。

痛足川(あなしがわ) 川波(かわなみ)立ちぬ 巻向(まきむく)の 弓月(ゆつき)が岳(たけ)に 雲居(くもい)立てるらし (万葉集 巻7-1087)

「川に波が立ち、巻向の山には雨を呼ぶ雲が湧き立っているようだ」――山雨迫る、緊迫感に満ちたこの歌の揮毫を手がけたのは、世界的な版画家である棟方志功(むなかたしこう)その人です。

「棟方志功といえば版画」というイメージが強いかもしれませんが、彼が残した書の数々もまた、唯一無二の芸術として評価されています。

本稿では、「歌聖」柿本人麻呂の詩情と、「版画の鬼」棟方志功の芸術魂が、なぜこの巻向の地で、どのように響き合ったのかを探ります。

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柿本人麻呂が詠んだ古代の情景と、棟方志功が刻んだ現代の魂の邂逅

穴師川沿いに建つ万葉歌碑

今回ご紹介する万葉歌碑が建つのは、奈良県桜井市に鎮座する「檜原神社(ひばらじんじゃ)」からほど近い、穴師川沿いの地です。

檜原神社の前の山辺の道を北へ抜けて、舗装された道を西へ少し下ってすぐの石段下の穴師川沿いに建っています。

歌碑に刻まれているのは、『万葉集』巻7一1087の歌です。

(原文)
痛足河 ゝ浪立奴 巻目之
由槻我高仁 雲居立有良志

(読み下し)
穴師川 川波立ちぬ 巻向の
弓月が岳に 雲居立てるらし

万葉集 巻7-1087 柿本人麻呂

(現代語訳)
痛足川(あなしがわ)に川波が騒ぎ立ってきた。 巻向(まきむく)の弓月が岳(ゆつきがたけ)には、雨を降らせる雲がわき起こっているようだ。

柿本人麻呂は、この巻向山麓の里に愛する妻が住んでいたため、この付近の自然を詠んだ作品が多いことでも知られています。

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歌聖・人麻呂が捉えた「命の躍動」

歌の背景にある情景を見てみましょう。

この歌は、柿本人麻呂が愛する妻の住む巻向の地で詠んだとされ、作者の私的な感情も投影された、親密な風景です。
※左注によると柿本朝臣人麿歌集に収録されていた歌とのこと

人麻呂は、ただ静かに山を眺めるのではなく、自然の「動」を鋭敏に捉えています。

痛足川 川波立ちぬ(川波が立った) 弓月が岳に 雲居立てるらし(雲が立ち昇っているようだ)

川の流れが急になる→川波が立つ→遠くの山に雨雲が湧き立っているに違いない、という、音や水面の変化から天候の急変を推測する、ダイナミックな描写です。

この歌に描かれているのは、雨の前の、自然が持つ抑えきれないエネルギー、つまり「命の躍動」そのものです。

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棟方志功の「書」が持つエネルギー

棟方志功の作品といえば、生命力に満ちた力強い筆致が特徴です。彼にとって、書や版画は、自身の内から溢れ出る情熱を表現する手段でした。

棟方は、文字を書く行為を、紙の上に魂を打ち付ける行為、あるいは版木を「文字を掘る」行為と同じく捉えていました。その書は、伝統的な書道の枠を超え、線一本一本が躍動し、生きているかのような「エネルギーの塊」となっています。

彼の芸術の根底にあるのは、すべてを肯定し、生命そのものを讃える「歓喜」の精神です。

この情熱的な「歓喜」こそが、古代の言霊(ことだま)に再び命を吹き込む鍵となります。

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歌碑の完成:二人の巨匠の共鳴

なぜ、棟方志功の書は、この人麻呂の歌にこれほどまでに合うのでしょうか?

それは、歌に内在する「力強い動き」と、棟方芸術の持つ「魂の躍動」が、完璧に共鳴したからです。

特にこの歌碑の最大の特徴は、文字の隣に山と川を象徴する力強い線画(版画の線)が添えられている点です。棟方志功は、この歌碑全体を一つの「版画作品」として捉え、文字と絵を融合させました。

歌碑の文字をよく見てください。

文字そのものが勢いよく躍動しています。

そして、その筆致と一体となるように描かれた巻向山の風景は、山肌を伝う川の勢いや、山に立ち昇る厚い積乱雲の形そのものを象徴しているかのようです。

棟方志功は、版画という表現手段を通して、歌が持つ自然の圧倒的な迫力を、文字と絵という視覚的な表現に置き換えることに成功しました。

この歌碑は、1300年前の「歌聖」が感じた自然の力を、「版画の鬼」が、自身の得意とする線画という形で現代に生き返らせた、時を超えた共同作品と言えるでしょう。

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結び:奈良に残された棟方志功の「絆」

等彌神社の歌碑「【等彌神社に刻まれた絆】なぜ棟方志功は奈良の歌碑に絵を刻んだのか?」でもご紹介したように、奈良の地には棟方志功の深い思いが刻まれています。

この歌碑もまた、その「絆」を示す大切な証です。

巻向の歌碑と、等彌神社の歌碑(絵を刻んだもの)は、棟方志功が奈良という土地に抱いていた、深い敬意と愛情を象徴しています。

彼は、奈良の古代史や仏教美術から大きなインスピレーションを得ていました。

万葉歌碑への揮毫は、彼にとって、日本の美の源流である古代の精神を現代に伝える、極めて重要な作業だったのではないでしょうか。
棟方志功は、力強い文字を石に刻むことで、柿本人麻呂の詩情に新たな命を吹き込み、この巻向の地が持つ古代からのパワーを、後世に伝え続けているのです。

ぜひ、奈良を訪れた際は、痛足川のほとりで川波の音を聞きながら、棟方志功の力強い文字と、1300年前の歌人の魂の叫びを感じ取ってみてください。

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