山の辺の道や古墳が好きで、よく天理市に出かけているみくるです。
日本には数多くの古道がありますが、その中でも「山の辺の道」は特別です。約1,300年前に記された『古事記』や『日本書紀』にも登場する、まさに日本最古の道の一つ。奈良の穏やかな里山と古代史のロマンが凝縮された、最高のハイキングコースです。
今回私は、北コースの起点である石上神宮からスタートし、歴史の足跡を辿りながら、豊田山城跡のあたりまでを歩きました。
そして道中、この古道が、実は東京から大阪を結ぶ壮大なロングトレイル、「東海自然歩道」の一部であることを知るという、嬉しい驚きがありました。
今回は、この二つの道が交差する体験をご紹介します。
奈良で味わうロングトレイル|山の辺の道で東海自然歩道の雰囲気に触れる
スタート地点:神々しい「石上神宮」
旅のスタートは、古代から大和朝廷の武器庫であったとも伝わる「石上神宮(いそのかみじんぐう)」です。

境内を包む深い森「石上神宮社叢(いそのかみじんぐうしゃそう)」は神聖な空気に満ちており、ここから古代への旅が始まるのだと感じさせてくれます。

神社の象徴とも言える、特別天然記念物のニワトリ「御神鶏」たちが悠然と境内を歩き回る姿は、時間を忘れてしまうほどのどかな光景です。

この厳かな雰囲気の中で気持ちを整え、いよいよ「山の辺の道」へと踏み出します。
古代ロマンと豪族の足跡(石上神宮〜布留・豊日)
石上神宮社叢を抜けて北へ進みます。「山の辺の道・北コース」です。

一般的に「山の辺の道」と呼ばれるハイキングコースは、奈良県天理市から桜井市までの約16kmの区間を指しますが、石上神宮(奈良県天理市)をほぼ境として、北側と南側に大きく分けられ、それぞれ特徴が異なります。
「山の辺の道・北コース」は、南コースに比べて観光客が少なく、より静かで素朴な風景が残るコースです。石上神宮の境内から、影媛ゆかりの布留の高橋をわたり、青垣の山裾をたどって北へ向かいます。

この道は、万葉歌にも詠まれた場所をいくつも通ります。特に印象深いのが、布留の集落を流れる川に架かる「布留の高橋(ふるのたかはし)」付近です。

『万葉集』に詠まれているほか、高橋姓のルーツの一つと考えられたりしていることでも知られています。

山の辺の道は、道標が道案内をしてくれるので、安心して歩けます。

「山の辺の道 北コース」と書かれたプレートが取り付けられていました。

さらに道を進んだ先にある「豊日神社(とよひじんじゃ)」は、まさにその高橋氏との関わりが深く、この地域が古代豪族たちの生活拠点であったことを示しています。

神社を訪れることで、この山の辺の道が、単なる交通路ではなく、地域の歴史を動かしていた人々の道であったことを実感できます。

11月の末に歩いた際は、紅葉が綺麗でした。梅の木も植えられているので、初春に歩くのも良さそうです。

石上神宮から豊日神社までは0.8km、豊日神社から弘仁寺(こうにんじ)までは5.7kmです。

山裾を通り、豊日神社から豊田山城跡へ
高橋氏ゆかりの地を過ぎ、いよいよ今回のもう一つの目的地、豊田山城跡へ。

天理市豊井町の山裾を通る道を進みます。

山裾を通る道は、これぞ山の辺の道といった雰囲気です。


落ち葉が積もる道は踏み固められていて、多くの人が歩かれていることが分かります。

石上神宮から1.4kmの地点です。

新たな発見:古道に佇む山城とロングトレイル
山の辺の道から山側へ入っていく細い道を進むと、室町時代に築かれた山城跡があります。


草木が生い茂っていて確認できなかったのですが、この付近に「豊田山城跡」の説明板が建っているようです。

攻城団のサイトに投稿された、「豊田山城跡」の案内板の写真を引用させて頂きます。

案内板によると、今なお郭や空堀などの遺構が残されており、この小さな山がかつての戦乱の時代には重要な要衝であったことがわかります。
地元の豪族、豊田氏の居城跡
室町時代中期、大和では越智(おち)党と筒井党の二大勢力がぶつかりあっていました。
豊田氏は興福寺の衆徒(しゅと)として布留郷に勢力を張っていた豪族で、豊田頼英の時代に越智党に属し、近郷に勢力を伸ばします。
その居城が豊田山城です。標高180mの丘陵上にあり、現在でも4ヶ所の郭(くるわ)と土塁、空堀(からぼり)の跡などが残っています。郭の最も高いところには本丸がありました。郭群を取り囲む空堀は、南側で二重になっており、城の拡張が進められていたようです。
整備などはされておらず、夏場は歩くのも困難ですが、遺存状態は良く、規模は小さいものの貴重な城跡といえます。
『大乗院寺社雑事記』の明応7(西暦1498)年に「豊田本城煙立」、その翌年に「夜前豊田城辺焼亡了」とあり、この頃に落城したようです。
豊田山城跡 | 天理観光ガイド・天理市観光協会
そして、この城跡の周辺で、私は山の辺の道の道標とは異なる道標に目が留まりました。

そこには「弘仁寺まで4.3km」という文字と共に「東海自然歩道」と記されていたのです。
日本最古の道を歩いていたつもりが、意図せず、東京の高尾山から大阪の箕面までの1,700kmを繋ぐ日本初の長距離自然歩道を歩いていた。この二つのスケールの異なる道が交差していることに、私は非常に感動しました。
思い返してみれば、奈良県内のそこかしこで「東海道自然歩道」の案内板を目にしていました。

この奈良県内のコースは、特に歴史的な名所を巡るために意図的に道筋が選ばれており、距離の長さよりも、歩く体験の質を重視したルートとなっています。

この壮大なロングトレイルの本質的な魅力が、この「山の辺の道」にあるのだと実感しました。
まとめ:旅を終えて
石上神宮から歩いた「山の辺の道」北コースは、まさに歴史の宝庫でした。
古代の豪族・高橋氏の足跡に触れ、地域の歴史を知り、そして道の途中で日本の歴史と現代のロングトレイルが繋がっているというロマンを発見することができました。
奈良県民としては、この歴史と感動が凝縮された奈良県ルートにこそ、ハイカーの皆さんに来て歩いて欲しいと強く思います。
歴史好きの方はもちろん、「日本のロングトレイルを体感してみたい」という方も、ぜひこの「山の辺の道」から東海自然歩道デビューを飾ってみてはいかがでしょうか。
今回の旅のスタート地点となった石上神宮へのアクセス方法や、山の辺の道についてはこちらの記事でご紹介しています。
次の旅では、山の辺の道・北コースをさらに進み、「白川ダム」付近まで向かう予定です。

「山の辺の道・北コース」は、ここからは山裾を通る趣のある道から離れて、県道51号線を通りますが、案内板の標示から、この道も「東海自然歩道」と重なっていることが分かります。

今回の発見があったことで、これからは、二つの道が交差することをよく感じて歩こうと思いました。
最後までお読み頂きありがとうございます。

