山の辺の道や古墳が好きで、よく天理市に出かけているみくるです。
日本には数多くの古道がありますが、その中でも「山の辺の道」は特別です。約1,300年前に記された『古事記』や『日本書紀』にも登場する、まさに日本最古の道の一つ。奈良の穏やかな里山と古代史のロマンが凝縮された、最高のハイキングコースです。
前回の記事では、「石上神宮(いそのかみじんぐう)」からスタートし、日本最古の道「山の辺の道」と「東海自然歩道」が重なる豊田山城跡周辺までをご紹介しました。
心地よい里山の風景を楽しみながらさらに歩みを進めると、次に見えてくるのが、今回の目的地である「石上大塚古墳(いそのかみおおつかこふん)」です。
実はこの古墳、道沿いの標識から一歩足を踏み出すと、それまでの穏やかなハイキングとは一変した「本気の冒険」が待っていました。竹林に隠されたピンクのリボンを頼りに、最後はロープをしっかり握りしめて急勾配を登る――。

その苦労の先に現れたのは、天井を失い、冬の光をいっぱいに浴びた巨大な石室でした。かつてこの地を支配した古代の大豪族・物部氏(もののべし)。彼らが築いた、壮大で少し切ない歴史の跡をご紹介します。
物部氏の首長墓と考えられる前方後円墳「石上大塚古墳」
豊田山城跡から、歴史が交差する県道へ
豊田山城跡を後にし、山の辺の道をさらに北へ進みます。

道中の道標を見ると、ここが「東海自然歩道」でもあることがしっかりと記されています。

「東京の高尾山から続く道が、今、自分の足元にあるんだ」と思うと、少し不思議な、そして嬉しい気持ちになります。

しばらくは奈良県道51号線に沿って歩くルートになります。舗装された車道なので、正直なところ「古道らしい情緒」はあまりありませんが、ここもまた長い歴史の中で整備されてきた道の一部。

安全に気をつけながら、次のポイントを目指します。
冬の静寂と、空を写す池
県道を逸れて畑や林の道に入ると、そこには冬ならではの景色が広がっていました。

葉をすっかり落とした樹には、しなびた柿の実が残っています。その少し寒々しい光景を見上げながら、「実りの季節なら、ここはもっと色鮮やかで綺麗なんだろうな」と、次の季節への想像が膨らみます。

けれど、冬には冬にしか出会えない美しさがありました。 ふと目に留まったのは、「豊田新池」という溜池。

風のない穏やかな日だったので、冬の澄んだ青空を鏡のようにパキッと写し出していて、その透明感に思わずシャッターを切りました。

実り豊かな季節の華やかさはないけれど、遮るもののない空の広さと、凛とした空気感。この静けさがあるからこそ、竹林の中にある「歴史の核心」へ向かう気持ちが整っていくような気がします。
県道を逸れ、いよいよ「古道の気配」の中へ
ほどなくして、今回の目的地である「石上大塚古墳」が眠る竹林の入り口に到着しました。

そこには「狂心の渠(たぶれこころのみぞ)」という、なんとも心惹かれる名前の説明板が立っています。

足元には、かつてこの地から飛鳥まで運ばれたという「天理砂岩」が置かれていました。

斉明天皇の時代、運河を作るためにこれほど巨大な石を遠く飛鳥まで運んだという古代人の熱量に、改めて圧倒されてしまいます。 (※「狂心の渠」については、また別記事で詳しくご紹介しますね!)

この説明板のすぐ脇から、いよいよ竹林の中、物部氏の聖域へと足を踏み入れていきます。
山の辺の道から「竹林の迷宮」へ
山の辺の道(北コース)は、実は石上大塚古墳の周濠東側の外堤(がいてい)をなぞるように通っています。

このことを調べて知っていたので、「今歩いているこの道も、実は巨大な古墳の一部なんだ」という気付きが、古道歩きをさらに魅力的なものにしてくれました。

左手に古墳の気配を感じながら歩いていると、やがて「石上大塚古墳」と書かれた小さな案内板が現れました。

多くのハイカーがそのまま通り過ぎていく中、私はこの案内板の場所で、慣れ親しんだ「山の辺の道」を逸れることにしました。

一歩足を踏み出すと、そこは別世界。

密集した竹林が視界を遮り、どこが道なのかも判然としません。頼りになるのは、木々に結ばれたピンクのリボンだけ。

リボンを一つずつ確認しながら、静まり返った竹林の奥へ、奥へと進んでいきます。

「本当にこの先に巨大な石室があるのだろうか……」
そんな不安がよぎる頃、ついに竹林の隙間から墳丘が姿を現しました。

目の前に現れた「壁」と運命のロープ
そこにあったのは、想像以上の急勾配。

「これを登るの……?」と思わず見上げてしまうような高さの墳丘ですが、そこには親切にもロープが張られていました。

カメラをバッグにしまい、両手でしっかりとロープを握りしめます。12月の乾いた落ち葉は滑りやすく、一歩踏ん張るごとに土の感触が手に伝わります。必死に斜面と格闘すること数分。登り切って息を整えた私の目の前に、それは姿を現しました。
光降り注ぐ、天井なき巨大石室
現れたのは、巨大な石が整然と積み上げられた横穴式石室です。

驚いたのは、その「明るさ」でした。通常、古墳の石室といえば暗くて狭い場所を連想しますが、ここは側壁の上部と天井石が失われています。

皮肉なことに、そのおかげで冬の柔らかな光が石室の隅々まで降り注ぎ、古代の石積みの一画一画をくっきりと照らし出していたのです。

ここで、石上大塚古墳の驚くべきスペックを整理しておきましょう。
石室の底には、拳くらいの大きさの礫(つぶて)が敷き詰められ、かつてここに安置されていたであろう凝灰岩(ぎょうかいがん)製の石棺の破片が、静かに時を止めていました。
【考察】なぜこの3基が「物部氏の首長墓」と言えるのか
石上大塚古墳は、単体で存在するのではなく「石上・豊田古墳群」という大きなグループの中にあります。その中でも、別所大塚古墳・ウワナリ塚古墳・石上大塚古墳の3基は、以下の3つの共通点から、物部氏の歴代首長(一族のリーダー)が葬られた「首長墓」である可能性が極めて高いと考えられています。
物部氏の本拠地という「立地」
この古墳群が位置する天理市石上・豊田一帯は、古代より物部氏の氏神である「石上神宮」のすぐ近くであり、彼らの本拠地でした。これほどの巨大前方後円墳を築ける力を持った一族は、この地域では物部氏以外に考えられません。
奈良県内でも有数の「圧倒的な規模」
これら3基はいずれも全長100m〜125mに及ぶ大型の前方後円墳です。
- 別所大塚古墳: 約125m(6世紀前半)
- 石上大塚古墳: 約107m(6世紀前半〜中頃)
- ウワナリ塚古墳: 約110m(6世紀後半) これらは、当時の大和政権を支えた有力豪族の首長クラスにのみ許された特権的なサイズです。
世代をまたぐ「連続性」と「形式」
3つの古墳は築造時期が少しずつズレており、6世紀の初めから終わりにかけて順番に築かれたと考えられています。
- 同じ地域に。
- 同じような前方後円墳という形で。
- 時代を追って連続して築造されている。
このことから、これらは単なる個人の墓ではなく、物部氏のリーダーたちが代々引き継いできた「一族の奥津城(おくつき・墓所)」であると推測されるのです。
破壊の跡に宿るロマン
これほどの規模がありながら、石上大塚古墳は国指定の史跡にはなっていません。それは、石室の保存状態が良くないためだと考えられます。
石材がなぜ持ち去られてしまったのか、その真相は分かっていません。地震で崩れたのか、あるいは後世に石材として利用されてしまったのか……。石室がすべて残されていれば、かなり巨大な石室であったことでしょう。
かつての物部氏のリーダーたちが、代々この景色を眺めながら、一族の繁栄を願ってこの巨大な墓を築いたのだと思うと、壊された石室の姿がより一層感慨深く感じられました。
天理市内には、今回訪れた石上大塚古墳を含む「石上・豊田古墳群」だけでなく、南には「杣之内古墳群」も広がっています。街のいたるところに残る巨大な古墳の影を追うと、かつてこの地を統治した物部氏の強大な力が、今も土地の記憶として息づいているのを感じます。

以前訪れた、同じく物部氏の影を感じる「東乗鞍古墳」も、見事な巨石の石室が印象的でした。
おわりに:冬の訪問が教えてくれたこと
今回、12月に訪れたのは正解でした。夏場なら草木に阻まれて近寄ることすら難しかったであろうこの場所も、冬枯れの時期なら石積みのディテールまでじっくりと観察できます。
すぐ東側には、同じく物部氏ゆかりの「ウワナリ塚古墳」が隣接しており、さらに南西には「別所大塚古墳」も控えています。

この一帯はまさに、巨大豪族が遺した祈りの聖域でした。
次は、隣り合うウワナリ塚古墳にも足を伸ばしてみたいと思います。 山の辺の道を一歩踏み出し、ロープを伝って出会ったあの「光の石室」。皆さんも、滑りにくい靴を履いて、古代の鼓動を感じに訪れてみませんか?
石上大塚古墳へのアクセスと見学のポイント
奈良県天理市石上町632
石上大塚古墳は、整備された公園ではなく「自然の中に眠る史跡」です。訪れる際は、以下の情報を参考にしてください。
スタート地点とルート
- 公共交通機関: JR/近鉄「天理駅」から徒歩約40〜50分、またはバスで「石上神宮前」下車後、北へ徒歩約30分。
- お車: 石上神宮の無料駐車場を利用し、そこから「山の辺の道(北コース)」を北へ歩くのが一番スムーズです。
- 道順: 石上神宮から北へ進み、「狂心の渠(たぶれこころのみぞ)」の説明板を過ぎてしばらく歩くと、左手に「石上大塚古墳」の案内板が現れます。ここが墳丘への入り口です。

装備について(重要!)
今回歩いてみて、以下の準備は必須だと感じました。
- 靴: 履き慣れたスニーカーやトレッキングシューズ。竹林の落ち葉や墳丘の急斜面は、想像以上に滑ります。
- 手袋(軍手): 石室へ登るための「ロープ」をしっかり握るために、あると非常に重宝します。
- 服装: 竹林の中を進むため、長袖・長ズボンが安心です。
見学のベストシーズン
- 12月〜3月(冬場): おすすめです!下草が枯れているため、石室の構造がよく見えます。また、夏場に悩まされる虫やヘビの心配もほとんどありません。
「山の辺の道」という穏やかな古道のすぐそばに、これほど力強く、冒険心をくすぐる場所があるとは思いませんでした。
案内板から一歩逸れた先にある「知る人ぞ知る歴史の跡」。皆さんもぜひ、一歩踏み出すワクワクを味わってみてくださいね。
冒険の後は水辺のオアシスへ。再び北へ歩き「白川ダム」を目指す
石上大塚古墳の巨大な石室を目の当たりにし、古代の熱量に圧倒された後は、再び「山の辺の道」へと戻ります。

竹林を抜け、いつもの古道の安心感に包まれながら、さらに北を目指して歩みを進めましょう。

次に現れるのは、それまでの「歴史の道」とは少し雰囲気が変わる、開放感あふれる水辺の景色。山の辺の道のオアシスとも言える、「白川ダム」に到着します。

冒険の後の火照った体を休めるのに、ぴったりの美しい景観が広がっていますよ。

白川ダムの詳しい様子はこちらの記事でご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。



