生まれも育ちも奈良県で、今は橿原市に住んでいるみくるです。
「記述編」でその激動の生涯を辿り、「宮跡編」で建国の地の活気に触れたこの旅も、いよいよ最終章を迎えました。
最後に訪れるのは、神武天皇が今も静かに眠る「神武天皇陵(じんむてんのうりょう)」です。正式名称を「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」といい、畝傍山の北東の麓に位置しています。
橿原神宮のすぐ近くにありながら、そこには全く異なる、凛とした静寂の世界が広がっていました。
初代・神武天皇「天皇陵編」畝傍山の麓に眠る、祈りの聖域
『日本書紀』が記す神武天皇の最期
『日本書紀』には、神武天皇の崩御と埋葬について、次のように記されています。
庚辰(かのえたつ)の年(神武天皇76年)の春三月、天皇は橿原宮で崩御された。享年は127歳であった。 翌年の秋九月、畝傍山の東北の陵に葬った。
127歳という驚くべき長寿を全うし、自らが拓いた大和の地で永遠の眠りにつかれた神武天皇。その陵の場所は、当時の干支に基づいた方位「東北(うしとら)」という名で、今に伝えられています。
時代に翻弄された「聖域」の変遷
現在、私たちが拝礼しているこの場所ですが、実は長い歴史の中でその所在が一時不明となっていた時期がありました。
江戸時代の元禄年間には、別の場所(現在の北西にある「塚山」)が神武天皇陵と定められていたこともあります。しかし幕末の文久3年(1863年)、天皇の権威を見直す動きの中で「より相応しい場所を」と再検討が行われました。
そこで大きな決め手となったのが、この地に残っていた「ミサンザイ」という俗称です。
言葉の中に生き続ける「記憶」
「ミサンザイ」とは、貴人の墓を意味する「みささぎ(陵)」という言葉が、長い年月をかけて土地の言葉として変化したものだと言われています。
再調査が行われた際、この場所が地元の人々から代々「ミサンザイ(神武田)」と呼ばれ、大切に守られてきたという事実が重視されました。たとえ公式な記録が薄れても、土地の人々が「ここは尊い方のお墓だ」と呼び伝えてきた記憶こそが、真実を物語っている……。そう考えられたのです。
橿原市内には他にも、宣化天皇陵に治定されている「鳥屋ミサンザイ古墳」などがありますが、この「ミサンザイ」という響きに触れるたび、私は土地の記憶の深さに胸が熱くなります。
名もなき人々が何世代にもわたって守り抜いてきた「敬意」が、幕末という変革期に実を結び、今の神武天皇陵としての姿に繋がった。そう思うと、ここを包む空気の神々しさにも、より一層の納得がいくような気がしたのです。
畝傍山の麓に漂う「祈りの力」
橿原神宮から北へ歩を進めると、風景は次第に深い森へと変わっていきます。 そこに現れるのは、畝傍山(うねびやま)の北東の麓に位置する広大な神域。

見上げる畝傍山は、遠くから見るよりもずっと力強く、それでいて優しくこの場所を抱きかかえているように見えます。
この山の麓に、日本のはじまりを築いた方は今もいらっしゃるのだと、静かな感動が込み上げます。
圧倒的な威厳を放つ鳥居
実際にその場所に立つと、まず圧倒されるのがその威厳です。

通常の天皇陵では鳥居は一つであることが多いのですが、ここ神武天皇陵には、立派な大きな鳥居が二つも構えられています。

その重厚な姿は、まさに初代天皇としての格の違い、そして建国を成し遂げた方の「威厳」そのもの。一歩、また一歩と玉砂利を踏んで進むたびに、日常のざわめきが消え、心が洗われていくのを感じました。

黙って手を合わせたくなる場所
正直に言えば、現代の歴史学では「神武天皇は実在しなかった」という説が定説となっています。この場所も、幕末に「新しく」整えられたものだという見方もあるでしょう。
しかし、一歩足を踏み入れ、拝所の前に身を置いた時、そんな理屈はどこかへ消えてしまいました。
天皇皇后両陛下をはじめ、皇族の方々が大切に参拝され続けているこの場所には、何とも言えない神々しい空気が漂っています。
それは、1300年前の物語を信じ、この場所を「はじまりの地」として守り続けてきた数え切れないほどの人々の「祈りの積層」が、目に見えない力となって空間を満たしているからではないでしょうか。
思わず黙って、深く手を合わせたくなる。 そこには、時を越えて受け継がれてきた、圧倒的な「祈りの力」が満ちていました。
おわりに:旅を終えて
全4回にわたってお届けしてきた「日本書紀の足跡を旅する:神武天皇編」。
古い記述の中にいた一人の情熱的なリーダーは、私にとって、もはや遠い神話の住人ではありません。橿原の風の中に、神宮の舞の中に、そしてこの静かな陵墓の森の中に。その息吹は今も確かに、この街の一部として息づいています。
当たり前に過ごしている日常の中に、実はこんなにも壮大な物語が隠されている。 今回の旅を通して、それを皆さんと共有できたなら、これほど嬉しいことはありません。
次は、万葉の香りが残る「忍坂(おっさか)」の地で出会った、もう一つの古い物語についてお届けする予定です。
神武天皇の足跡を辿る旅。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
シリーズ記事一覧
これまでの「日本書紀の足跡を旅する:神武天皇編」はこちらからご覧いただけます。
- 第1回【日本書紀の足跡を旅する】神武東征編:日向から大和へ、兄との別れを越えた天命の道
- 日向から東を目指した激動の旅路と、立入禁止の聖域「忍坂」への想い)
- 第2回【日本書紀の足跡を旅する】即位・治世編:黄金の輝きと、はじまりの地・橿原
- 宿敵との決戦、黄金の鵄の導き、そして橿原の地での即位の物語
- 第3回【日本書紀の足跡を旅する】宮跡編:神武天皇の理想を抱く橿原宮と、現代の橿原神宮
- ミグランスから眺める大和三山と、紀元祭に沸く橿原神宮の現地レポ
- 第4回【日本書紀の足跡を旅する】天皇陵編:神武天皇が眠る「畝傍山東北陵」と、時を越えて漂う祈りの力
- 旅の終着点。畝傍山東北陵で感じた、理屈を超えた神々しい空気
神武天皇陵(畝傍山東北陵)へのアクセス
神武天皇陵は、橿原神宮の北側に位置しています。神宮参拝の後に、そのまま歩いて向かうことができる距離にあります。
奈良県橿原市大久保町
電車でお越しの方
- 近鉄「橿原神宮前駅」から徒歩約15分
北口(西出口)から出て、住宅街を抜け、深い緑に包まれた参道を目指します。 - 近鉄「畝傍御陵前駅」から徒歩約10分
駅名の通り、御陵に最も近い駅です。西改札口を出て、真っ直ぐ続く参道を歩くルートは、次第に静寂に包まれていく過程を楽しむことができます。
お車でお越しの方
- 神武天皇陵専用駐車場(無料)
参道の入り口付近に、十数台ほど停められる専用の駐車場があります。国道169号線から少し入った場所にあり、静かな環境です。
徒歩での巡り方(おすすめルート)
橿原神宮の北神門を出て、畝傍山の裾野に沿って「北の参道」を10分ほど歩くと神武天皇陵に到着します。
賑やかな神宮の雰囲気から、少しずつ木々が深まり、音が消えていくような感覚はこのルートならではの体験です。ぜひ、歩きやすい靴で、ゆっくりとその変化を肌で感じてみてください。
最後までお読み頂きありがとうございます。

