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影姫伝説の舞台!石上神宮から辿る【布留の高橋】と神秘のハタの滝(山の辺道・北コース)

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美しく清められた境内に満ちる独特の空気感や、大木から感じる生命力を感じたくて、神社によくお詣りしているみくるです。

前回の記事では、パワースポットとしても人気の、奈良県天理市にある「石上神宮社叢(いそのかみじんぐうしゃそう)」と、「石上神宮」の境内から続く山の辺の道をご紹介しました。

今回は、石上神宮から古道を辿り歴史の源へ。「山の辺の道(北コース)」の最初のスポットである影姫ゆかりの「布留の高橋(ふるのたかはし)」をご紹介します。

山の辺の道(北)コースのガイドマップ
山の辺の道(北)コース | 天理観光ガイド・天理市観光協会

奈良から桜井までを結ぶ「山の辺の道」は日本最古の道といわれ、特に天理から北側の道「山の辺の道(北コース)」は、観光客も少なくひっそりとしていているので、静かに歴史を辿れます。

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影姫ゆかりの布留の高橋

山の辺の道(北コース)

山の辺の道(北コース)」は、石上神宮から影媛ゆかりの布留の高橋をわたり、青垣の山裾をたどって北へ向かうコースです。影媛伝説のあとを追いながら歩くと、弘仁寺正暦寺円照寺などの山あいに隠れるように点在する清らかな寺々に出会えます。

弘仁寺
弘仁寺

天理から奈良へと続く「山の辺の道・北コース」は、天理~桜井間の「山の辺の道・南コース」にくらべて知名度も低く、訪れる人も少ないのですが、それだけにのどかな景観と俗化されていない、魅力的な史跡が残されているコースといえます。

石上神宮から弘仁寺(こうにんじ)までは6.5kmです。

山の辺の道の道標(石上神宮から弘仁寺)
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石上神宮から布留の高橋へ

北コースの最初のスポット「布留の高橋(ふるのたかはし)」へは、石上神宮の境内から石上神宮社叢を奥へと進みます。

山の辺の道(石上神宮から布留の高橋へ)

楼門向かって右側の道を真っすぐに進み、鬱蒼と生い茂る神宮の杜を抜け、徒歩5分ほどの距離です。

石上神宮の楼門

途中、二手に道が分かれている所を左手へ下ります。

山の辺の道(石上神宮から布留の高橋へ)

石上神宮からここまで0.3kmと案内があります。山の辺の道には奈良県の色「蘇芳色(すおういろ)」で随所に道標が立っているので、迷うことなく歩けます。

山の辺の道の道標(石上神宮から白河溜池)

ここを下ると布留川(ふるがわ)が見えて来ます。

山の辺の道を布留川へ

布留の高橋は、布留川に架かっています。この布留川は、大和川水系に属し、山間部から一気に流れ下るため、その流域では深く切り込んだ谷(渓谷)を形成しています。そして、この川こそが、古代に物部氏が栄えた地域(布留遺跡)の中心を流れ、万葉の時代からこの地の歴史を見守ってきた水の源なのです。

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『日本書紀』が伝える影姫伝説

5世紀末、ひとりの美女をめぐってふたりの男が争った悲劇について『日本書紀』は伝えています。

美女の名は豪族・物部もののべ氏の娘、影媛かげひめ。争った男はときの皇太子(のちの武烈天皇)と、朝廷の権力者だった平群真鳥臣へぐりのまとりのおみの子・しび

『日本書紀』巻七 「景行天皇」

海柘榴市(つばいち)の歌垣で、すでに影媛の心が鮪ものであり、叶わぬ恋と知った皇太子は、鮪を平城山に追いつめて殺し、さらに父の真鳥をも攻め滅ぼしてしまいました。

恋人の身を案じて山の辺の道を北へ追った影媛がそこで見たものは、愛する男の無惨な死でした。

泣きながら影媛は歌います。

石の上 布留を過ぎて 薦枕
高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ
春日 春日を過ぎ 妻隠る
小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り
玉盟に 水さへ盛り 泣き沽ち行くも 影媛あはれ

和爾下神社(わにしたじんじゃ)」には、「影姫あはれ」と題する歌碑が建っています。

和爾下神社に「影姫あはれ」と題する歌碑

海柘榴市(つばいち)から布留(ふる)大宅(おおやけ)春日(かすが)、そして平城山(ならやま)へ。この影媛がたどった道こそ、古代の山の辺の道だったと言われています

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布留の高橋

布留の高橋(ふるのたかはし)」は、奈良県天理市にある石上神宮の近くを流れる布留川に架かる橋、またはその周辺の地名を指す、歴史的に非常に重要な場所です。

特に、万葉集に詠まれたり、高橋姓のルーツの一つと考えられたりしていることで知られています。

こちらが、布留川に架かる高橋です。

布留川に架かる高橋

石上神宮から東100mほどのところの布留川の小さな滝の下流側に橋が架かり、布留の高橋のプレートが取り付けられています。

布留の高橋

古代と同じ場所かは定かではありませんが、現在考えられている山の辺の道に架かる橋なので、その名前があると考えられます。

布留の高橋

布留の高橋を詠んだ歌は『万葉集』にも登場します。

(原文)
石上 振之高橋 高々尓 
妹之将待 夜曽深去家留

巻12-2997 作者不詳

(読み下し)
石上 布留の高橋 高高に
妹が待つらむ 夜ぞふけにける

(現代語訳)
石上の布留の高橋のように、心も高高と爪立つ思い妻が待っているだろう。
夜は更けてしまったことだ。

橋の手前に、布留の高橋を詠んだ万葉歌が書かれた案内板が立っています。

布留の高橋の説明板

布留の高橋の「高」という字が示す通り、橋は川面からかなり高い位置に架けられています。これは、橋の下を流れる布留川が、山地から平野に出る直前で深い谷を刻んでいるためです。

このダイナミックな流れが、橋の「高さ」を生み出し、『万葉集』の歌人が「高く高く」と詠むにふさわしいロマンチックな情景を作り出しました。

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ハタの滝と石上神宮の神事

布留の高橋が架かるこの深い渓谷には、神聖な場所であったことを物語るハタの滝が流れ落ちています。

ハタの滝と石上神宮の神事

布留の高橋から布留川を見下ろすと、二つの滝が見えます。向かって左側が布留川本流、右側が布留川支流です。

ハタの滝と石上神宮の神事

江戸時代に描かれた石上神宮の絵図には、この場所に「祓殿」があったと書かれており、かつて6月30日の夏越大祓式の際には、この場所に神剣が渡御していたとのことです。

ハタの滝の案内板で、石上神宮の神事が紹介されています。

「ハタの滝」の説明板

「ハタの滝」は、布留川の上流にある「布留の滝(桃尾の滝)」と共に、神社にとってとても神聖な場所でした。

こちらの記事では、桃尾の滝をご紹介しています。

毎年7月の第3日曜日には、滝行や納涼で来る方の安全を祈願する「滝開き」の神事が石上神宮の神職により執り行われています。

下流には布留遺跡があり、布留川は、旧石器時代の昔から、流域の人々の命を育み、生活を支え続けて来た川ということができます。

山の辺の道と布留川

石上神宮へご参拝の折は、ぜひ布留の高橋まで足を伸ばされて下さい。楼門から徒歩5分ほどでアクセスできます。

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高橋姓のルーツ「布留の高橋」

日本の名字の中で非常に多い「高橋」姓の、最も古いルーツの一つとしてこの地が挙げられています。

古代の豪族である膳(かしわで)氏の系譜に連なる人々が、石上神宮近くの布留川にかかるこの「布留の高橋」にちなんで高橋朝臣(たかはしあそん)と改名したのが祖とされています。

「高橋」とは、もともと「高い橋」という意味だけでなく、古代の神事において天地を結ぶ柱(神様をおろすための高い竹の柱など)を意味していたとも言われます。

石上神宮へのアクセス

奈良県天理市布留町384

公共交通機関をご利用の場合

  • 近鉄天理線、JR桜井線「天理駅」より徒歩30分
  • 天理駅より 天理市コミュニティバス「いちょう号」(東部線)下山田系統
    「石上神宮前」バス停下車、徒歩10分

お車をご利用の場合

  • 名阪国道「天理東インター」から約5分
  • 西名阪自動車道「天理インター」から約15分

4か所に無料駐車場があります。

詳しくは石上神宮の公式サイトをご覧ください。

こちらの記事では、石上神宮の見どころを神秘的な境内の写真と共にご紹介しています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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