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【聖徳太子ゆかりの地】上之宮遺跡に近接する「春日神社と上宮寺跡」を訪ねて(奈良県桜井市)

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生まれも育ちも奈良県で、古代ロマンが好きなみくるです。

奈良の地を歩いていると、教科書で見た歴史上の人物や出来事が、いまも息づいているように感じられる瞬間があります。

先日ご紹介した「上之宮遺跡」は、聖徳太子(厩戸皇子)が幼少期に過ごしたとされる「上宮(かみつみや)」の有力候補地の一つです。

この上之宮遺跡のすぐ近く、集落の鎮守として静かにたたずんでいるのが、今回ご紹介する「春日神社(かすがじんじゃ)」です。

実はこの神社、聖徳太子に深く関わる「上宮寺(じょうぐうじ)跡」に隣接しており、歴史の重層を感じさせる貴重な場所となっています。

かつて寺の鎮守であったとされるこの春日神社には、一体どんな由緒や見どころがあるのでしょうか。

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上之宮「春日神社」の歴史と見どころ

神社の由緒と御祭神:二つの信仰の系譜

奈良県桜井市上之宮に鎮座する「春日神社(かすがじんじゃ)」は、創建についてはっきりしませんが、単に春日大社から勧請されただけでなく、この地が持つ古い信仰の歴史を受け継いでいます。

春日神社となる前は、地主神である「磐船大明神(いわふねだいみょうじん)」と呼ばれ、饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀っていたと伝えられています。これは大和の地が持つ、古い信仰の形です。

その後、奈良の春日大社から春日四神(かすがししん)を招き、合祀して「春日神社」となりました。

「春日四神(かすがししん)」とは

奈良の春日大社を総本社とし、全国の春日神社で祀られている四柱の神々の総称です。これら四柱の神様は、まとめて「春日大神(かすがのおおかみ)」とも呼ばれます。

この四柱は、それぞれ別の場所から春日大社の地に招かれたため、非常に強力で多様なご神徳を持つとされています。

  • 武甕槌命(タケミカヅチノミコト):国譲りを成し遂げた最強の武神、雷神。
  • 経津主命(フツヌシノミコト):武甕槌命と共に国譲りを成功させた武神、刀剣の神。
  • 天児屋根命(アメノコヤネノミコト):藤原氏(中臣氏)の祖神であり、祭事(祝詞)を司る神。
  • 比売神(ヒメガミ):天児屋根命の妃神(后神)。一説には天照大御神ともされる。

春日大社は、奈良時代に藤原氏(当時の氏族は中臣氏)の氏神として創建されました。天児屋根命と比売神は藤原氏の祖神であり、武甕槌命と経津主命は藤原氏の守護神とされています。平城京(奈良)鎮護のために、これらの強力な神々が招かれました。

現在は、武の神、知恵の神、安産の神など、春日四神が持つ多様なご利益を授かることができる神社となっています。

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聖徳太子の「上宮」とは

この神社の南側にある畑地一帯は、聖徳太子ゆかりの寺院「上宮寺(じょうぐうじ)の跡」と伝えられています。

桜井市上之宮にある「上之宮遺跡(うえのみやいせき)」が発掘される以前は、この神社の場所こそが聖徳太子の「上宮(かみつみや)」ではないかという説もありました。

現在、有力説は上之宮遺跡に移りましたが、この周辺が古くから太子の宮殿の伝承地であったことを示しています。

『日本書紀』に興味深い記述があります。

「是の皇子、初め上宮に居しき。後に斑鳩に移りたまふ」

「父の天皇、愛みたまひて、宮の南の上殿に居らしめたまふ。故、その名を称えて、上宮厩戸豊聰耳太子と謂す」

これらの記述から、聖徳太子は幼少期から青年期にかけて、父・用明天皇の池辺双槻宮の南にある「上宮」に住んでいたことがわかります。

上之宮遺跡(桜井市上之宮) – 桜井市観光協会

そして、その後この地に寺院が建立され「上宮寺」と名付けられたのです。

江戸時代の『大和名所図会』には、「上宮太子の住み給ひし所なり、其後寺となし、上宮寺と号す」と明記されており、この地が聖徳太子ゆかりの聖地として長く記憶されてきたことがうかがえます。

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聖徳太子の歌碑

春日神社境内には、聖徳太子が飢えた旅人を見て詠んだとされる有名な歌

家にあらば 妹が手まかむ 草枕
旅に臥やせる この旅人あはれ

万葉集 巻3-415 聖徳太子

の歌碑が建てられています。太子の徳を今に伝える貴重な碑です。

聖徳太子の歌碑については、別の記事で詳しくご紹介します。

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参拝の際に注目したい「亀の手水舎」

参拝の前に身を清める手水舎の吐水口は、龍(竜)が一般的ですが、ここでは珍しい亀の像から水が流れ出ています。

  • 長寿と永続のシンボル:亀は古くから「万年」生きるとされ、不老長寿や永続的な繁栄の象徴として非常に縁起の良い動物です。
  • 清めの水に込められた願い:この亀の手水舎には、この地と参拝者への長寿や吉祥への願いが込められていると考えられます。
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境内に残る中世の文化財「石造宝塔」

境内の奥には、中世の文化財である「石造宝塔(重要美術品)」が残されています。

石造宝塔は、南北朝時代(14世紀)頃に造られたとされており、細部の意匠が近くの宝塔と酷似していることから、当時のこの地域の文化水準の高さを示す貴重な文化財です。

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境内の様子(社殿や石碑など)

拝殿

本殿

稲荷大明神

愛宕大権現

金毘羅大権現

境内社

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『日出処の天子』の世界を体感

山岸涼子さんの名作『日出処の天子』をお読みになった方なら、この上之宮の地がより一層特別に感じられることでしょう。

緻密な時代考証に基づいたこの作品は、華やかな宮廷の様子や、皇子・豪族たちの人間関係、そして当時の生活感までを鮮烈に描き出しています。

作品に描かれた聖徳太子の「上宮」での日々を思い浮かべながら、春日神社の静寂な境内を歩いてみてくださいね。

まとめ|聖徳太子ゆかりの春日神社(上之宮)を訪ねて

桜井市上之宮にある春日神社は、聖徳太子ゆかりの上之宮遺跡に隣接する古社です。境内には石造宝塔や万葉歌碑が残り、静かな里山の風景の中で古代の祈りを感じられます。

奈良の有名寺社とはひと味違い、ここには太子信仰と古代史が静かに息づく空間がありました。

春日神社を訪れた際は、ぜひ上之宮遺跡も合わせてご見学ください。1400年前の聖徳太子の庭園跡を実際に歩き、その後で太子ゆかりの寺院跡に思いを馳せる…そんな歴史散策の楽しみ方ができるのも、この上之宮地域ならではの魅力です。

桜井市上之宮の春日神社へのアクセス

奈良県桜井市上之宮346

近鉄・JR「桜井駅」より南へ 徒歩約30分
駐車場はありません

最後までお読み頂きありがとうございます。

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